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全体主義について

自称保守はなぜ日本を滅ぼしかねないか

更新日:

最近、訳あって政治についていろいろ調べています。

政治思想というものは一見遠いようで、我々の社会を映し出す極めて重要なものであると感じたことがきっかけです。

以前は下記のような記事を書きました。

「保守」、「リベラル」、「右」、「左」これらの意味について

 

いろいろと政治について調べていくと一つ分かることがありまして、最近の日本はどうもやばいなということです。

そのやばいの要因となるのがタイトルにしている「自称保守」ですね。

 

今日は、「自称保守」がなぜ日本の脅威となるのかを書かせていただきます。

 

■目次

自称保守とは何か
自称保守は何が危険か
自称保守にならないために

■自称保守とは何か

さて、世間では「保守」を自称していながら「保守」とは対極の人たちというのがいます。

これを私は自称保守と読んでいます。

 

では、そもそも「保守とは何か?」ということになるでしょう。

 

これには国によっても異なるでしょうし、我が国の中でも議論が別れるところではあります。

ただ、ある程度の条件はあるというのが私の立場です。

 

日本における「保守」とは、「尊皇攘夷」と「経世済民」です。

 

これについて書くことが趣旨ではないので、簡略にそれぞれ説明します。

まず、尊皇攘夷とは2000年以上も続く皇統に敬意を表すとともにそれに脅威となる外敵を打ち払うというものとされています。

こちらは伊藤仁斎に始まったとされ、荻生徂徠、会沢正志斎、福沢諭吉、西郷隆盛、三島由紀夫などに脈々と引き継がれてきた由緒正しき思想です。皇統とは国をつなぐ象徴であり、皇統なきところに「日本国民」なしというのが尊皇攘夷の考え方です。

 

続いて、経世済民ですがこちらは、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」ことを意味するのですが、尊皇攘夷に比べ実利的な思想です。

平たく言えば、民が餓死しないように国を治めるべきだという為政者の哲学です。

 

 

こちらは、アメリカ的な「金を稼ぐために働くこと」などに対する日本人が感じる違和感などの原体験を構築しています。

二宮尊徳、福沢諭吉、渋沢栄一などの著書に色濃く現れており、日本の伝統思想と言って良いでしょう。

 

 

日本における保守思想というのは多かれ少なかれこの二つのいずれもからそれることは許されるものではありません。

もし外れても良いものがあれば教えてください。

 

本題に戻りましょう。

しかしながらどうやら最近これらを平然と逸脱しながら「私は保守だ」と言っている人間がいるのです。

つまり、外敵を歓迎して迎えたり、国民を飢えに導く政策を平然とうち出すのです。

 

この筆頭例は我が国の権力者安倍晋三の支持者です。

 

安倍さんは、自分のことを保守と呼んでいますが、幾多の例が示す通り「保守」ではありません。

*この時点で「安倍さんは保守だ」と思われている方はとりあえず下記の記事を読んでいただけると幸いです。

【備忘録】安倍総理のとんでも発言まとめ

 

そして、この「保守ではない」総理大臣を支持する「私は保守だ」と言ってる言論人や雑誌、メディアがあるのですが、これら全てが「自称保守」です。

有名人でいうと櫻井よしこ、辛坊治郎、三浦瑠璃、百田尚樹、有本香、金美齢、竹田恒泰などですね。

 

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■自称保守は何が危険か

さて、今述べた有名人に限らず、安倍総理を無条件に支持する「自称保守」はなぜ危険なのかという本題に入っていきましょう。

 

その危険を幾度となく私は体験しています。

しばしばこれらの自称保守と論を争わせるのですが、いくら事実を見せ安倍総理が売国奴であることを示してもあるマジックワードを使って最後には思考停止をしてしまうのです。これが典型的な自称保守の特徴です。

 

その最後の砦とは「民主党よりマシ」「他の野党には任せられない」という一言ですね。

「より小さな悪」を選択したと声高に叫ぶ人たちです。

 

よくある会話シーンは以下のような感じです。

 

確かに菅直人や鳩山由紀夫は売国奴かもしれないし、国賊かもしれない。

しかしよく事実を見てもらうと安倍総理はこれら2人と同等かそれ以上ではないか?(私)

いや。民主党よりマシでしょ(自称保守)

 

まさにこのような会話を何度も経験しています。

 

民主党より自民党のほうがやばいのではないかとは自称保守は考えないのです。

 

実は、ちょっと考えれば民主党よりタチが悪いということはわかります。

一つの例としては、民主党が主導した「消費税増税」と「TPP参加」があります。

 

自民党は野党時代明確に「反対」の論陣を張っていました。そして民主党を徹底的に批判していました。

 

「デフレで増税は国民を苦しめるだけで税収は増えない」「TPPに断固として反対し日本の農業を守る」

安倍総理はこういうことを言っていました。

 

 

しかし、与党になった今どうでしょうか。

民主党と同じことをいうだけでなく、「急進的に」進めようとしていませんか。

 

 

他にも移民を大量に入れたり、農協に攻撃を仕掛けたり、北方領土の主権を放棄したりと安倍総理の政治手腕は「売国奴」の一言で片付けられるほどの惨状なのです。菅直人もここまではやりませんでした。

 

ただ、いかに丁寧に説明を尽くしても「民主党よりはマシ」「安倍さん以外に任せられる人はいない」という考えから離れられないのです。

 

今の自称保守と見ていくと私はよくハンナ・アレントという思想家の言葉を思い出します。

この「より小さな悪」という論拠は、道徳的な正当化を目指す試みとして重要な役割を果たしました。この論拠によると、二つの悪に直面している場合には、より小さな悪を選択する義務があり、どちらも選択しないというのは誤謬であると反論すると、<きれい好きの道徳論>だと非難されます。

『責任と判断』ハンナ・アレント ちくま学芸文庫(2016)p59

 

アーレントは、ナチスが生み出した全体主義社会を研究した思想家なのですが、彼女は当時の巨悪に加担した人々の行動原理について上のように分析したのです。

二つの悪に直面している時、に直面している時、どちらも選択しないのは綺麗好きであると。

 

 

今でいうと民主党は酷いのだからよりマシな自民党を選ぶしかない。。。というものですね。

 

まさにアーレントが述べた「より小さな悪」をひたすらに掴み続けるのが安倍総理を取り囲む支持者たちなのです。

 

この「より小さな悪」というのはナチスによる大量虐殺の正当化にも使われたとアーレントは指摘しています。

政府の役人とすべての住民に、悪を悪として受け入れさせるように条件付けるために、<より小さな悪>という論拠が意識的に利用されていたのです。

 多くの実例がありますが、一つだけ例をご紹介します。ユダヤ人の絶滅措置が実行される前に、次第に激しさを増しながら、一連の反ユダヤ主義的な措置が採用されました。これらの措置はどれも、協力しないと事態が悪化するという理由から受け入れられたのですが、ついには最後にはもはやこれ以上の悪いことが起こりえない段階が訪れたのです。しかしこの最後の段階に至ってもこの論拠が放棄されなかったこと、そしてその誤謬が誰の目にも自明なものとなっている現在でも、この論拠がまだ利用されているということには驚かされます。

『責任と判断』ハンナ・アレント ちくま学芸文庫(2016)p61

 

「より小さな悪」は一度選んでしまえば最後で、「最悪の事態」が起きてもその論拠に従ってしまうと彼女は述べています。

まさに安倍総理が売国に勤しもうとも「より小さな悪」という論拠でしがみつく自称保守は国家の破壊に加担しているのです。

 

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■自称保守にならないために

今や「保守」と呼ばれる人が国を破壊し、「売国奴」「左翼」と言われる政党が国を守ろうとしています。

これはまさに、ヒットラーやスターリンが支配した全体主義国家に非常に近似しています。

ですから、何らかの理由や目的から、古い「価値」や徳を廃絶したいと考える人がいたら、その人は新しい決まりを提示しさえすれば良いのです。この新しい決まりを確立するには、強制も説得も不要です。新しい価値が古い価値よりも優れたものであることを証明する必要もないのです。・・・全体主義の支配者がいかに、西洋の道徳性の基本的な掟を逆転させることに成功したかをご覧ください。ヒトラーのドイツでは、「汝殺すなかれ」という掟が、スターリンのソ連では「汝の隣人について偽称するなかれ」という掟が、いとも簡単に逆転されてしまったのです。

『責任と判断』ハンナ・アレント ちくま学芸文庫(2016)p325

そういった危機的な状況の中で我々を救うのはなんであるとアーレントは述べたと思われますか?

 

「思考」をせよ。と述べました。

 

本当に自民党は民主党や共産党よりマシなのか?

安倍総理は本当に日本の伝統や文化を守る「保守」なのか?

 

 

それを考えるだけでいいのです。

 

 

「より小さな悪」というものが我々を思考停止に追い込み最悪の事態を招く結果となります。

「日本はドイツやソ連のようにはならない」という人も多いですが、そんな根拠はどこにもありません。

 

一人一人が「思考」を続けることで、「良心」が巨悪から我々を救ってくれることでしょう。

 

思考とは、沈黙の対話における<一人のうちの二人>であり、これが意識に与えられた私たちのアイデンティティのうちの差異を現実のものとします。そして思考はその副産物として良心を生み出します。

『責任と判断』ハンナ・アレント ちくま学芸文庫(2016)p343

 

総理大臣だろうと、大学教授だろうとMBAホルダーだろうと会社経営者だろうと、マッキンゼー出身だろうと「全能」ではありません。

「良心」を持った我々一般人の方が往々にして判断を誤らない可能性だってあるのです。

もはや権威はあてにならない時代に我々はいきています。

 

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