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偉人が勧める20代の過ごし方

更新日:

 

20代の過ごし方が人生の大部分を決めてしまう!!

 

最近、上記のような煽りがビジネスで成功されている方が若者に語りかけるとき使うようです。

そして、畳み掛けるようにその言葉に続けて20代の過ごし方が悲惨な人は大成しないと断言されるわけです。

 

 

焦った若者はビジネス書を読みあさったりセミナーに行ったりし始めます。

 

 

すぐに行動に移すことというのが賛美される中でこの素早い動きは良い部分もあるのかもしれません。

しかしながら、私はというとこれらの言葉を聞いても半分納得半分違和感という立場です。

 

 

 

確かに20代というのは人生の今後を占うという意味で大事なのかもしれません。

しかしながら、いわゆる「ビジネス成功者」のように金儲けばかり考える過ごし方が良い過ごし方だとは感じません。

 

そんな卑屈な私が本日は一般的に語られる20代の過ごし方への違和感と真に求められる20代の過ごし方について書いてみました。

 

■目次

「金を稼ぐ方法」を考えているだけが偉いわけではない
偉人に学ぶ20代の過ごし方
本当の天才を知れる書

■「金を稼ぐ方法」を考えているだけが偉いわけではない

個別に名前をあげてしまって申し訳ないですが、若者にハッパをかける人物の代表というのは割と相場が決まっています。

大前研一、ちきりん、堀紘一、本田健、、、、、

 

上のような人物たちは20代に大人気で、勉強会などでもよく彼ら・彼女らの著書が取り扱われていたりします。

他には大会社の社長やベンチャーの社長などがあるでしょうか。

 

 

まあ要するに最近の若者に20代の過ごし方を語る人々というのは総じて「金儲けに成功した人」な訳です。

決して、ニーチェやゲーテではありません。

 

 

これらの人は「稼ぐ力をつけろ」「海外に若者とはとびだせ!」「ビジネススクールに行け!」としばしば恫喝します。

 

ただ、こういう人たちというのは本当に人間的にも偉大なのでしょうか。

確かに、マルクスが『資本論』で述べたように市場経済で生きる我々にとって市場で評価される(すなわち稼げる)ことは素晴らしいと言われる根拠たりえます。

資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『膨大なる商品集積』として現れ、個々の商品はその成素形態として現れる。故に我々の研究は、商品の分析を以って始まる。

『資本論;高畠素之訳』カール・マルクス(2017)冠清堂 kindle版

 

しかしながら、我々の世界というのは商品経済内でしか存在しないのでしょうか。

ワンオブゼムでしかないものをすべてであるかのように語られるのは良いのでしょうか。

 

 

「自称成功者」と呼ばれる人はどうもそういう考えに縛られているように私は感じます。

言葉の節々にそれが表れているのです。

 

例えば、その手の人が「価値がある」「面白い」という時は基本的に「ビジネスとしてうまくいっている」とか「金が儲かっている」という事を指している事がほとんどです。もし周りに同じ人間がいたらよく分析してみてください。

 

 

ちなみに人間の価値が「金が儲けられるかどうか」でほとんど決まってしまうというのは非常に危険です。

「市場価値原理主義者」の考え方が最終的には自らをも破壊するとアーレントが述べた下記の言葉は注目に値します。

近代になって重点が「なに」から「いかに」へと移り、物自体から制作過程へと移動したことは、この上ない仕合せというわけにはゆかなかった。このように重点が移動したために、製作者としての人間は、・・・・・固定した永続的な標準や尺度を奪われた・・・。交換価値が使用価値にたいして、決定的に勝利をおさめると、・・価値の相対化が、最後に価値の無価値化が持ち込まれた。

『人間の条件』ハンナ・アレント (1994) ちくま学芸文庫 p480

アーレントは何を言っているか。

おそらくですが、ポイントは二つあります。

 

一つは、近代以降、物自体の「使用価値」に対して「交換価値」が完璧に勝利を収めるという衝撃的な自体が起こったということです。これは、何の「使用価値」もない紙切れが価値を持つという異常な世界が出来上がることを意味しているのです。

 

 

もう一つが、この「交換価値優位」はあらゆるものを市場に放り込み相対化し、最終的にはそれ自身で何も価値を持たなくなるように追い込まれるということですね。

 

恐ろしい話です。

 

 

ここで私が伝えたいことというのは、「20代は稼ぐ力をつけろ」みたいな考えを持ってしまっている人を当てにするなということですね。

 

頭の良い彼ら・彼女らもまたステレオタイプの中にいるということです。

それが何よりも正しいと疑えなくなっているという意味ではより危険な人物たちであると言っても良いかもしれません。

そこで問題となるのは、ステレオタイプの性格と、それを使いこなすわれわれの融通のきかない馬鹿正直さである。結局、こうした問題はわれわれの持っている規範に従って体系化されていると想定しているならば、たぶんわれわれは何が起こっているかを報告する時に、そのような規範によって動かされている一つの世界を語ることになるであろう。

『世論』ウォルター・リップマン(1987)岩波文庫 p124

 

ここまでの話を「何を今更当たり前のことを」という人も多いでしょう。

しかしその「当たり前」が当たり前でなくなりつつあるのが今の世界だと私は考えているのです。

 

 

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■偉人に学ぶ20代の過ごし方

「稼ぐ力」を付けることが20代の素晴らしい過ごし方だとは言えないということをここまで書いてきました。

 

さて、20代の過ごし方に関する議論が残念ながら振り出しに戻りました。

「稼ぐ力」をつければいいと考え、ビジネス書を読み漁っていた人には申し訳ない事をしたかもしれません。

 

 

では、どのように過ごせば良いのかですが、これに関して多くの頭の良い人が共通して述べていることがあるのです。

 

それは一流の人物に徹底的に学べというものですね。

例えば、小林秀雄は以下のように述べます。

一流の作家なら誰でもいい、好きな作家で良い。あんまり多作の人は厄介だから。手頃なのを一人選べば良い。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで読んでみるのだ。

 そうすると、一流と言われる人物は、どんなに色々なことを試み、色々なことを考えていたかが解る。彼の代表作などと呼ばれているものが、彼の考えていたどんなにたくさんの思想を犠牲にした結果、生まれたものであるかが納得出来る。

『読書について』小林秀雄(2013)中央公論新社 p12

一流と言われる人物のすべてを隅から隅まで研究せよと彼は述べています。

これは小林秀雄の独りよがりの言葉ではありません。

 

 

言葉は違えどゲーテも同様のことを述べています。

私は毎年モリエールのものを二つ三つは読む。またイタリアの大家を模した銅板を時折眺める。なぜなら、われわれのような小粒な人間は、そういうものの偉大さを内心に保っておかなくてはならないからだよ。だから時々はこういうものに帰ってきて、こういう感動を新たにしなければならないんだ。

『ゲーテとの対話』エッカーマン(2015)古典教養文庫

 

ゲーテの場合はモリエールを通して自らの精神を内心に保持しておこうとしました。

小林秀雄であれば本居宣長だったかもしれません。

 

こういう話をするとおそらく以下のような反論があるでしょう。

どの人が一流かは個人の主観によると。



そんな考えを一昔前に私自身していたこともありますので、一概に否定はできません。

ただ、ショーペンハウエルは「本当の一流」は長い歴史において絶えず親しまれてきたという趣旨の言葉を残しています。

 

これは当たり前のようでいて斬新な言葉です。

彼らの作品の特徴を、とやかく論ずる必要はない。良書とだけいえば、誰にでも通ずる作品である。このような作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発する。

『読書について』アルトゥール・ショーペンハウエル(1983)岩波文庫 p133

「良書」と呼ぶだけで誰にでも「良書」だと思われるものが一流の作品だと彼は述べているのです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

 

20代の過ごし方としてゲーテであれショーペンハウエルであれ惑うことなくこの偉大なる人物に学びを得ることを重要視したのは実に興味深いところです。

彼らのような天才がやっているのに我々凡人がやらなくていいわけがないでしょう。

 

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■本当の天才を知れる書

最後に「良書とだけ言えば通ずる書」をあげさせていただきます。

 

20代の過ごし方を変えるなんらかの一歩となれば幸いです。

 

ホセ・オルテガ・イガセット『大衆の反逆』

こちらは高校の教科書でよく出てくるおきまりの一冊で、名前くらいは聞いたことがある人がとても多い良書。

大衆社会化がもたらした悲惨さを描くオルテガから多くのことを学べると個人的には思います。

 

良書とだけ言えば通ずるはずなので詳細は割愛します笑

 

ジョン・メイナード・ケインズ『雇用利子および貨幣の一般理論』

こちらも教科書でおなじみのケインズ先生の世界的名著です。

資本主義がどのようにして行き詰まるのかや現代の格差社会を予測していたような書物に将来予測をする能力が培えるかもしれません。

是非読んで見て欲しいです。

 

福澤諭吉『学問のすゝめ』

おそらく日本で一番有名な本。

名前くらいは聞いたことがあるけど読んだことがない人がそこそこいると聞きます。

 

これは、日本思想史における記念碑的著作ともいえる本で、「良書とだけ言えば通ずる」のは間違いありません。

 

孔子『論語』

ザ・良書。

私は最近5周くらいまわってようやくこの本の重要性に気づいたところです。

 

日本の思想史の源流と言っても良い本で、我々の善悪の基準などは概ねこの書物から派生していると私は考えています。

読み方としては、福澤諭吉と『論語』のつながりを意識してみると面白く読めるかもしれません。

 

 

 

とりあえずこの4冊で20代の過ごし方が変わるかもしれませんので、読んでみてはいかがでしょうか。

思いの外効果があるかもしれません。

 

 

 

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