いつもご覧いただきましてありがとうございます。
突然ですが、質問です。
毎日を過ごしていく中であなたは楽しくて楽しくてたまりませんか?
もしそうなら相当あなたは幸せ者でしょう。それは非常に喜ばしいことです。
一方で、毎日を過ごしていく中で「死にたい」「消えたい」と思うことがありますか?
もしそうならそれは辛いですね。
ちなみに惜しみもなくいうと、私は後者です。
そんなことを思ってるのは私だけか?というそうではないかもしれません。
一般論として、自殺する人などが一定数毎年いることを見ますと、「死にたい」「消えたい」と思っている人というのはそれなりにいるでしょう。
そこで、私は長らく「死にたい」「消えたい」と思ってしまった時にどうすべきかを考えてきました。
そして、何かしら同じ考えを持つ人の力になれればと考えてきました。
考える中でいろいろとわかってくることがあるもので世の中一般に正しいとされている対処法こそおかしいのです。
今日は、「死にたい」「消えたい」で苦しんでいる人にぜひとも聞いて欲しいお話を書かせていただきました。
■死にたい時、消えたい時に犯す誤った対処法
あなたが、もし「死にたい」「消えたい」と思った時にどうしますか?
いろいろあると思います。
- 友達に話す
- 旅行をする
- 好きなものを食べる
などなど。まあこういったもので解消されれば問題ないですよね。
ただ、「死にたい」「消えたい」と思い詰める人は上に書いたような段階で解消できる人はそう多くありません。
そこで、どのように対処するのかなのですが、最近はやりの方法があるのです。
それは「心理学」に助けを求めるというものです。
これは心理学の本を読むというパターンもありますが、他にもカウンセリングを受けたり、自己啓発書を読んだりといった少し姿を変えた形でも現れます。共通点は自らの内面を見つめ直し、自らを世界に合うように変更するというものです。
このような形で生きていく方法を支援する本というのは世の中にたくさん出回っています。
本屋に行くと心理学や自己啓発と呼ばれるジャンルがバカ売れしているようで、出版不況でありながら何万部何十万と売れる本も少なくありません。
例えば、アドラー心理学でおなじみ『嫌われる勇気』だったり、コーヴィーの『7つの習慣』だったりが有名でしょうか。
日本人でいうと本田健さんや千田拓哉さん、堀江貴文さんなどが有名です。
さて、これらは大人気であるということを承知の上で申し上げるのはなんとも勇気がいるものですが、読むべきではありません。
特に「死にたい」「消えたい」とまではいかなくても精神的に弱っている人ほど心理学の本は読むべきではありません。
その理由については私がハンナ・アレント『政治約束』という名著の中でも下記の有名な一節を紹介させてください。
現代心理学は砂漠の心理学である。私たちから判断能力・・・が失われた時、私たちは、もし砂漠の生活という状況下で生きて行けないとしたら、それは私たち自身に何か問題があるからなのではないかと考え始める。心理学は私たちを「救済」しようとするのだろうが、それは心理学が、私たちがそうした情況に「順応」する手助けをして、私たちの唯一の希望を、つまり砂漠に生きてはいるが砂漠の民ではない私たちが砂漠を人間的な世界に変えることができるという希望を、奪い去ってしまうということを意味しているのだ。心理学は全てをあべこべにしてしまう。私たちは未だに人間であり、未だに損なわれていないのである。危険なのは砂漠の本当の住人になることであり、その中で居心地よく感じることである。
『政治の約束』ハンナ・アレント(2008)筑摩書房 p233
ここでは何が書かれているのか?ということを少し補足します。
アーレントによれば、現代社会とは見渡す限り一面、道標のない砂漠のような世界であるとのことです。
彼女の言う砂漠とは何を意味しているのか?
これは彼女の代表作である『全体主義の起源』と私の推測も踏まえた解釈ですが、宗教、ギルド、農村といった既存の中間組織の崩壊の結果、人々は何も寄る辺とすることができない孤立した世界に放り込まれたということを意味しています。
そんな何も信じられない状況に追い込まれた個人が何をするのかというと心理学に助けを求めると彼女は述べているんですね。
確かに、心理学は苦しむ我々に手を差し伸べてくれるかのように見えます。
しかしながら、これを手に取ることが、我々をその砂漠で安住することに導いてしまうということを彼女は嘆いているのです。
つまり、決してその砂漠を緑豊かな世界に変えようという発想は生まれてこなくなるのです。
実は、私は心理学や自己啓発の類が数年前まではとても好きで一週間に一冊は読んでいたくらいのハマりようでした。
これを読めば自分が強くなるとかこれを読めば自分は変われるとか根拠なきオプティミズムに浸っていたのです。
しかしながら、アーレントの『政治の約束』という本の中にある先の一節は私の考えを180度変えました。
この本を貫徹する考えというのは「我々がおかしいのではないか」という哲学が時として我々自体を滅ぼしかねないという主張です。
確かに『嫌われる勇気』は「死にたい」と思うあなたに勇気をもたらすかもしれません。
確かにホリエモンの本は「消えたい」と思うあなたに勇気をもたらすかもしれません。
しかしながら、その行為自体が「自分自体がおかしい」という認識を決定的にしてしまい自己破壊に繋がってしまう可能性が極めて高いのです。
■死にたい人や消えたい人はどうすればいいのか
では、アーレントは何も信じられない人間の筆頭とも言える「死にたい」’「消えたい」と感じる人にはどうするのが良いと考えたのか?
これはアーレントの下記の一節を読んでいただくといいかもしれません。
すなわち、私たちの目下の不安の真ん中に人間を据えて、不安の種が取り除かれる前に人間は変えられねばならないいと持ちかけるいかなる回答も、深い意味で非政治的であるということだ。なぜなら政治の中心にあるのは、人間ではなく、世界に対する気遣いだからである。
『政治の約束』ハンナ・アレント(2008)筑摩書房 p137
アーレントは哲学ではなく「政治」を取り戻せと述べています。
この「政治」という言葉はどういう意味でしょうか?
アーレントの述べる「政治」は一般にイメージされる国会の風景などとは少し異なります。
アーレントにとってはもっと「政治」というのは我々にとって身近なものです。
これをあまり単純化するのがいいとは思いませんが、「他者との利害調整」「他者との交わり」という意味で理解いただくのが良いかもしれません。
自らの内面を見つめて勝手に自らを改変するのではなく、「他者との利害調整」を通して、自らを修正したり、自らを尊重したりせよということですね。
アーレントが面白いのは彼女が「哲学」という時、その言葉は一人で考えにふける人間像を決して描かないことが特徴的です。
彼女は、哲学を「ポリス」(集会)に求めました。
だから彼女はソクラテスにこだわったとも言えるのですが、アーレントがもし「死にたい」「消えたい」と思っている人に一言言うとしたらおそらく「他者との欺瞞なき対話の場に繰り出してはどうか」というものだと個人的には思います。
自らの困難の克服というのは自分の内面の分析や自ら自体の変更によってなし得ることは不可能であるということは彼女の師範であるカール・ヤスパースも述べたところです。
心理学的・論理学的・形而上学的な言表は常に同時に逸脱の可能性を示している。そこに使用される普遍性はかかるものとして分離してしまっていることがあるーこの場合には実存解明は成功しない。
『哲学』カール・ヤスパース(2011)中公クラシックス
■あなたは何に救いを求めるべきか
最後に少しだけまとめて終わりにします。
「死にたい」「消えたい」と考えてしまう時、今感じている苦痛の克服を我々はともすれば自らの内面分析や自ら自体の変更によって成し得ようとしがちです。
しかしながら、それは極めて安易であるだけでなく時として砂漠の中で生きるという宣言となってしまう可能性があるのです。結果的にあなた自身を滅ぼす引き金となる。
心理学はあなたを救うどころかあなたにとどめを差しかねない、、、そのことをぜひ知っておいてもらえればと思います。
では「死にたい」「消えたい」と感じる人はどうすればいいのか?
それは「政治」の世界へ行くかもしくはないならば自分でその「政治」の世界を作り出すということがアーレントの助言です。
アーレントのいう「政治」とは「他者との利害調整」「他者との交わり」を意味するということを書かせていただきました。
補足するとこの考えの根底には「自己」は「自己」に依ってのみ作られるのではなく、「他者」の存在があって初めて作られるという近代哲学を乗り越えたものが存在します。
心理学は「自己」を「自己」に依って変えるという世界観から逃れられなかった。。。
そのことを心理学を知る上で知っておくべきことかもしれません。
そして安易な解決策として選びがちであるということを心に留めていただけると幸いです。