本ブログでは安倍政権の体たらくを度々書いてきました。
しかしながら、「安倍さんもひどいところはあるかもしれないが、いいところもある」と何度か絡んでこられたこともあり、私なりに安倍さんのいいところを探してみることにしました。
結論としては一つだけあります。
それは、政治家であり、その長であり8年間にわたって政治をしてこなかった点です。
純粋にすごいことです。
会社員が8年間一切働かずに居座ってこられたということを考えてください。
もはや何かの特殊能力があるのかと驚きを隠せないことでしょう。
これは「政治」とは何かを考えると理解できると考えています。
彼が「政治」をやっているように振舞っていたが実際にやっていたことは極めて反政治的なものだったのです。
政治とは何か
さて安倍首相が反政治的であるということを理解するために、まずは政治とは何かから話していこう。
政治とは何かの理解は政治というものが誕生するスタート地点を考えれば見える。
そのスタート地点とは個人が複数人で集団生活を始めようとするタイミングである。
今は国家という枠がでかすぎてこの原点が見えなくなっているものの集団生活のスタートこそ政治の原点だ。
逆に言えば、政治が必要でない世界というのは2パターンだ。
一つはある個人が完全に自給自足で一人で生きていく場合。
もう一つは全員が同じ考え・同じ行動をする場合だ。
これ以外の場合では「政治」が必要となる。
ここからあることがわかるだろう。
政治の根本には「複数性」というお互いが相異なる存在であるという認識があるということだ。
さて、この多様な個人が集団生活をするためには何が必要かに話を移そう。
それは個々人の自由を最大化するべく「ルールを作ること」、そして「ルールを守る」というものだ。
これはルソーでもニーチェでもいいんだけど多くの政治思想がそう考えている。
なぜなら、ルールがない原初状態では互いに相手の自由を侵害することが日常的になる。
各々が自分の欲望を追求することで他の考えとぶつかってしまうのだ。
例えばルソーは原初に編み出されたルールの一つに所有権を挙げている。
人の持っているものを勝手に取れるようなところでは多くの人が相互不信となることや長期を見据えた生き方ができなくなってしまうということを念頭に置いている。それはあらゆる文明の発展も生み出せないことを意味する。
そこで個別に物や土地を所有することができるというルールを作ろうとなるわけだ。
もちろんいきなり話し合ってルールづくりとはならなかっただろう。
歴史においては多くの戦争が長らく起きてきた。
しかし、多くの人がいつのタイミングでかは争うことに疲れ果てる。これは強い者も弱い者も変わらない。
強い者も身の安全を脅かされるといったことなどルールがないと困るのだ。
安倍が政治をやっていないと言える理由
この話から一見偽善に見えるが実は理にかなっているある命題の正しさに気づくだろう。
それは「公益性を追求することが自己にも恩恵をもたらす」ということだ。
残念ながら、最近は他者のことを考えることや社会のことを考えることというのが何か偽善めいたものだと思われるような世の中になってしまった。つまり因果関係が逆転して、自己に恩恵をもたらすようやれば公益性につながるという風になっている。
それは政財界全てに見られる普遍的な現象ともなっている。
この考えは個々人が自己利益を追求すれば社会としても良くなるということを暗黙の前提としているが、そのようなことは現実において「良い社会」となった例を私は知らない。
しかし残念ながらこのように考えているであろう政治家がいるのだ。
それが安倍首相である。
安倍は自己利益のために財界やアメリカといったところのケツをひたすらに舐め続けてきた。
そのためには公益性を破壊することも厭わなかった。
彼が公益性を意識していることをその行動において検討することは難しい。
例を二つの角度から見よう。
まず、「ルールを守らない」と言う観点での公益性の軽視だが、下記のようなものがあるだろう。
- 安保法案
- 検察違法人事
- 働き方改革関連法案のデータ捏造
- 入管法改正に当たってのデータ捏造
- 森友決済文書改ざん
- GDP改ざん
- 賃金統計改ざん
また、もう一つの切り口として自分もしくは特定団体への私的利益への奉仕をしているというものがある。
- 加計学園
- 空港、水道、保育所等の民営化
- 原発推進
- 北方領土献上
- 辺野古建設
- 桜を見る会
- 消費税増税後の法人税減税
明らかに政治家でありながら「所属する人々の自由を最大化するための活動」を逸脱している。
政治家に求められる条件
最後に政治家に求められる条件について書こう。
政治家になるためには高度な知識などよりも重要なものがあることに気づくだろう。(もちろん義務教育レベルの社会科の知識は必要だが)
それは他者に対する「愛」である。これは実は政治学の大元とも言われるアリストテレスが極めて重要視したものだ。
この考えは多くの政治思想に脈々と受け継がれた。
というのもアリストテレスに言わせれば他者にたいする「愛」があれば、「徳」が生まれまっとうな社会づくりは可能だというのだ。
抽象的に感じるかもしれないが、極めて真っ当な意見だと私は思う。
なおこのアリストテレスの影響は政治思想にとどまらず、他の学問でも受け継がれた。
アダムスミスのような経済学の領域やアウグスティヌスのような宗教系の領域にもである。
まともな社会思想を紡ごうとすると他者に対する「愛」の概念は避けられないのだろう。
そう考えると政治を行わない安倍総理には日本国民に対する愛がないのだ。
それゆえに、日本国民にとってメリットがないことばかりできてしまう。誰だ愛国者と言い出したのは。
なぜ、この愛がないのかは家庭環境の要因などもあるかもしれないが、今はそんなことを詮索している場合でもなくなった。
とりあえず暴走を止めた後でのちに検証すれば良いだろう。