突然ですが質問です。
ここ百年ほど世界の覇権を握ってきた国はどこかと聞かれるとどの国を答えますか。
おそらくアメリカと答えるのではないでしょうか。
ではその前はと聞かれたらどう答えますか。おそらくイギリスだと答えるでしょう。
このように我々は、ここ二百年から三百年の間に、世界の覇権を握ってきたのは欧米だと答えます。
しかし、どうしてヨーロッパが世界の覇権を握ることができたのでしょうか。
今後もこの流れは続くのでしょうか。本記事では、いかにして西洋が覇権を握ることになったのかについてアンドレ・フランクの『リオリエント アジア時代のグローバルエコノミー』を参照ながら見ていきます。
西洋が優れていたからが覇権を握れたのか?
アンドレ・フランクの斬新な意見は、端的に言うと西洋人であるにも関わらず、西洋優位の認知バイアスを克服している点にあります。
西洋人が世界で優れていたから覇権を握ることができたという通念を彼は覆したのです。
その通念は大きく分けて2つの誤認によるとフランクは考えています。
一つは『例外的に優越であるという想定をした上で、その根拠を、ヨーロッパの属性であると』考えることです。
そして、二つ目が、ヨーロッパの繁栄理由を『ヨーロッパの内部に探して』しまうことです。(p477)
両者に共通するのは、世界史を知るためにヨーロッパしか見ていない点です。
しかし、彼は西洋優位の歴史認識を批判します。
では、フランクはどのように歴史を捉えるべきだと考えたのか。
世界史なのだから東洋にも目を向けるべきだというのです。
『世界経済そのもの全体の構造と作用において、「西洋の勃興」と「東洋の没落」の理由を探す』ことがより正確な歴史認識につながるのです。(p477)
フランクの態度は、一見当然のように思えますが、有名な『マルクスやウェーバーから、ブローデルやウォーラーステインに至るまで、拡大鏡や顕微鏡まで持ち出しながら、ヨーロッパの街灯の光だけを頼りに、被説明要因を探しもとめるという、場違いな具体性に陥っている』という実態があるのです。(p539)
他人事のようにも聞こえますが、実は我々日本人も西洋優位の偏った歴史認識を持っています。
その代表的な例として、『産業革命の、これらの技術的発展は、ヨーロッパだけの業績』と見なしている点です。(p476)
産業革命が、ヨーロッパで自然発生した多くのイノベーションにより生じ、世界を席巻し、覇権を握るに至ったという筋書きです。
もしかすると世界史の教科書がそう教えているかもしれません。
しかし、フランクはこのヨーロッパから自然発生的に産業革命が起きたという歴史観も批判的に見ているのです。
西洋が覇権を握れた理由
そういった意味で、より世界史を深く理解するためには、東洋にも目を向け西洋中心の世界システムがもたらす認知バイアスを退ける必要があります。こうすることで一見遠回りに見えますが、西洋が覇権を握れた理由にもたどり着くのです。
では西洋が覇権を握ることができた本当の理由は何なのか。
これは大きく3つポイントがあります。
一つ目が、東洋経済網のおこぼれにあずかることができたことです。
二つ目が、大量の銀をアメリカというフロンティアから持ち出すことに成功したことが挙げられます。
最後が、東洋という巨大経済圏の衰退です。順に見ていきましょう。
はじめの東洋経済のおこぼれにあずかることができたという話には、まず大前提として、十八世紀までの三世紀ほどの間、ヨーロッパが競争力において圧倒的にアジアに劣っていたことが挙げられます。
ここでいう「競争力」は何かというと『貿易収支と貨幣の流れ』です。(p234)
実際、十八世紀以前のヨーロッパは競争力のある輸出産品もなければ他の諸地域のように金や銀の輸出で穴埋めすることもできない弱小国でした。
それを示すように、ヨーロッパの国は大幅な貿易赤字国だったのです。
その貿易赤字の埋め合わせのためにヨーロッパがしていたのが、アジアを中心にして構築されていたグローバルエコノミーの物流機能を担うことです。
”ヨーロッパは・・・アフリカからアメリカへ、アメリカからアジアへ、アジアからアフリカとアメリカへ、という具合に「管理」することで、なんとか赤字を埋め合わせてたのである。”
『リオリエントーアジア時代のグローバルエコノミーー』アンドレ・フランク(2000)藤原書店(p234)
当時のアジアにとって、このような国際交易は『どうでも良い程度のもの』でした。
実際、物流機能を担うことで赤字の埋め合わせをしていたヨーロッパは、アジアから展開される国際交易が成り立たなければ破綻していたのです。
その意味でアジアのおこぼれに預かっていたという表現は言い過ぎではありません。
続いて、ヨーロッパが覇権を握るに至った二つ目のポイントは、『アメリカ大陸で彼らが見つけた金山・銀山から、その貨幣を得た』ことです。(p465)
これにより西洋は、大量の富を保有し、アジアの市場にアクセスする力を持ったのです。
物流で食いつないでいた状態から幾分自立できるようになりました。
また、自国の製品をアメリカ、カリブ海地域、南米エリアなどに輸出したことも力をつける要因になったとフランクは言います。
ただ、これでアジアを追い抜いたのかというとそうではありません。
このような金銀の大量採掘と製品の押し売りで莫大な利益を獲得しても、アジアを凌ぐことはできませんでした。
それほど東洋との差は大きかったのです。『ヨーロッパ人は、アジア経済、実際には世界経済というカジノのテーブルでは、ちびちびと小銭を賭けるだけのマイナーなプレーヤーでしかなかった』のです。西洋が力をつけ始めてからも東洋とのこの力関係は三世紀ほど続きます。(p473)
一八〇〇年ごろになってようやく西洋が東洋から覇権を奪うことに成功します。
その理由は、最後のポイントに挙げた東洋の衰退です。
より正確に言えば、国際競争において長らく劣位にあった西洋が、東洋のもつ強みを弱みに変えるパラダイムシフトを起こしたのです。
これにより、東洋の強みをますます弱みにしていくことに成功し、結果的にいつの間にか西洋が勝ち残ったのです。
このメカニズムを人口学の観点からフランクは読み解いています。
”アジアにおける、高い人口成長が、労働節約的・動力発生的な機械の供給に対する需要によって産み出される、ないしは、それに基礎を置く技術的前進を阻み、逆に、ヨーロッパにおける、より低い人口成長が、同じ技術的前進への誘因をーアジアとの競争においてー生み出した、というものである。”
『リオリエントーアジア時代のグローバルエコノミーー』アンドレ・フランク(2000)藤原書店(p498)
これまでは、西洋と比較して低賃金の労働力を大量に抱えていた東洋は労働集約的に物の生産に取り組んでいれば他国を寄せ付けませんでした。
しかし、西洋が生み出した機械という労働節約的な数々のイノベーションと競争する時にこの大量の労働人口は大きな障害となりました。
安いがゆえに機械の利用という労働節約型の方へと移行することが中々できず、西洋の生産性にいつの間にか後塵を期することとなったのです。
西洋に対する認知バイアスを外す
こうして、東洋の衰退により相対的に西洋は地位を高くし覇権を握ったというのがフランクの世界史でした。
ここまで色々と書きましたが、フランクが指摘した内容には、あまりに当然のことではありますが次のことに気づかせてくれます。
それは、本当の意味でのグローバルとは「多様性」のなかに宿っているということです。
西洋を中心に据えて歴史を見ていくことがいかに歴史を見誤らせるのかはいうまでもありません。
そして、その認知バイアスに合わないものを一蹴するのはもってのほかです。
我々は今日でも、「西洋化」することを「グローバル化」だと認識しがちです。
しかし、その認識では、今日東南アジアが急成長を遂げヨーロッパ各国を追い抜こうとすることや、中国がアメリカを抜こうとしていることの説明がつきません。
西洋だけでなく、世界の多様な経済圏の集合が本当の意味で「グローバルエコノミー」なのです。
仮に今、東洋が大きく台頭していることは、それ以外のエコノミーで衰退の兆候が出ていると捉えることが、これからの世界を見通す上で非常に重要になるのではないでしょうか。