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資本主義の本質とはなんでしょうか。

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「資本主義」

 

 この言葉が何を指すかは今日でも議論の余地があるとはいえ、多くの人が資本主義の世界で生きています。

 

 

 例えば、マルクス『資本論』では資本主義がどう描かれているのか。2つほど例を挙げましょう。

 

まず一つ目は次の箇所に書かれています。

 

資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『膨大なる商品集積』として現れ、個々の商品はその成素形態として現れる。故に我々の研究は、商品の分析を以って始まる。

『マルクス 資本論』エンゲルス(1969)岩波文庫

ここで述べられているのは、あらゆるものが商品化され、その集積こそが社会の正体だという見解がマルクスにとっての資本主義社会です。

 

 

 2つ目は次の箇所です。

然るに、労働諸生産物の使用価値から現実的に抽象してしまうと、上に限定するごとき価値が残

る。故に商品の交換関係たる交換価値に現れるところの共通物とは、即ち価値であるということにある。

『マルクス 資本論』エンゲルス(1969)岩波文庫

 資本主義社会は「あらゆるものを交換する社会」であり、商品の交換における交換時の価値が極めて重要となるとマルクスは述べます。つまり、あるモノの価値はその対象の使用価値だけでは決まらないということです。

 

 

 上記のように、「あらゆるモノが商品や商品の交換価値と成る」という考えは、多くの人が共有しているのではないでしょうか。

 

 ただし、この資本主義観はあくまで資本主義の初期段階でのことでしかなく、資本主義の本質ではないと述べた先駆的な本があります。

 

 レーニンの書いた『帝国主義論』です。

 

 レーニンは、社会主義国家の設立者でありますが、その国家が破綻したという歴史的経緯があり、現代ではあまり評価されていない人物です。

 

 極左のテロリストくらいに考えている方も多いでしょう。

 

 しかし、この本には、資本主義の本質について今日でも妥当することが書かれています。

 

レーニンは、社会主義国を作ったことがよくなかったものの、資本主義に対する課題設定は非常に素晴らしいのです。

 

 

本章ではレーニンの語る資本主義の本質と彼の資本主義批判の一端をご紹介いたします。

資本主義の本質

 まずは、一般的な資本主義というイデオロギーの目的から見ていきます。

 

レーニンは一般的な資本主義観として「私有財産」「自由競争」「民主主義」の3点をあげます。

 

 しかし、それらは、多くの労働者や農民を欺くためのスローガンでしかないというのです。

小規模経営者の働きに基づく私有財産、自由競争、民主主義ーこれらのスローガンは、資本家とその手先である新聞・雑誌が労働者と農民を欺くのに使ってきたのであるが、いずれも遥かに遠い過去のものとなった。

『帝国主義論』ウラジミール・レーニン, (2006) 光文社古典新訳文庫

 

 この3点が過去の産物ということは、例えばあるものの値段は、市場でそのほかの商品との関係性から機械的に決まるという一般通念も過去の産物だということです。

 

 では、レーニンは資本主義の本質(何をゴールにするか)をなんだと考えたのでしょうか。

 

 

それは「独占」です。

 

「独占」こそが資本主義の目指すゴール地点であり、それまでの過程は下準備でしかないのです。

 

 この考え方はおそらく社会通念とは逆ではないでしょうか。

 

 「自由競争」が存在するという前提で市場を分析し、何かを論じようとするあらゆる主張を批判するものと言っていいでしょう。

 

いかなる独占も存在しない場合、自由競争は資本主義と商業を発達させるだろう、と仮定してみよう。ところが、商業と資本主義の発達が急速であればあるほど、生産と資本の集中はますます強まる。そして、そのような集中が進めば、その結果として独占が出現する。しかも現実には、独占はすでに出現済みなのである。ほかならぬ自由競争を母体として!

『帝国主義論』ウラジミール・レーニン, (2006) 光文社古典新訳文庫

 

 レーニンはこれまでの資本主義に対する観念をひっくり返し、資本主義が生産と資本を集中させ、肥大していき、いずれ独占に着地するものと述べているのです。

独占と搾取を後押しするもの

 では、この独占はどのようにして完成するのでしょうか。

 

 レーニンは、同業者間によるカルテルやトラストも挙げていますが、主眼は「金融資本」が「産業資本」に密着し飲み込むことだと言います。

 

生産の集中化、それをもとに発達を遂げる独占たい、銀行と産業界の融合ないし癒着ー。これが金融資本の発達史であり、金融資本という概念のないようである。

『帝国主義論』ウラジミール・レーニン, (2006) 光文社古典新訳文庫

 

 ここで繰り返し出てくる「金融資本」とはなにを指すのでしょうか。

 

これは俗にいう銀行資金のことです。

 

 つまり、銀行が資本の独占を後押しするのです。

 

 彼がいうには、確かに銀行は決済の仲介が本来的な業務でした。

 

銀行の基本的で本来的な業務は、決済の仲介である。銀行はその際、不活動資本を活動資本(つまり、利益を生む資本)に変える。

『帝国主義論』ウラジミール・レーニン, (2006) 光文社古典新訳文庫

 

 

 しかし、より多くの取引を取り扱う中で、企業を統率するという方向に向き始めたのです。

 

一部の銀行は、集中化のプロセスが進んだ結果、資本主義経済全体を統率する立ち位置へと移ろうとしている。

『帝国主義論』ウラジミール・レーニン, (2006) 光文社古典新訳文庫

 

 貨幣というものを媒介にして産業が綺麗に一つにつながったということです。

 企業を統率する具体的な流れとして、いくつか例を挙げています。

 

 一例として、景気後退時の企業支配が挙げられます。

 

 

 銀行は、企業へ融資を行いながら、景気拡大時にはその利益の一部をとりつつ、景気後退時には脆弱な企業に出資して安値でその企業の支配権を掌握します。

 

産業界の景気が活気づく時期には、金融資本の利益は途方もなく大きなものとなる。一方、沈滞期に入ると、規模が小さくて脆弱な企業が倒れる。すると、巨大な銀行が出資することによって、それらの企業を安値で買い取る。

『帝国主義論』ウラジミール・レーニン, (2006) 光文社古典新訳文庫

 

 銀行は産業資本に比べて、リスクを犯すことなく支配できることが特徴だとレーニンは言います。

 

なぜなら、世の中は銀行を中心にしているのかのように、銀行に都合の良い制度があるからです。

その代表が、持株会社という制度です。

 

 

 巨大銀行が持ち株会社となり、事業が失敗してもリターンを得ています。

 

 しかも、この時に銀行の人間を当該企業の役員として送り込んで企業を支配するのです。

 こうして、金融が活動領域を拡大することで、不要な事業を社会から切り落とし、良いものを肥大化させ、資本主義の独占が完成するのです。

資本主義はいずれ帝国主義になる

 

 金融資本による社会の統率を資本主義の最終段階とし、レーニンはこの段階を「帝国主義」段階だと述べます。

 

「帝国主義とは、資本主義の独占段階のことである」と述べればよかろう。

 

この独占段階の兆候は「自由競争」とは正反対の状況です。経済の停滞と腐敗は避けられません。その停滞と腐敗の帰結として他民族への抑圧が強まります。

 

帝国主義の政治的特徴は何か。それは、金融寡占制による抑圧が発生し、自由競争が排除されることである。そして、それに起因して全面的な反動が起こり、他民族に対する抑圧が強まるということである。

『帝国主義論』ウラジミール・レーニン, (2006) 光文社古典新訳文庫

 

 こうして、国家は、銀行による独占から停滞した資本の行き場を探すべく、世界中で競って侵略や植民地化を行ったのです。

 

 ここまで、資本主義の末路が帝国主義になるという話を書いてきました。資本主義に対するイメージは多少なりとも変わったのではないでしょうか。そして、レーニンの主張はそれほど非常識なものではないと思われます。

 

 また、この帝国主義というものは単なる昔話ではありません。

 

 

日本のビジネス界や政治において当たり前のように「アジアの成長を取り込む」という言葉が飛び出します。

 

背景には日本市場の少子高齢化云々ということもありますが、自国での資本拡大が限界に達したため、他国からぶんどるという帝国主義的な考え方をしているのです。

 

 

 地理的な侵略は現代では起こりにくいですが、経済的に帝国主義を推し進めようという気配が覆われているのは間違いありません。

 

 

もちろん、彼が『悪びれることのない公然たる帝国主義者は、出番が少ない』と述べたように大手を振ってる帝国主義者は滅多にいません。

 

 

しかし、帝国主義は『他民族に対する抑圧が強まる』という点においていかなる理由であれ断じて容認できないものなのです。

 

帝国主義的な発言が飛び出したときに、もっと多くの人が批判的な態度を取る意味でもぜひ一度読んで見てもらいたい一冊です。

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