「アベノミクスで失業率は大幅に改善しました」
「GDPは間も無く600兆円を超えます」
「もはやデフレではないというところまできました。」
そういう風にここ5年くらい言われてきて、日本経済は何かいい方向に向いているというレジームが今の日本では形成されつつあります。確かにリーマンショックの時と比較すると現在のほうが経済が好転しているという感覚値は多くの人の中であることでしょう。
ただ、「経済が良くなっている」というのはそもそも何を持って測るべきなのかと言われると困る方も多いのではないでしょうか。
今日は日本経済の現状を理解する上でしばしば用いられる3指標についての考察を書かせていただきます。
現状の経済を把握する方法
本題に入る前に少しだけ寄り道をします。
自分たちの国の経済が現状どうなっているのかと知りたい時に我々はどうするでしょうか。
この問いについて考えなければ今後の日本経済の動向は見えてきません。
これに対する現代社会の回答は「経済指標を活用する」と言って良いのではないでしょうか。
経済指標および経済統計を使って経済を理解する以外に経済を理解する方法がないんじゃないかと思わせるほどにこのスタイルは定着しています。
冒頭に挙げたGDP、失業率、株価、名目賃金、消費者物価指数などなど多くの指標がありますが、いずれにせよそれらを通して現状の経済がどうなっているのかを我が国でも見出そうとしていることに疑いを持つ人はいないでしょう。(特定のイデオロギー的立場に関係なく)
ただ、この「経済統計」というものは万能ではありません。
時代を通じて経年劣化したり、現代の状況にそぐわないにもかかわらず使われ続けていることすらあるのです。
そういう意味で、多くの経済統計がどういう経緯で生まれてきたのかやいつ生まれたのかに着目することが大切です。
そうすることでその統計でわかることとわからないことの双方を見抜くことが可能になるのです。
そういう流れを汲んでここでは「経済統計でもって現状の経済を理解する」という文化的起源についてご紹介します。
私自身驚いたのですが、実はこの「経済指標によって経済が現状どうなっているかを理解する」というスタイルは何百年も前からあったものではありません。
そもそも1920年代頃までは今自分たちの経済がどうなっているかをわかっている国家は皆無といってよかったとザカリー・カラベルは指摘しています。経済指標で現状の経済を理解するというスタイルができてまだ100年も経っていないということなのです。
1929年後半から1930年にかけて、経済は驚くべき速度で破綻した。何が起きているのかを、誰も本当にはわかっていなかったことが事態を悪化させる。物価や生産高、雇用についての政府の一貫したデータがない状態で、現在私たちが「世界恐慌」と呼ぶものを測定するのは不可能だった。政府も社会も、計器もなく裸眼だけを頼りに嵐の中を飛ぶ飛行機のようなものだ。
『経済指標のウソ 世界を動かす数字のデタラメな真実』ザカリー・カラベル(2017)ダイヤモンド社
では、なぜこの経済統計で経済を理解するという考えが生まれたのかというと「権力闘争において非常に有益である」とある大統領が証明したからです。
その大統領とはアメリカの歴代大統領でも著名なルーズヴェルトです。
ルーズベルトといえば世界恐慌からアメリカ経済を立て直したとして教科書でも紹介されることが多い大統領です。
その彼が実は権力を手に入れるために活用したのが経済指標なのです。
カラベルによると当時のアメリカでは「世界恐慌」でこれまでに経験したことがないほど経済がズタボロになっていました。
しかしながら、今のようにデータを参照するという文化が乏しい時代でしたから何がどうヤバいのかわからないという状況だったようです。(祟りみたいな感覚を持っていた人もいることでしょう)
そこで、世界恐慌の正体をつきつめようとしたのが、ルーズベルトの前任であるフーヴァー大統領でした。
フーヴァー大統領は優秀なこともあり、雇用統計を始めとするデータの聴取を実際に行い原因の追求にあたったのです。
フーヴァーは問題を特定しました。
ただ彼のその大仕事が自らを権力の座から引きずり落としたのです。
フランクリン・ルーズベルトがフーヴァー氏の元誕生した経済指標を使って彼を攻撃したのです。
こうして歴史的にも著名なルーズヴェルト大統領が生まれたわけです。
今長々とアメリカの話をしてきましたが、この例で押さえていただきたいのは経済指標が政権交代をも起こしうるパワーを持つということが誕生してすぐ明らかになったということです。
政治家が一喜一憂する3つの経済指標
こういう経緯で、時の権力者は自らの時代の偉大さを経済統計によって語り、一方で時の権力者に批判的な立場をとるものは経済統計によってその権力者の欺瞞を暴露するという文化が醸成されたのです。
さて、ここからは具体的に現状の日本経済を理解する上で主流的な立ち位置を占める3つの経済統計に着目します。
これが良ければ「日本の経済はいい」と表明する材料になるということですね。
昨今日本に限らず世界中で権力者がこだわっている指標と言ってもいいのですが、具体的には下記の3つが特に今日重要視されています。
- GDP
- 失業率
- 消費者物価指数
官邸のホームページでももちろんこれらは押さえられていますし、安倍首相の演説の多くでも上記三つの指標が触れられています。
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/seichosenryaku/sanbonnoya.html
つまり、現在の日本経済を理解する上での核となるとされていると言って良いのです。
ただ、これら経済統計を代表する3つの指標が偉大なものであるのかどうかは疑う必要があるというのが私の主張です。
それは冒頭に述べた大きな抜け穴があったり時代の変化によりそぐわない統計指標になっていることなどを考慮していくと見えてきます。
GDP
まずは、GDPです。
こちらは、gross domestic productの略称で、ある一定期間に国内で生み出された付加価値の合計を指します。
1990年頃から今日に至るまで主流的に使われる経済指標となりました。
その前はGNP(gross national product)というある一定期間にある国民によって生み出された付加価値の合計を示す指標が使われてきました。しかしながら、GNPはグローバル化で企業が海外での生産活動を活発化させるにあたりそぐわないという判断からGDPが使用されるようになったようです。
実際、安倍首相もその流れに乗りGDPが伸びた時には演説や国会答弁においてかなりの回数自らの成果として誇示しています。
さて、このグローバルな時代になったからGDPという指標を使うという発想ですが、実は問題がないわけではありません。
GDPの欠陥についてはいろいろあるのですが、「その指標に目を奪われるあまり豊かさとは何かの本分を見失う」というものがあります。
例えば、GDPを膨らますには1国内で多くの生産活動を行えばいいので、「外国から大量の移民を連れて来ればいいじゃん」という発想になります。
その筆頭格が大前研一さんです。
彼はマッキンゼーの優秀なコンサルタントとして著名になり今日もかなり多くのビジネスマンが指示をしている方です。
彼はネットの記事で下記のように述べています。
GDP(国内総生産)は国内で1年間につくりだす総付加価値のことであり、当然、これは働く人の数に比例する。つまり日本が現状のGDPを維持しようと思えば、50万人分ずつの労働力を補わなければならないのだ。
会社の働き手がいなくなるばかりではない。労働力が不足すれば、警察、消防、自衛隊など国の安全や治安を守るための組織すら機能しなくなる。また、今後はリタイアした人の面倒を見る労働力も大勢必要になるが、それも現時点では、まったく手当てできていない。つまり、今のデモグラフィのままなら、日本は長期衰退するしかない。
どんなに有効な少子化対策を打って出生率を高めても、間に合わない。とすれば50万人のギャップを埋めて、日本の長期衰退を回避する方法は1つしかない。「移民政策」である。
『長期衰退を止めるには移民政策しかない』 President Online 2013年9月30日
https://president.jp/articles/-/10601
大前さんは日本経済が衰退を免れるには「移民政策」しかないと断言しています。
氏は別記事で「ドイツを見習って」さっさと移民を入れろと焚き付けています。
当初は日本人との間がぎくしゃくするかもしれないが、いずれはドイツのように安定するから、とりあえず人口の10%くらいをターゲットに移民(永住者)を受け入れていく制度を確立すべきだと思う。
『大前研一氏、独を参考に人口の10%目標に移民受け入れ制度を』 2018年5月28日 NEWSPOSTセブン
さて、ご存知ドイツはメルケル氏が先日移民の流入を抑制すると発表しました(http://www.afpbb.com/articles/-/3181103)通り、移民政策で万事うまくいっている国とはとても言えない国です。
何をもってこのおじさんはドイツはうまくいっていると考えているのか謎なのですが、いずれにせよGDPという経済統計にこだわるあまりそれ以外の視野が著しく欠けているというのを大前氏は代表しています。
安部首相がまさにこの流れと同じ発想をしており、彼もまた経団連などの意向もあり「技能実習生」や「外国人材」とごまかしつつ急激な移民政策を行っています。
最低賃金以下で働かせることもざらにあり国際的にも非常に問題視されています。
この問題は人権という観点からももちろん問題なのですが、一面的に物事を見るあまり将来的なリスクにあまりに軽率だということが問題です。
移民政策に賛同する人々は、大前氏のように国力を維持するために外国の人の力を借りれる分には借りていこうというあまりに安易な発想から来ています。
ただ、全世界的に失敗が宣言されている移民政策を周回遅れて行っている日本は馬鹿としか言いようがありません。
ただ、あえて安倍首相の肩を持つならば、GDPという経済統計を膨張させることを至上の価値とするレジームが彼にそうさせているとも言えます。
GDPを落とせばルーズベルトがフーヴァーを叩き落としたようになる可能性がありますからね。
ちなみにGDPに対するこだわりは他にもいろいろな歪みを生み出しています。
最近ではこのGDPという統計自体をいじり始めているという指摘が各所から出ています。(下記の記事はほんの一例)
首相は「名目GDPについて『12・2%、六十兆円伸びている。六百兆円を実現したい』と強調しているが、「急成長には『からくり』がある。政府は一六年十二月、GDPの計算方法を変更したのだ。『国際基準に合わせる』との理由で、それまで採用していなかった『研究開発投資』の項目を追加。
このほか建設投資の金額を推計するために使っていたデータを入れ替えるなどの見直しを行った。この結果、一五年度の名目GDPは三十二兆円近く増えて五百三十二兆二千億円に跳ね上がり、一気に六百兆円に近づいた。」
安倍首相、お得意のデータ改ざんで、さすが「偽造、捏造、安倍晋三」と言われるだけのことはあります。GDPが急伸したのは計算方法の変更のせいで、アベノミクスの成果は大げさだというのが、この記事の主張なのです。
『看板のアベノミクスでも破たん寸前の安倍首相を続投させて良いのか』BLOGOS 2018年9月14日
統計のサンプルを入れ替えたら安倍政権以降に異常に有利な変遷をとるようになったと指摘されており、非常に疑惑を持たれ始めています。
お隣の中国もよくGDP捏造疑惑が浮上しますが、あの国の政権が数値をいじっているとしても不思議ではありません。GDPが落ちれば内乱によって革命が起きるかもしれませんからね。
失業率
続いては、失業率という経済指標を取り扱いましょう。
ジョン・メイナード・ケインズが最初に指摘したと言われているのですが、国家の安定性と「雇用の安定性」はほぼイコールで結べるほど雇用状況は重要だと言われています。
私自身雇用の安定が社会の安定につながるという考えを支持する立場ですので、失業状態にある人が減るというのは非常に喜ばしいことです。
しかしながら、この「失業率」という指数には結構問題があるのです。
その最大の問題は「失業」の定義です。
「職を失っている人」と読み替えるだけの人が少なくありませんが、実はこの「失業」の定義が詳細に見ていくと色々と疑問が湧くような指数なのです。
イサドール・ルービンという統計学者が「失業」という概念を世界恐慌を機に開発したとされています。
同氏によると、失業の統計的定義は、「職についてない」ことではありません。
「一生懸命探しているにもかかわらず、仕事を見つけることができない状態」なのです。
これは個人が「調査員に自分の状態を正確に伝える」という大前提が必要になります。
もちろん実際にはもちろんそうはいきません。
仕事を探してもいないのに、ずっと探していると答え、実際にはそうでないのに労働力の一部としてカウントされている可能性があるのです。
仕事についていなくてもプライドから「職についている」と答える可能性もあります。
ニートという言葉がありますが、この定義に沿って考えるならばニートも「失業者」ではありません。
ただ、ニートの中でももしかすると「失業者」に該当しない人もいるかもしれません。
いずれにせよこういう「抜け穴だらけ」の統計が失業率なのだということがあまり指摘されずになんとなく「失業率が下がっているから好景気だ」という理解が世の中に溢れているという現状認識が非常に重要です。
統計データによってむしろ現状認識が曇る可能性があるのです。
そういう疑念が開発当初からあったようで、結局はGDPに逃げたという歴史が過去にはあるようです笑
とはいえ、20世紀のその後の歳月にとって失業率以上に重要だったのは、主要指標の中心であり、「経済」の最も重要な物差しである国内総生産(GDP)の考案だった。
『経済指標のウソ 世界を動かす数字のデタラメな真実』ザカリー・カラベル(2017)ダイヤモンド社
なお今の日本について話を移しますと、安倍政権は「失業率の低下」を自らの成果としていますが、非常に怪しいものがあります。
例えば、上に述べてきたような「失業」の定義であれば、労働力人口が人口動態上減っていく我が国では低下するのが普通です。
労働力人口がここまで減るのは歴史上日本が初めてとも言われていますから無理もないのですが、労働力人口が減れば失業率が減るのは統計上自然な流れなのです。
そもそも民主党時代から労働力人口の減少は始まっており、失業率のトレンドは下がり始めていたこともあり、その傾きが変わっていない以上「安倍政権の元で失業率が低下した」という解釈は相当難しいものがあります。
消費者物価指数
最後が消費者物価指数です。
アベノミクスの一丁目一番地が「デフレ脱却」だったように物価指数というのもまた政治家にとってのアキレス腱だったりします。
先のGDPもインフレさえ起こせば名目値は増やせますので、物価に政治家がこだわるのはある種当然とも言えます。
さて、日本もインフレだ、デフレだでお祭り騒ぎですが、この物価というものを指し示す各種指標はこれまた非常に胡散臭いものがあるのです。
一つ決定的に言えることとして消費者物価指数なるものが「何の物価」を指しているのかかなり見えにくいということです。
例えば、東京でのパンの値段と北海道でのパンの値段パンの値段は大きく異なっていますし、小麦の値段やそこに輸送するためのコスト、人件費などによって大幅に変動してしまいます。
つまりインフレやデフレを尺度として「公平なもの」にするにはあまりにも曲がりくねった道を進んでいかないといけないのです。
行政が発表しているものもサンプルを掘り返していったら色々と問題が見えてくる可能性が大いにあるのです。
他にも言えることとして、国によってあるインフレという現象を喜ぶべきかどうかも異なってきます。
例えば、エネルギー価格の上昇は産油国にとってはいいものですが、日本のような資源を自国で調達できない国は大きなダメージを受けます。
逆にエネルギーのデフレは現在ロシア経済を苦しめているように産油国を苦しめる一方で、工業国にとっては非常にメリットがあります。
まとめると物価でもって「国の景気のよしあし」を判断するのは結構難しいものがあるということです。
物価にこだわりすぎて常識を失った人も我が国にはいました。
それは日銀総裁です。
彼が死に物狂いでこだわったインフレターゲットが失敗した時の総括で「原油安が原因だ」と嘆いたのは有名ですが、この例だけでも黒田総裁は「経済統計を見すぎることで何か大切なものを見失っている」典型的なお人だったと言って良いでしょう。
経済エコノミストが信頼できない理由
もっとも経済について詳しいと言われる日銀総裁が原油安を嘆くような国に現在の日本はなっています。
これは経済指標が引き起こした害悪と言って良いでしょう。
現状の経済理解においてはカラベルも指摘していますが、特定の統計に依存することなく多面的に見ていくことが重要です。(めちゃくちゃ当たり前な結論ですが)
そして、それぞれの経済指標の元を疑ってみることもまた重要でしょう。
我が国のエコノミストという人種はこの経済統計の前提自体を疑うということを全くと言っていいほどしません。
疑わないことが「専門家」を名乗る条件と言えるレベルです。
今や「経済の専門家」は現状の経済理解において最も信頼できない人たちとなりました。
逆に統計の前提を疑う人は「経済をわかっていない」という形で処理されます。
今のエコノミストにはアーレントの下記の言葉が非常にお似合いでしょう。
かれらは事実 も情報も必要としていなかった。かれらには「 理論」があり、その理論に合わないデータはすべて否定されるか無視されたのである。
ハンナ・アーレント. 暴力について――共和国の危機 (Kindle の位置No.671-672). (株)みすず書房. Kindle 版.
日本経済の現状を理解するには思ったより複雑な過程を踏まなくてはなりません。
多くの経済統計をいろんな角度から眺めるという緻密な作業と議論が大いに求められるのです。
なんとなくGDPが増えたから良くなったとか、失業率が減ったから良くなった、インフレになったから良くなった、、、
こういうインチキに騙され続けることは悪しき権力者が居座る要因になりかねません。