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保守について

今再評価されつつある大日本帝国憲法の特徴について

更新日:

ここ五年くらいでしょうか。

おそらく安倍政権以降に顕著なのですが明治維新期をクローズアップするというのが流行のように思います。

安倍首相が吉田松陰を尊敬していることもあってか明治維新期を引き合いに改革を進めていきたいと毎年のように述べています。

 

安倍晋三の「晋」は高杉晋作の「晋」からきているとも言われているほどですからね。

さて、そんな明治維新期が大好きな安倍晋三さんですが、2020年というのを節目に憲法を改正したいとしきりに言っておられます。

 

どのように変えたいかは実は(現在公開されている自民党草案とも異なるのではないかと言われていますが)ネットに公開されている自民党改憲草案がベースになると言われています。下記がリンクです。

https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf

 

この自民党改憲草案はどういうものかというと今回テーマにしている大日本帝国憲法に現行憲法を近づけるものと私は見ています。

(少なくとも過去の発言から日本国憲法は相当嫌悪しているかつ支持母体がやたらと明治賛美や大日本帝国憲法推しが強い)

 

そういう意味で大日本帝国憲法がどういうものだったかを理解しておくことは非常に重要なのです。

そこで今日は、安倍政権に神格化され、「日本の近代化としてのマイルストーン」とされている明治の大日本帝国憲法について記事を書かせていただきました。

 

大日本帝国憲法は憲法とは言い難い

大日本帝国憲法というのは教科書では明治期に突入した日本の近代化の象徴として書かれています。

しかしながら、大日本帝国憲法というのはよくよく考えてみると憲法としては不十分なのです。

名ばかり憲法ではないかという話です。むしろこれに感化されることは近代文明国家を放棄するものです。

 

なぜかというと、(近代国家がいいか悪いかは別としても)今日の「近代国家」に該当する国がほぼもれなく採用している「立憲主義」というプロットの本旨に大日本帝国憲法は該当しないからです。

具体的に言いますと憲法とは「国家権力を縛るもの」というのが第一にくるもののはずなのですが大日本帝国憲法は「天皇から与えた」という構図をとります。(欽定憲法と呼ばれる)

 

専制国家化への宣言を明文化しただけにすぎないというのが私の見方です。

 

一応「欽定憲法」自体は辞書的には「権力者が自発的に」作っていることになっているのですが、権力者を縛るルールが権力者側によって構築されればそれが被支配者にとって不完全となる可能性が非常に高くなるのはいうまでもありません。

 

 

そういう意味で、国民のコンセンサスの元、権力者へ約束させているという構図をとらなければ憲法としては不完全です。

一応フランスも十九世紀は欽定憲法がありましたが、二十世紀には民定憲法に切り替わっています。

 

この流れで言えるのは、大日本帝国憲法のような欽定憲法に近づけようなどともしするならばそれは極めて反時代的な動きであるということです。しかしながら、その恐ろしいことを目論んでいるのが自民党です。

 

印象論ではなく、大日本帝国憲法の時代を美化しそちらに憲法を近づけようとしているのが自民党改憲草案です。

それについて次の章では書かせていただきます。

 

大日本帝国憲法をベースにすればカルト教国へ移行する可能性は高い

丸山眞男という戦後を代表する思想家がいます。

彼は自虐史観者と自称保守論壇から今日では言われるほどに戦時体制批判の急先鋒とも言える人物です。

 

その丸山が戦時体制の特攻をはじめとする気違い染みた幾多の現象がなぜ起きたかを分析した本があります。

ズバリ丸山は、天皇を最頂点とし歯止めをかけるものを何もない状況にしたことを悲劇の最大要因にあげています。(これを彼は「超国家主義」と呼んでいる。)

このようにして、全国家秩序が絶対的価値体たる天皇を中心として、連鎖的に構成され、上から下への支配の根拠が天皇からの距離に比例する、価値のいわば漸次的希薄化にあるところでは、独裁観念は翻って生長し難い。

『超国家主義の論理と心理』丸山眞男(2015)岩波文庫

「伊藤博文万歳」、「東條英機万歳」ではなくあくまで「天皇陛下万歳」だったということが当時の統治機構のあらましを物語っていますよね。

大日本帝国憲法は先に述べたように欽定憲法ということもあり権力の暴走に歯止めをかけるどころか後押ししていたとも言えるほど無能でした。

 

こんな無能な憲法に近づけようとしているのが前章で述べましたが自民党安倍政権なのです。

 

試しに現行憲法と改憲草案の読み比べをしてみましょう。

 

一つ目は天皇についての記載です。

上が現行憲法で下が自民党改憲草案です。

第 一 条 天 皇 は 、 日 本 国 の 象 徴 で あ り 日 本 国 民 統 合 の 象 徴 で あ つ て 、 こ の 地 位 は 、 主 権 の 存 す る 日 本 国 民 の 総 意 に 基 く

現在の日本国憲法

 

第 一 条 天 皇 は 、 日 本 国 の 元 首 で あ り 、 日 本 国 及 び 日 本 国 民 統 合 の 象 徴 で あ っ て 、 そ の 地 位 は 、 主 権 の 存 す る 日 本 国 民 の 総 意 に 基 づ く

自民党改憲草案

 

天皇が「元首」であると追記されています。元首とは国の代表をする者と辞書では書かれています。

国家の首長。国際法上、外国に対して国を代表する者。君主国では君主、共和国では大統領。

google辞書より

 

この「元首」というテクストの明記をされたくらいでは一見それほど問題がないように思われるかもしれません。

しかし、追記するからにはそれなりに意味があります。

これは広く指摘はされていることなのでご承知かもしれませんが、「元首」と規定することで天皇陛下を国のトップに位置する人間と明確に規定でき、国事行為の幅が著しく広がりかつ実質的な意味を付与することが可能になります。

 

 

つまり、自民党改憲草案が実現すれば、権力者が天皇の権威を借りて好き放題できる「抜け穴」らしきものができ、丸山眞男の指摘する「超国家主義体制」(カルト)に移行する可能性はぐっと上がるのです。

 

他にも些細ですが、13条の変更なども非常に危険です。

上が現行憲法で下が改憲草案です。

第 十 三 条 す べ て 国 民 は 、 個 人 と し て 尊 重 さ れ る

 

第 十 三 条 全 て 国 民 は 、 人 と し て 尊 重 さ れ る

「個人」として尊重されるという記載から「人」として尊重されるとなっています。

ここについてはもちろん一通りの普遍的回答があるわけではないので「考えすぎ」というご指摘もあるかもしれませんが、変更がある以上「意図」を読み解く必要があります。

 

「個人」というのは近代以降に誕生した概念で生まれながらに多様性を尊重されるべきであるという趣旨から「自然権」というものが付与されているという考え方に立ちます。(個人=人+自然権)

一方で、「人」というのは「自然権」という近代以降に誕生した考え方を引っこ抜くものになります。

 

 

要するに一人一人の国民の尊重をするレベル感が変わるという話です。

明確に落ちるという言い方をここではさせてください。

 

「国家のために」のウエイトを高めるための布石と考えれば原理主義カルトへの誘いを匂わせています。

他にもあるのですが、字数が思ったより増えたのでそれはまた別の機会にします。

 

最後に「花畑左翼」と言われる人より「改憲バカ」の方が危ないという話をします。

 

護憲バカより改憲バカの方が危険

「憲法はもうずっと同じなのは日本くらいで古い部分は変えていかないといけない」という風潮があります。

確かに、憲法9条を筆頭に一部変更がなされることに私も支持する立場です。

 

しかしながら何でも変えればオッケーというのは違う話です。

例えば、現行憲法を大日本帝国憲法に近づける自民党改憲草案のような改憲は国民にとって百害あって一利なしです。

大げさではなく、前の章でもその予兆を示した通り自民党改憲草案が完成すると国家原理主義カルトに組み込まれ、天皇陛下のためという名目のもと悪しき権力者の駒になり下がります。(ここにあげていないのでいうと緊急事態条項などはその典型です)

 

 

安倍首相などは憲法を変えたからと言って急に大きく何かが変わることはないとどこかで語っていましたが、それなら憲法を変えなくてもいいわけで、変えるからには明確な意図があります。権力者にとっていい変更は国民にとっていい変更とは限りません。

 

権力者が自分を縛るものを変えたい変えたいという場合それが国民にとってデメリットとなる可能性が高いのは力学から考えて妥当です。

 

ところで、共産党や社民党が憲法9条を死んでも守れと叫んでいるのを嘲笑する傾向が昨今あります。

 

確かにこれらの政党の主張に利益はないかもしれません。

しかし、デメリットはない分比較にならないくらいマシです。

 

そういう意味では、今は改憲すべきと考える人ですら「近代国家として」「個人として」尊重される国家を維持するべく護憲に回るべきです。

ファシズムというのは左右ではなく土台自体を破壊しにくるとウンベルト・エーコが『永遠のファシズム』で述べましたが、大日本帝国憲法化はまさにファシズム現象です。

 

実は先に紹介した丸山眞男は日本型ファシズムの脅威は戦後も続いていると述べましたが、今まさにその脅威が最接近している時でしょう。

ところで、ファシズムの強制的な同質化とセメント化のプロセスによって、個性も理性的批判力もなく、外部からの刺激に受動的に反応するだけの、砂のように画一的なマスが造り出されるということを先ほど申しましたが、実はこうした意味における国民のマス化は、現代の高度資本主義の諸条件の下で不可避的に進行している傾向なのであって、ファシズムはただその傾向を急激に、また極端にまで押し詰めたものに過ぎないということ忘れてはなりません。

『超国家主義の論理と心理』丸山眞男(2015)岩波文庫 kindle 2795

 

日本国家の脅威は北朝鮮でも中国でも韓国でもロシアでもなく、安倍政権だという話ですね。

 

こくち

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