「毎日がつまらない」
そう考えることはないでしょうか。
仕事と家の往復の毎日が続き、たまに休日が来てもそれといってやりたいことも見つからずぼーっと過ごしてしまう時なんかにはそう思ってしまうものです。
私自身そういう感覚を覚えたことが幾度となくあります。
しかしながら、できれば誰もが毎日をつまらないと感じ過ごすことは避けたいと思うでしょう。
本日はそんな我々をつまらない状況から解放するためにぜひしてほしいことを僭越ながら書かせていただきました。
あらかじめ申し上げますとそれは何か趣味を見つけることや娯楽に没頭することではありません。
毎日がつまらないと感じる人が増えている理由
まず、多くの人がなんとなく退屈であったり、毎日をつまらないものであると感じる理由をみていきます。
一般的には「おもしろいテレビ番組がなくなった」「自分の周囲の娯楽を遊びつくて飽きた」「最近は美味しいコンビニスイーツがない」といった理由が思い浮かぶかもしれません。
しかし、私は一つの根本的な理由を別のところに見ています。
それはコミュニティの衰退と崩壊です。コミュニティの崩壊こそ我々の退屈さに根本的なところでは関わっているのです。
この着想自体は、アレクシ・ド・トックビルという19世紀に活躍したフランスの知識人に得ています。
トックビルによれば、「個人の自由と平等」という思想が社会を覆うにしたがって我々の価値判断が外部のものに置くことが良くも悪くも難しくなったと述べました。
・・境遇の平等が人々に超自然的なものへの本能的な不信感を抱かせ、人間理性をきわめて高く、しばしば誇大に評価させることを示した。
だから、この平等の時代に生きる人々にとって、自らが服すべき精神的権威を人間性の外やその上におくことは難しくなっている。
『アメリカのデモクラシー』アレクシ・ド・トックビル(2008)岩波文庫
これがコミュニティを軽視する発想に繋がったというのがこの後の展開になります。
もちろん、社会から「抑圧」されていた個々人がそこからの解放を求めて来たというのは歴史の大きな流れであり、それは多くの恩恵をもたらしたことは否定できません。
しかしながら、その一方でやはり「社会」との関わりを著しく損失してしまい大きな「虚無感」を身に纏うようになったことは否めないのです。
さて、その空虚感を紛らわすために生まれたとされるのが「消費文化」です。
要するに、社会における孤立感を埋めるためにレジャー施設をはじめとする多くの娯楽施設が作られ多くの人の「言葉にし得ない退屈さ」を埋め合わせようとしたということです。
多くの人の「毎日がつまらない」という気持ちを解消する具体的な方法
詳細を割愛しているため詳細はぜひ『アメリカのデモクラシー』を読んでいただければと思うのですが、一応ここまでの内容を改めて振り返っておきます。
歴史の大転換として個人の自由と平等をうたう思想「デモクラシー」がここ200〜300年の間に社会を席巻することに成功しました。
これにより封建主義的な社会構造がガラリと変わり、多くの人は「抑圧」状態からの解放を手にしました。
それは、ある一面では多くの恩恵を個人に感じさせるものでありました。
しかしながら一方では、多くの人に空虚感をもたらすものだったのです。
現代社会はその空虚感に対して、「消費社会」の形成により解決を試みています。
しかしながら、それは束の間の「ごまかし」はできても根本的な解決にはならないのです。
さて、ここで本題に帰ってくるわけです。
このような空虚感こそが「毎日がつまらない」となんとなく感じる根本的な原因だということです。
ということは、この「毎日がつまらない」と感じる方々にやっていただきたいことは一つしかありません。
それは、何か美味しいものを食べに行くのでもなければ、何か動画を見続けることでもありません。
コミュニティの形成を行うことです。
デモクラシー勃興の渦中で生きていたトックビルは著書の中で興味深いことを述べています。
民主的な国に住む人々が政治的目的のために団体を作る権利と趣味を持たないとすれば、彼らの独立は大きな危険にさらされるであろう。それでも、富と知識とは長く維持することができるかもしれない。だが日常生活の中で結社を作る習慣を獲得しないとすれば、文明それ自体が危機に瀕する。私人が単独で大事をなす力を失って、共同でこれを行う能力を身につけないような人民は、やがて野蛮に戻るであろう。
『アメリカのデモクラシー』アレクシ・ド・トックビル(2008)岩波文庫
民主的な国において富と知識は容易に維持しうるが「結社を作る習慣を獲得しない」とすれば、文明自体が非常に危うくなると彼は言います。
その危うさの筆頭が個々人が社会から孤立して行くことで生じるであろう「野蛮さ」でした。
それを食い止める「結社」を軽んじてはならないのです。
20世紀の思想家であるアーレントはこれ<見捨てられている>と表現した上で、人々が公共空間で交わる「政治」領域の重要性を訴えましたが、本質はトックビルが述べていることとそれほど変わりません。
アーレントもトックビルも社会に対してどれほど小さな力であっても働きかけをして行くという営みを我々に求めたのです。
「毎日のつまらない」という感覚に対する処方箋としてーコミュニティ形成の重要性を学べる文献ー
どういうコミュニティを作るべきなのか、コミュニティはなぜ重要なのかをさらに探求できる本を最後にリストアップしましたので興味がありましたら是非とも手に取っていただければ幸いです。
どちらかというと「ハウツー」の類ではなく、課題設定や問題意識を一段上に置くような著書だと思っていただくと楽しく読めるかもしれません。
アレクシ・ド・トックビル『アメリカのデモクラシー第二巻上』
ジクムント・バウマン『コミュニティ』
リチャード・セネット『不安な経済/漂流する個人』
毎日がつまらないという状況に面して我々はついつい「消費」による「快楽」を獲得することで解決を試みがちです。
ギャンブルでも嗜好品でもなんでもいいのですが、多くの退屈しのぎは「消費」という言葉に集約されます。
しかしながら、根本的な原因がコミュニティの衰退および崩壊だと考えてみるならば、自分自身のつまらないという感情を克服するために必要なのは「外への働きかけ」なのです。