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ベストセラー批判

なぜビジネス書は意味がないのか?

更新日:

「俺も社会人として成長するために本を読まなきゃな」

 

そう思い立つ事とというのは社会人であれば誰しもがあるようです。

ビジネスマンの間では「読書が趣味」というのはある種ステータスにもなっているかもしれません。

 

 

さて、そのような向上心を持った人々が本屋に行って成長しようとした時にまず出会うのが今回テーマのビジネス書です。

出版不況と言われる中でもビジネス書は人気のようでして、読みやすくすぐに仕事につながると触れ込みのある本がたくさんあります。

逆に読書が趣味のビジネスマンのほとんどはプラトンやゲーテを読むことはありません。

 

 

ところで、このビジネス書に関して私が思っていることがあります。

一言で言えば「意味がない」ということですね。

おいおいそんなこというなよと言われそうですが、そう思うんだから仕方がありません。

 

人が読む本にとやかくいうつもりもないのですが、私自身ビジネス書を読み漁っていた時期を顧みたときに痛々しかったなという自戒があり同じような苦しみを感じる人が一人でも減るようにと今日は「ビジネス書はなぜ意味がないのか」をテーマに記事を書かせていただきました。

ご笑覧いただければ幸いです。

 

■『嫌われる勇気』に全てのビジネス書に貫かれている根本思想がある

さて、ビジネス書に関して意味がないというからにはそれ相応の根拠を出せと言われることでしょう。

 

もちろん全ての本に意味がないということを証明するのは困難です。

といいますのも毎日のように滝のように現れてはいつの間にか消えていくのがビジネス書の特徴だからです。(まあその現象こそがビジネス書の無駄を語っていると言っても良いかもしれません)

 

 

ですが、あえてビジネス書には意味がないという主張の説明にチャレンジしていきます。

これ実は結構根深い問題なのです。

 

その根深さを知るために代表的な書物を取り扱いながらいきましょう。

 

代表例として『嫌われる勇気』を取り上げます。

たぶん最近のビジネス書ジャンルの中ではおそらく一番売れたのではないでしょうか。

 

自己啓発の源流とも書かれていますが、ビジネス書としても多くのビジネスマンが読んで話題になりました。

累計350万部越えというのは桁が違います。

 

この代表的ビジネス書とも言える『嫌われる勇気』を検証し、全てのビジネス書に流れる「根本事象」をさぐり当てようというのが私の企てですね。よろしくお願いいたします。

 

 

あらかじめ申し上げますとここから書く内容は個々のビジネス書を批判したいのではなく、「ビジネス書の世界観」を批判することが私の意図となりますのでご留意ください。

 

 

まず『嫌われる勇気』に貫徹される哲学とは何かと言いますと『嫌われる勇気』の下記の説明が一番わかりやすいかもしれません。

アドラー心理学では、過去の『原因』ではなく、いまの『目的』を考えます。

『嫌われる勇気』アルフレッド・アドラー、岸見 一郎、 古賀 史健(2013)ダイヤモンド社 p27

 

要約すると人間の行動のいかなるものも何かが原因で起こっているのではなく、ある目的に導かれてそう行動しているのだとアドラーは述べているわけです。これは原因に人間の行動要因を求めたフロイトの逆を行く考えとなります。

 

 

さて、ここがビジネス書に意味がないと私が考える最大の要因がありますので、もう一度書きます。

アドラーは「人間は常に「目的」を動力として動いている」という心理学を提唱したのです。

 

実は、この思想は他のビジネス書や自己啓発書のほとんどが暗黙の前提としています。

人生に目的を持ちなさいという本が多くありませんか?『7つの習慣』や『金持ち父さん』などはその典型です。

他にはベストセラーとされている『夢をかなえるゾウ』なども言えますね。

 

実は今の流れで『嫌われる勇気』を見ていくと同著が売れたのは必然とも言えまして、それはいうまでもなくビジネス書や自己啓発書の「根源的事象」をしっかり押さえている思想だからです。

 

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■ビジネス書が売れる理由を数百年という時間軸で検証してみた

この「目的を立てられること」を人間固有の考えとみなした源流をたどっていきましょう。

実はこれを最初に言い始めたのはアルフレッド・アドラーではありません。

少しさかのぼりますが、トマス・ホッブズという哲学者ではないかと私は考えています。

 

ハンナ・アーレントという最も偉大な女性思想家がいるのですが、彼女は『過去と未来の間』の中でホッブズと絡めて非常に興味深いことを述べています。

たとえば、ホッブズが伝統哲学と訣別した一つの理由は、これまでの形而上学はすべて、万物の第一原因を究明することが哲学の主な務めであるとする点でアリストテレスに追随してきたのに対し、目的や目標を指示し、合理的な行為の目的論を打ち立てることに哲学の務めはあると主張した点にある。ホッブズにとってはこの点こそ重要であった。そして、原因を発見する能力なら動物でも具えており、それゆえこの能力を持つか否かは、人間の生命と動物の生命を区別する真の指標にはならないとまで主張した。

『過去と未来の間』ハンナ・アーレント(1994)みすず書房 p101

アーレントによればアリストテレスからホッブズまでの哲学は一貫して「原因の追究」を哲学の務めとしてきたと述べています。

一方で、近代の勃興期に生きたホッブズの哲学は明らかにこの視点と決別をしたと書いています。

合理的な行為の目的論を打ち立てることに哲学の務めはあるという考えにシフトしたと彼女は述べています。

 

 

実際ホッブズの主著である『リヴァイアサン』では下記のように書かれています。

こうした万人の万人に対する戦争から当然の帰結として導かれるのは、不正な者は何もないという結論である。ここには、正否とか正邪とかいった概念が存在する余地はない。共通の権力が存在しないところには、法も存在しない。法のないところには不正もない。武力と欺瞞は戦争における二大徳目である。正と不正は肉体の機能でもな愛し、頭脳の機能でもあない。仮に正邪がその種の機能であるとするならば、天涯孤独な者でもそれを、感覚や情念と同じように備えているということになろう。ところがそれは、孤独な人間ではなくて、社会生活を営んでいる人間に関する性質なのである。

 万人の万人に対する戦争状態の帰結として導かれる者は他にもある。所有も支配も存在しない状態、有り体に言えば「私の物」と「あなたの物」との区別が不正確な状態がそれである。

『リヴァイアサン』トマス・ホッブズ(2015)光文社 kindle2358-

ホッブズの考えは明快で人間は法的秩序が存在しない場合、絶え間のない闘争状態に置かれるがこれはいずれ統一政府(平和状態)を作るという崇高な目的に至るための手段であり、それ自体が起こることは当然というものです。

 

明示してはいませんが、ホッブズはある種闘争状態を高次の目的「必然」と見なしているというところが非常に興味深いところです。

普通は個別に闘争の「原因」を探そうとしてしまうものですからね。

 

このホッブズの思想は実はのちの思想家に多大な影響を与えています。

その例としてあげられるのが、近代経済思想の大家であるアダム・スミスやカール・マルクスをはじめとした主流派の経済学の人々です。今ある困難は刹那的で置いておけばそのうち自制的にある均衡地点にいずれ向かうと彼らは皆考えていました。

 

スミスは市場の自制的均衡を、マルクスは共産主義社会を描きました。(他にはハイエクのspontaneous orderなどもかなり近いですね。)

 

 

少し話が横道に逸れたのでビジネス書の話に戻しましょう。

私がここで述べたいことをまとめますと、近代の主流的な思想にすでにアドラーの提唱した「目的論」が存在したということです。

 

ここから何が言えるかということについて少し書きます。

まず、このような近代の思想を絶対視すると「目的論」的な考え方から派生した思想しか受け付けられなくなってくるということです。

 

そして、この思想が絶対化されると、現状の行動はその目的に奉仕する手段であるという認識のカテゴリーでもって人生を生き始めるのです。

 

これが危ないのです。

ビジネス書に意味がないと私が言う最大の要因はここにありまして、目的と手段という認識のカテゴリーを持ち込んだ時点で人生を無意味なものにしてしまう可能性が高いのです。

近代世界においてますます深まりつつある無意味性を、おそらく何よりもはっきりと予示するのは意味と目的とのこうした同一視であろう。意味は行為の目的ではありえない。意味は、行為そのものが終わった後に人間の行いから必ず生まれてくるものである。

『過去と未来の間』ハンナ・アーレント(1994)みすず書房 p104

アーレントが意味と目的を同一視することに警鐘を鳴らしたのはなぜか?

それは、その目的はその過程を手段化し意味を持たせないだけでなく、目的が完遂された途端その目的すらも手段となってしまい際限のないニヒリズムに追い込まれてしまうからです。

 

アーレントはカントの思想に影響を大いに受けたのですが、彼女はカントの言葉のある箇所を続けて引用します。

カント自身はこう述べている。「前の世代はただ後の世代のために辛苦に満ちた仕事に携わっているように見え・・・、ただ最も後の世代だけが幾世代にもわたる先祖たちが苦労して作った建築物に住まう幸福に与るのは、いかにも不可解である。」

『過去と未来の間』ハンナ・アーレント(1994)みすず書房 p111

 

ビジネス書とは近代を映す鏡なのです。目的と手段の認識のカテゴリーを受け入れ行動するというホッブズ以来の思想を背負っているという意味で。

ビジネス書の意味がないという感覚を持つ人はある種近代に対する違和感を持っている人間とほぼ同義と言ってよいかもしれません。

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■ビジネス書を読む前に手に取ってほしい本

ビジネス書が好きな人にとってビジネス書に意味がないということはある種喧嘩を売っているという認識を持たれても仕方がないでしょう。ただ、その認識のカテゴリーの中で本を読み進めても全て同じドツボにはまります。

 

本を選ぶ上で私が大事だと思うのが現代で主流的な認識のカテゴリーから脱却することを促してくれるものでして、それを読むことが真に自己啓発ではないかと思うのです。

 

バカな私が偉そうに書いていますが、私がこの近代的世界観に疑問をもちビジネス書を全部捨てるきっかけをくれた本を下記に記載いたしましたので、「ビジネス書って意味がないかも」と少しでも思った方はぜひ手に取ってみてください。

 

 

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こくち

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