私はいわゆる「古典信者」という者に分類される人間です。
古典信者というのはとにかく読書といえば古典的名著さえ読んでおけば間違いないという思考の人間です。
なんだかジジくさいやつだなとよく言われます。
ただ、何故こういうジジくさい発想になったかと言いますと、平たくいえば今本屋に並んでいる本が過去の誰かのパクリだからです。
つまり、そういう意味では、古典を読んでおけば最新の本も十分カバーできるという話です。
そして、最近の本を10冊も20冊も読むより実は効率的に読書活動を営めるという話です。
今日は、そんなジジくさい私が経済学というジャンルにおいてこれさえ読んでおけば間違いないでしょうという古典的名著を10冊ピックアップしました。
上げる冊数の都合上個別に詳細な紹介はできかねますが、是非是非手に取っていただければと存じます。
経済学における3銃士〜主流派経済学〜
まず、「経済学」という言葉自体がいつ生まれてきたのかということを考えていった時にその言葉を生み出したとも言える3名がいると私は考えています。
つまり、「経済学」という学問自体を生み出した人、つまり初めて経済を学問しようと思ったといってもいい人たちのことですね。
その3人に私はアダム・スミス、カール・マルクス、デービット・リカードの3名をあげます。
今経済学者を名乗る人、エコノミストを名乗る人の多くが意識するとせざるともこの3名の影響を受けていると私は考えています。
つまり、現代の頭のいい人の多くがこの3名の考えを土台に物事を考えているということです。
もうそれだけで詳細な説明はなくともお勧めできる古典的名著だと断言できます。
アダム・スミス『国富論』
アダム・スミスはいくつもの功績があるのですが、字数の関係上ここであえて一つだけ偉業を挙げるとすると「神の見えざる手」という概念も大事なのですが、私は「分業」という概念を打ち出したことをあげます。
アダム・スミスは「分業」を社会的に行うことで国富の総和がでかくなると考えたわけです。
社会的な分業というのは今まさに現代において顕著なのであって、各人が複数の職業に身を委ねるということは非常に珍しくなっています。
カール・マルクス『資本論』
おそらくここで挙げる9名のうち最も有名な経済学者と言えるでしょう。
彼の『資本論』という古典的名著は経済学を学ぶ全ての人が一度は手に取らなくてはいけないと言われています。
ちなみにマルクスもまた偉大な発見を経済学においてたくさんしたのですが、あえて一つ彼の功績を挙げますと「労働力の商品化という概念を生み出したこと」でしょう。
全ての商品の価値は労働力の投入量によって決まっていくという彼の指摘は今日においても広く受け入れられている理論の一つです。
デイビッド・リカード『経済学および課税の原理』
最後のデイビッド・リカードは前の2名の経済学の権威に比べると知名度は劣りますが彼の影響度もまた凄まじく我が国において支配的な思想を打ち出しています。
我が国の貿易交渉などにおいてしばしばこのリカードの理論をもとに「これは素晴らしい協定だ」「素晴らしい政策だ」というのが語られています。
ちなみにリカードの目立った主張は比較優位論と呼ばれる「各々の国がそれぞれの得意な領域に特化することで各々全てが幸せになれる」という見解です。
今発効が目前に迫っているTPPのような多国間貿易交渉のメリットを浜田内閣官房参与などがしきりにリカードを引用しながら話していたのは記憶に新しいことです。
主流派の経済学に異を唱える天才
ここまで挙げた3人は経済を見る素人の我々ですら影響を受けており今更意識することもない常識化しているような理論を多数生み出している人たちです。
続いてはそういった現代において主流的な経済学に「待った」をかけた天才をご紹介いたしましょう。
グローバリズムに疑問が向けられる昨今においてこれらの人の価値は上昇しつつあります。
フリードリヒ・リスト『経済学の国民的体系』
最近注目が集まりつつあるのがフリードリヒ・リストです。
先に述べた3名をおそらく最も強く批判した最初の人物ではないかと思われます。
リスト自体はおそらく知名度はそれほど高くないですが、彼の著書は目を見張るものがあります。
リストの経済学批判を一言で言えば「スミス、マルクス、リカードなどのいったことが現実で常に起こるわけがない」ということです。(そのほかセイなども批判されている)
要するに経済というものを論ずるに当たって常識とされてきたものに反旗を翻したわけですね。
詳細は追って見てもらえればと思いますが、例えばリカードの比較優位論なんかは外交関係上世界平和が永遠に続くことを前提にしなければ成り立たないと主著では述べています。
ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』
ここで挙げる3名の中では最も知名度が高く教科書でもよく取り上げられるケインズです。
ケインズもまたリスト同様にこれまでの経済学批判をしました。
彼の批判をあえて一言にすると「供給側から経済を見るのではなく需要の側から物事をもっと見るべきだ」というものです。
彼は世界恐慌などを目にしながらスミスもマルクスもリカードも供給側から物事を見ているがそれだと恐慌について説明がつかないことが多すぎると述べました。
彼はもっと労働者側、消費者側から経済を見ていくと違う世界が見えてくると主著では述べ「経済学に時間軸を導入した」ことでも有名です。
カール・ポラニー『大転換』
最後の一人はカール・ポラニーです。
こちら私は最近まであまり知らなかったのですが、経済思想の方としては20世紀の中ではかなり有名で、Googleが選ぶ20世紀の名著でもランクインしています。
http://www.acrographia.net/notes/google%20best%20100%20books.pdf
ポラニーは一言で言うのは難しい方なのですが、彼のインパクトある主張としては「資本主義は商品化になじまないものまで商品化しているので、それに歯止めをかけないとまずい」と言うものですね。
ポラニーはマルクスの「労働力の商品化」理論をある種受け入れた上でそれをすることが世の中の秩序を破壊していると述べました。
ポラニーは「労働」「土地」「貨幣」を商品化することを批判しました。
この辺りはバブルができては弾けている昨今を見ると味わい深いものがあります。
グローバル時代の主流派経済学
さて、続いてはグローバル化が叫ばれる昨今ですが、その理論的支柱となっている2名をご紹介します。
冒頭に挙げたスミス、マルクス、リカードの理論を急進化したような二人です。
フリードリヒ・ハイエク『隷従への道』
ハイエクは20世紀にノーベル経済学賞もとった経済学の権威で多くの日本の知識人が影響を受けています。
先に述べたとおり彼はグローバル化の理論的支柱の一人です。
彼の主張の大意は「とにかく国家は経済に関与しないのが良い」というものです。
のちに紹介する新自由主義の先駆けとも言える人物です。
ハイエクがそう考えた背景にはルソーに近いところがあるのですが、人間は余計なことをしなければ元々正しく行動できる「秩序意識」があるという人間理性への信仰があります。
ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』
続いてのフリードマンも基本的な主張は同じで「とにかく国は経済を放任しておいてくれ」という考えを持っていました。
この主著がハイエクと異なるのは具体的にどういうことを国家はやらないで欲しいかを書いています。
郵政の非営利化、最低賃金の設定、関税の設定などを全て断固批判しました。
小泉竹中政権が新自由主義と言われたのはまさに郵政民営化や派遣法を導入することで市場原理を強化したからなのはいうまでもありません。
竹中氏はミルトン・フリードマンの影響を受けていると自分で言っていましたので彼の考えはこの本にかなり影響されており、我が国の経済政策がフリードマンの影響を少なからず受けているというのは読めばわかることでしょう。
日本型経済学を唱えた知識人
最後は日本における経済学の理論的支柱になっている方をご紹介いたします。
経済学というと西洋から降って湧いてきたというイメージがありますし、事実西洋の方が学問的に盛んだったということは否めないでしょう。
しかしながら、経済学の古典的名著は日本にもあると私は考えています。
その古典的名著をここでは2冊だけ取り上げます。
二宮尊徳『二宮翁夜話』
小学校に今もあるのか知りませんが、必ず立っていると言ってもいい銅像があります。
それが二宮金次郎の銅像ですね。
私が小学校の時にありました。
彼はとにかく真面目というイメージが強いですが、ある種日本人の経済に対する考え方を最初に体現したとも言える人です。
「経済」という言葉の語源である「経世済民」という言葉がありますが、「世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。」(goo辞書)こそが経済学の答えだと二宮尊徳は考えていました。
そう言った意味で「理論」などとは縁遠いものではありますが、より多くの国民を苦しみから救うためにどうするかということを生涯考え実務家として成果を出した人でもありました。
彼の著書ではその生き様から「経済とはどうあるべきか」を考えることができます。
山本七平『日本型資本主義の精神』
最後が山本七平ですね。
山本七平さんはあまり知らない方も多いかもしれませんが、彼は生涯にわたって「日本人とは何か」「日本人とはどういう民族なのか」を考えた人です。
日本人を他の民族とは異なる特殊なところがあるということを歴史を読み解きながら書いていくというのが彼の作風ですが、『日本型資本主義の精神』はその中でも名著中の名著です。
日本において資本主義というのは西洋における資本主義とは全く異なると彼は述べ、「儲けたい」という私的利害の薄さを指摘しました。この考えは脈々と引き継がれ渋沢栄一や松下幸之助などなど多くのカリスマ経営者も同じ考えをしていたと言われています。
彼のこの著書での面白い指摘はとにかく「労働自体を目的化する傾向が強く純粋な資本主義国家とは異なる」というものですね。
最後に
色々と経済学の古典に関して名著中の名著を取り上げてきました。
最後の山本七平なんかはどちらかというと社会学ぽいところもありますが、経済学自体が線引きが難しく、純粋な理論モデルの有無で経済学かどうかを判断するとするとリストやポラニーなども経済学ではなくなります。
ただ、今回は経済を論じたものであれば経済学として取り上げました。
そうした方がより幅広い視野から経済を見れるため良いのではないかと考えたのが最大の理由です。
経済学を学びたいという方はぜひ先ずはスミスとマルクスから手に取りそれを土台にどう彼らが批判されて言ったのか、どのようにして今日生き延びているのかを考えて見てもらえればと思います。
以上となります。