前回はエドマンド・バーク『フランス革命の省察』を現代の危機的状況を把握する上でおすすめとしてご紹介いたしました。
今日は、また一冊この時代の危機を予言する一冊をご紹介したいと思います。取り扱うのは『1984』です。
こちら20世紀で最も著名な小説とも言われる一冊ですが、70年近く発刊から経過していることを感じさせないほどに新しいのです。
そしてそのリアリティで言えば今日の社会状況とも極めて近似するところが多分にあるのです。
今日は、ジョージ・オーウェル『1984』の名言とともに現代の危険性について私の思うところをちらほらとかければと思います。
■目次
▶社会が危機的である時に現れる兆候
▶我々を襲う危機の回避方法
▶今の日本社会が危うい
■社会が危機的である時に現れる兆候
私の持論でもあるのですが、社会の危機というのは一般的にイメージされているような「突如現れるもの」ではなく、幾つかの段階があり完成するものだと私は考えています。
つまり、その危機の兆候を捉え初期段階で処置を施すチャンスは残されていると同時に、それに無関心であることは巨悪に加担していること大差がないということです。
危機の兆候なんてわからないといわれてしまうかもしれません。
ただ、ブルクハルトやニーチェの考えを援用すれば歴史とは進化の過程ではなく繰り返しだと私は考えています。
ですから、歴史に学ぶことで危機を免れられる可能性はぐっと上がるのではないかと思うのです。
その一助となるのがジョージ・オーウェルの『1984』です。
ジョージ・オーウェルの『1984』を読んだことがない方向けに少しだけ補足します。
『1984』という作品は一言で言うと「もし全体主義という最も恐ろしい統治形態が完成したらどういう世界になるのか」を描いている作品です。
この全体主義というものはいかなるものかというと「全員がある特定の考え及び行動をとるべき」というものなのですが、これは歴史上いかなる統治形態よりも多くの被害を出したことは周知の事実です。(ヒットラー、スターリンが代表例)
そして恐るべきはその支配が及んだ後だけではありません。
誕生までの原因もまた恐ろしいのです。
全体主義が他のいかなる統治形態にも増して特徴的な点として「民衆の熱狂が基盤にある」ということが挙げられます。。
言い換えれば、ヒットラーは民衆との協働であの巨悪をなしたということなのです。
では、それほどまでの巨悪に多くの民衆を動員し熱狂させるものは何なのかと思うでしょう。
それは、オーウェルの『1984』を読んでいくとわかりますが「共通の敵」です。
なぜ「共通の敵」は人々の団結を強めるかといえば、これは誰もが持っている本能に働きかけることができるからです。
その本能とは「自己保存能力」です。(この辺りはトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を読んでいただきたい)
それを守るより優先されるものはありません。
ですからその脅威となる「共通の敵」が現れれば、個々人は団結し敵を殲滅しようとするのです。
『1984』においてもこのことが描かれています。
ビックブラザーという政府が大衆の困苦をある特定の人物が原因であると考えさせるプロパガンダを流すことで民衆の共通の敵を刷り込み大衆の団結力は高まります。そしてこれを利用しビックブラザーは大きな支持を得ます。
さてここが危機の兆候の一つで「嘘を流す」というのが全体主義的世界観へ民衆を動員する第一歩なのです。
オーウェルは「2+2=4」を「2+2=5」と発表する風刺を使いながら下記のように主人公ウィンストンに語らせます。
こちらの頭蓋を貫き、脳の動きを止め、脅かしてこちらの信念を捨てさせ、自分の五感から得られる証拠を信じないよう、ほぼ、納得させてしまうような何かだった。最終的に、党は、二足す二は五であると発表し、こちらもそれを信じなくてはならなくなるだろう。遅かれ早かれ、そうした主張がなされるのは避けがたい。・・・異端の中の異端とは常識にほかならない。
『1984』ジョージ・オーウェル(2009)早川書房 P124
政府が流す「嘘」である「2+2=5」というものも、徐々に浸透し広範に一般化した時、「正気であることが異常となってしまう」という風にオーウェルは述べます。
おそらく多くの人が「2+2=5」なんて信じる世界はありえないと思われるでしょう。
ただ、この例が極端な例であるということは差し引いても極めて示唆に富んだ比喩です。
多かれ少なかれ今の日本で同じことが起こっていることを幾つか例を示しながらお伝えしましょう。
まずは首相官邸のホームページに書かれている下記をみてください。
アベノミクス「3本の矢」首相官邸ホームページより
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/seichosenryaku/sanbonnoya.html
こちらアベノミクスの成果として政府が大々的に発表しているのですが、とりあえずわかりやすいデタラメを一つだけ取り上げます。
左側の上から4つ目をご覧ください。
そこには、「賃金引き上げ」という項目があり、「平均月額で過去15年で最高水準」、「夏季賞与についてはここ23年で最高水準」と書かれています。
これには我々を誤った思考に誘うデタラメが含まれています。
まずいかがわしいと思わせるのに十分な理由の一つが「抽出元」が記載されていないことです。
おそらく「経団連加盟企業」かと思われますが、それを書くと叩かれるので省いたのだと思われます。
ここで憶測でものをいうなと叩かれそうですが、それには幾つか反論があります。
まず権力を持っているものは数値をコントロール立場であることはもちろんですが、もう一つが広範にとったと思われる賃金指数が全然好転していない状況が挙げられます。
下記リンクのP8においては名目賃金が2012年と比較して伸びていない中でむしろ物価だけが上がっているため実質賃金が大幅に低下しています。少なくとも日本の家計の85%近くを占めると言われている給与所得者の賃金指数が改善していないという勤労統計の指数はアベノミクスが打ち出すイメージとは180度異なる現実を映し出しています。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/monthly/27/27p/dl/sankou27p.pdf
*都合のいいデータを我田引水してると思われたくないので補足しますとこの資料の前の方にあるパートタイムなどは給与が微増しています。これはアベノミクスの成果かもしれません。ただパートタイム労働者が家計の主要部分とは考えにくいということからより国民生活を反映するものとしてp9の賃金指数に目を向けています。
アベノミクスで「賃上げがなされた」どころか実質にしろ名目にしろ「むしろ悪化した」という解釈もできるのです。
どちらが正しいかはご自身の判断にお任せしますが「賃金が上がった」と「賃金が下がった」両方の解釈がなぜかこの世に二つ存在しているというところに何か薄気味悪さを感じませんか。
他にも「デフレだ」と言ってる割には「消費者物価は上がり生活苦になっている」など。
我々に「二重思考」を迫るかのようなこのような政府の発表は全体主義の萌芽と言わざるをえません。
二重思考とは、二つの相矛盾する信念を心に同時に抱きその両方を受け入れる能力をいう。
二重思考という言葉を使っている時ですら二重思考を行使しなければならない。
『1984』ジョージ・オーウェル(2009)早川書房 P328
政府が発表しているものが国民のごく一部(1%以下)を表している数値でしかないにもかかわらずさも全員に当てはまっているかのように誘導しようとしているのであればそれほど恐ろしいものはありません。
ところで私の論評は「主観にまみれている」と感じる方は少なくないでしょう。
しかしいかなる学者であろうと自らの認識を逃れることはできません。すべては主観です。
では私の主観は「安倍政権の発表がいかがわしい」と思わせるのかというと、その他の項目も合わせて総合的に考えた場合に人間として信頼できないからです。
詳細は下記記事に委ねますが、例えば安倍政権の発表する「GDPの成長」は統計の算出根拠を恣意的に改竄し安倍政権以降成長率が以上に高まるように変更を加えるだけでなく、過去のGDPについてはむしろ数値をおし下げる計算結果を発表しているのです。
オーウェルによれば「過去の改変」まで行われ始めた時、嘘が相当量積み重なっていると考えるのが適当らしいのですが、これは今まさに安倍政権のもと起きているのではないかと思うのです。
過去の改変は二つの理由から必要とされる。ひとつは補助的な理由で、いわば予防策である。・・・・比較の基準を有さないがために、現在の状況を黙認している。それ故、・・・丁度外国との接触が断たれねばならないのと同様に、過去からも切り離されなければならない。なぜなら、彼は祖先よりも恵まれた生活を送っており、物質的な快適さの平均水準も絶えず上がり続けていると信じる必要があるからだ。
『1984』ジョージ・オーウェル(2009)早川書房 P320
■我々を襲う危機の回避方法
このような全く正反対の情報が錯綜する危機的状況の中で我々はどうすべきなのか。
これに関しては月並みですが、思考を止めないことにつきます。
オーウェルも小説で風刺した通り「思考停止」こそ全体主義的世界観への動員に必要不可欠です。
『1984』の最後に出てくる「2+2=4」という考えを諦めたウィンストンの描写が印象的です。
ほとんど無意識のうちに彼はテーブルの埃を指でなぞりながら、こう書いていた。2+2=5・・・・何かが胸の内で葬られる、燃え尽き、何も感じなくなるのだ。
『1984』ジョージ・オーウェル(2009)早川書房 P320
思考を止めた時そこには集団催眠の世界が広がっています。
それゆえに、より多面的な情報に触れ「思考」を続けることが我々にとって生きる最後の手段ではないかと思います。(ソクラテスがその人生で示したように)
ただ、全体主義が広範に覆ってしまうと「多面的な」情報の解釈すらなくなるので、この時はみんなまとめて仲良く「思考停止」となることでしょう。
■今の日本社会が危うい
さてジョージ・オーウェル『1984』を今ぜひ読むべきオススメ本であることを示すためにいろいろ書いてきました。
おそらく目を通す中で、私が左翼で『1984』を我田引水的に引用し、安倍政権の批判ありきでこの文章を書いているという解釈もあることでしょう。
そう言われることも想定済みですし、私の話も完璧だと思っていません。
そして、すでに認定されましたが単なるうパヨクなのかもしれません。
ただ、私が安倍政権に極めて批判的な態度をとるのには理由があります。
先ほども述べたようにここ長らく続いている思想の劣化の延長で誕生していると言わざるをえないからです。
私から言わせれば、小泉内閣、民主党政権誕生、安倍政権誕生、維新の会や小池新党の馬鹿騒ぎはすべて一つの線でつながっているからです。これらを個別に是々非々で判断する方が世の中的には主流的ですが、すべて全体主義的要素を多分に含んでいないだろうかと考えた時に類似性が多く見られるのです。
嘘を流し世界観に民主を熱狂のまま動員し既存の秩序を破壊して暴れまわるという流れがまさに同じです。
そういった意味で、安倍政権のデタラメかどうかを考えることはこの社会に広がる腐った思想の連鎖を止めることにつながると思います。
私は安倍政権を批判すると左翼だと言われるのですが、勘違いしないでいただきたいのは民主党政権を美化しているわけではないということです。
最も言いたいことは、(第1章で指摘したように)全体主義というものが個人では成し遂げられず民衆の熱狂的支持を必要とするという特性を考えると安倍政権であれ民主党政権であれこれらを生み出した我々の反省が求められるということなのです。
我々が変わらない限りまた安倍政権と同等かそれ以下のようなものが出てくるのです。
『1984』を読みながら土台が腐ってるという可能性を考えてみませんか。
そうすれば笑えるようで笑えないそんな読み方ができることでしょう。