「ファシズム」という言葉を近頃をメディアから聞くようになりました。
それは、ドナルド・トランプが生まれたアメリカ、プーチン率いるロシア、そして安倍首相率いる日本においてもです。
おそらく「グローバル経済」への疲弊が世界的に見られる中で、「ファシズム」という言葉を聞く頻度は今後も多くなりそうだと私は考えております。
ところで、「ファシズム」とはなんなのかと聞かれると意外に困る人が多いのではないでしょうか。
かくいう私自身そうでした。ヒトラーやムッソリーニを想起する方は少なくないと思いますが、実際何をもってファシズムなのかと言われると言葉に窮するものがあります。
そういうわけで今日は『薔薇の名前』で著名なウンベルト・エーコの講義録をまとめた『永遠のファシズム』を参照しながらファシズムとは何かを見ていきたいと思います。
エーコはファシズム社会に見られる現象として14の項目を挙げているのですがそれぞれを抑えつつ特に私が注目したところを最後に拾い上げたいと思います。(濃淡ありますが)
読んでいくとわかることとしてファシズムの特徴としてエーコが上げているものがどうも今の日本で日常的に見られるというのが驚きと恐ろしさを感じさせてくれます。
Contents
保守主義とファシストが一見近しいものに見える理由
まずは、エーコが述べた14個のファシズム社会の特徴の中でも政治思想の本流として意味する「保守主義」とファシズム的な「保守主義」が似ているように見える理由とその相違点についてまずはご紹介いたします。
1.伝統崇拝
ファシズム勢力がまずもって重要視するのは「伝統の権威」だとエーコは述べます。
今のところ歴史上現れたファシズム勢力の中で自らを「革新派」と称するものはいないようで、おそらくそう自称した段階でファシストたる事はできなくなるのです。ファシズムとは「伝統の権威」を母体とするものということです。
かのヒトラーも「ドイツ人の誇りを取り戻す」という趣旨の発言を好んで使っていました。
ここ最近のアメリカ、日本、フランスなどはどうでしょうか。
これらの国を見るとリーダーが「取り戻す」という表現を使う事が多いのですが、あれは「保守主義者」としての思想ではなく、エーコが警鐘を鳴らすファシズム的な一面を感じます。
「自らが理解している」歴史のある一地点に戻そうという恣意的な含蓄が節々に感じられるのです。
それゆえに実際には伝統を軽視する行動などをむしろ積極的に取っていくことが多々見られます。(安倍総理、マクロン、トランプなどはその典型。)
2.モダニズムの拒絶
エーコが二つ目にあげるのは「モダニズムの拒絶」です。
要するに、ファシズムにおいては近代以降生み出されたような価値観を積極的に毛嫌いするということです。
エーコによれば、ファシズム社会は近代を「堕落の始まり」とみなすようです。
それゆえに近代的考えを全て否定すると。
ちなみに、この辺り「近代保守主義」と交差する部分もあり、1の「伝統崇拝」とも相まって「保守主義」と「ファシズム」を混同する大きな理由となっていると私は考えています。
ただ、相違点が明確にあります。
近代保守主義自体は近代の問題点を指摘はするものの全ては否定しません。
いわゆる、立憲主義、国民主権、基本的人権などにある一定の価値を置くのが近代保守主義思想です。
今の日本には「憲法を守れ」「人権」という言葉を使っただけで「左翼」「パヨク」と騒ぎ立てる人間が一定数いるのですが、あれなんかは「モダニズムの否定」そのものでしょう。
自己批判を放棄し、現状の追認へ
続いては、ファシズム社会の特徴とも言える「自己批判を失い、現状追認をひたすら進める」というトピックを見ていきたいと思います。
エーコは『永遠のファシズム』の中でこの話題に絡めて「行動のための行動」「混合主義」「差異への恐怖」をあげています。
3.行動のための行動(非合理主義)
ファシズム社会では「行動のための行動」を崇拝する現象が見られるとエーコは述べます。
「思考」を敵視するというのが顕著に見られるそうです。
もちろん表向きに「思考」を否定する人はいません。それはナチスであってもスターリンであっても表立ってはそのようなことはしませんでした。しかし、彼らは、本質的に自由な思考を恐れていたため異なる意見を持ちうる人や物を抹消したわけです。
エーコはゲッペルスの「<文化>と聞いた途端、私は拳銃を抜く」という発言に当時のドイツを表す兆候が見られると著書で紹介しているのですが、今の日本でも先の伝統崇拝を堅持しているにもかかわらず、本質的に幅広い思考をもたらす<文化>を毛嫌いしている人が少なくありません。
ただの現状の追認を「保守」「愛国者」と考えている人が少なくないのです。
4.混合主義
混合主義というのをエーコはあげているのですが説明が2−3分で短いこともあり、自分なりに補足したいと思います。
混合主義とは要するに二重思考やダブルスタンダードという言葉で言い換えてもいいでしょう。
モダニズムの拒絶と書いたところと関係するものがあるのですが、近代の科学的共同体は知識の発展の手段として、対立する意見にこそ価値を見出してきたとに対して、混合主義を是とするファシズム社会では共同体を維持する方が目的となり矛盾などが黙認されるということです。
明らかな矛盾があったとしてもそれを黙認するのです。
デフレ脱却をしなくてはいけないと言いながら移民政策やTPPに賛成したり、北方領土の主権を失った上に3000億円失っただけの体たらくを全く批判しません。
もう論理も糞もあったものではないのですが、ファシズム社会ではこういうのが野放しになりどんどん増長するのです。
5.差異への恐怖
今の話に近いですが、ファシズム社会は「互いが異なる考えを持っていること」自体を非常に恐れるとエーコは指摘します。
意見の対立を全て脅威と捉えるためある種民主主義というもの自体を恐れると言ってもいいかもしれません。
これについてはもちろん自国内における対応だけでなく、対外的には人種差別主義的態度をとるという形で現れてくるようです。
日本に関して言えば反中、反韓などはいい例でしょうね。
中国韓国に対して異常にマウントを取ったような言論を貼る方々が「保守」の界隈にはたくさんいますが、あの人たちは保守ではなくファシズムへの加担をしているのです。
ルサンチマンの利用
ファシズムの台頭に欠かせないものとして大衆の抱える不満や鬱憤をはじめとする「ルサンチマン」が挙げられます。
大衆の憎悪や悪意を吸収し大きくなっていくのが歴史的にも多くのファシズム社会で見られたことだったりします。
エーコもまたこのルサンチマンに注目しているトピックがありました。
6.欲求不満に陥った中間階級の膨張
中間層が崩壊すると国が滅びるというのは古代ローマの崩壊以降幾度となく見られている現象のようですが、20世紀以降においてはファシズムという形で現れるようになったというのがエーコの考えです。
これは論理としては単純でどれほどきれいごと言おうが生活水準より優先されるものはないということですね。
貧困が進むと動乱が起こるという話です。
明日食うことに困っている人々が10年後の国のことなど考えられるわけがないのです。
ただ、この中間階級の崩壊という現象は容易に止められるものではありません。
資本主義というのはピケティが『21世紀の資本』で示したように「格差の拡大」がその本性ですから戦争などのような形でリセットされることがなければ徐々に中間層の所得は低下していくのが常です。
まさに今の日本でも見られていますよね。
大企業は儲かり富裕層は株で潤っているが賃金が伸びないので中間層は苦しい思いをしていると。
この欲求不満の中間層に焚付けを行い既存の政治をスケープゴートにして増長するのがエーコの述べるファシズムなのです。
小泉内閣や大阪維新の会などはまさにその典型だったでしょう。
7.陰謀の妄想
ファシズム社会においては「陰謀論」が流行するとエーコは述べます。
陰謀論がはやる要因は、(これはエーコが述べたところではありませんが)「人間が本質的にはそれぞれ異なったものである」という前提をいかにファシズムに迎合するものであっても共有しているからだと私は考えています。
ファシズムはある種「同じ歴史観」に裏打ちされた同じ思想が共有されている必要があるわけですが、常に他の考えの人がいるはずだと思ってしまうため安心できる日が来ることはありません。
だからこそモンテスキューは「専制政体はその本性からして絶えず腐敗する」(『法の精神』)と述べたのでしょう。
最近亡くなった翁長さんなどは終生この「陰謀論」に悩まされた政治家だったと思います。
彼には中国のスパイだとか独立した際には中国共産党に身分を保証されているとか根も葉もない陰謀論が飛び交っていました。
ただ、嘘もつき続ければ真実になるのか少なくない人が翁長氏にネガティブな印象を持っていました。
ああいうのがまさにファシズム国家に顕著な自分と異なる考えを全て脅威とみなす「陰謀論」と言って良いでしょうね。
徹底した自己欺瞞
全体主義という言葉を一般的にし、ファシズムの研究にいそしんだハンナ・アーレントが『全体主義の起源』や『暴力について』などで再三あげていたファシズム社会の特徴に「内部的自己欺瞞」があるのですが、エーコもまた近しいことをここでは述べています。
順に見ていきましょう。
8.自己の実力に関する過大評価
いわゆる「精神肥大」のことをいうわけですが、日本という国家も例に漏れず第二次大戦期にはアメリカに勝てると思っていた時代もありました。
自己の実力を冷静に見ることができないという極めて危険な状態にファシズム社会では陥るとエーコは指摘します。
今の日本でもそういった自己の実力を過大評価してしまう傾向というのは随分とあるように思います。
自由貿易をめぐる対外政策についてもそうですね。
TPPのような多国間交渉や日米FTAなどにおいて甘すぎる専門家からの経済効果などは見ているのが辛いものがあります。
ああいう国際協定においては一度足を突っ込むと抜け出せないことを考えると普通はもっとリスク分析がなされてもいいのですが、大手メディアなどはどこも報じません。あえて言えばしんぶん赤旗くらいで、自由貿易協定に関しては朝日や毎日のような現体制に批判的なメディアからもあまり鋭い分析が見られません。
「日本万能論=愛国心」という傾向が昨今著しいですが国を愛することが自己を過大評価することだと思っている人が少なくないからなんでしょうね。
9.高い闘争意識
私もブログを書いているとよく被害にあうのですが、いわゆるファシズム的な人はかなり好戦的です。
マウントを取らないと気が済まないのでしょう。
まあ別に論戦することは良いのですが、もう少しネットで出回っているような情報を鵜呑みにしないで話してもらいたいといつも思います。私が安倍政権を批判すると野田中央公園野田中央公園と全く関係のない話を持ってくる人なんかはその典型ですね。
慰安婦の論争なんかも櫻井よしこ氏などの考えを鵜呑みにしている人が朝日新聞をぶっ叩いて溜飲を下げていることがしばしば見られるのですが、櫻井よしこ氏が法廷で自分が捏造をしていたと認めたことなど情報がアップデートされずに止まっていることが少なくありません。
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/07/26/antena-289/
おそらく他の考えを遮断し一つの同人誌的世界観に身を投じることで自分は正しいんだという精神がすくすくと育ったのでしょうね。だから好戦的なのだと思います。
10.弱者蔑視
ファシズムというのは国家・国民の結びつきをより強化しようという流れをイメージする方々にとってこの「弱者蔑視」というのは意外に映るかもしれません。しかしながら、ファシズム国家の多くがいかに少数派を踏みにじってきたかを調べるのにそれほど時間はかかりません。
先ほど多様な考えを恐れるということを書きましたが、「自分の物差し」で見て「良い」と思う人以外は切り捨てるのがファシズムの本質です。ナチスの反ユダヤ主義や障害者差別などはその典型ですが、彼らは結局「リベラル」でも「保守」でもない、チンピラなのです。
ところで少し脱線しますが、安倍政権はかなりグローバリズムを推進する勢力で財界や富裕層から支持されているにもかかわらず、日本会議などのファシズム勢力とも手を取り合っているのは私にとって長らく謎でした。
ファシズムは資本主義の反動で生まれてくるというのが一般的な理解で両者は対立するものだと思っていたからです。
しかしながら、「弱者蔑視」というこの一点においてファシズムとネオリベラリズム(グローバリスト)は手を取り合うことができるのかもしれないとこの本を読んだ時に思いましたね。
資本主義とナショナリズムの薄汚い部分を混ぜ合わせたものが今出来上がっていると考えると相当恐ろしいですが。
11.一人一人が英雄になる事の奨励
続いては英雄奨励ですね。
こちらメカニズムとしては、個々人が英雄であることを奨励することで死をも恐れぬ献身性を引き出すということを導くようです。
ファシズムにおいては国家が個人に優勢でなくてはなりませんからこの皆が英雄たれという物語は非常に重要です。
日本も例に漏れず、神風特攻隊などは近しいものがありました。
あの異常な行動を若者に強いさせた原動力は天皇陛下のために命を捨てることで英雄になれるという物語があったことは否定できません。
12.マチズモ
マチズモというのは私もこの本で初めて知ったものなのですが、辞書の方がわかりやすいので意味を下記に引用します。
元々は男性優位主義を指す。単に男っぽさや、ある特徴を誇示すること。亭主関白。
転じて自らのアイデンティティの拠り所を「ある特定の人物や社会」に縛り、その関係のなかでのみ満足する、排他的な性質をもつ考え方。
同人誌ばかり読んで外の考えに触れようとしないという人が最近は増えましたが、SNSなどもそれに拍車をかけているように思います。特に今でもSNSの代表格であるツイッターは自分の考えに近しい人の考えしか見ないようにできるため非常にマチズモを増幅させうる力を持っています。
13.質的ポピュリズム
ここは少し難しいというかこの言葉が自家撞着に若干あるため読んでも私もそこまでしっくりきませんでした。
それを踏まえつつエーコが言っていることをまとめると「質的ポピュリズム」とは「選ばれた市民の声」がさも一般市民全ての意志を代弁しているかのように装われ、そしてそれ自体が社会全体として受け入れられてしまうことのようです。
14.新言語
この新言語というのは二つの文脈があり、一つはこれまで使われてきた言葉を骨抜きにし全く違う意味を持ち始めるということです。
もう一つが、簡単な語彙のみを使用するようになるということです。
個人的には前者の方に注目しておりまして、今の日本の政治家は小学生レベルでも知っている言葉の意味を捻じ曲げて無理な解釈を押し通そうとしていることが少なくありません。
下記は「いわば」などの「まとめに入る際に使う言葉」の後にまただらだらと話を続けていることを批判しているものですが、それ以外にも我が国の総理大臣は新言語をたくさん開発しました。
『「いわば」「まさに」…安倍首相が使う“不快ワード”の意味』 日刊ゲンダイ:2018/06/02 06:00
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/230306
移民は「外国人材」と言い張るし、えこひいきの合法化や秩序の破壊実験を「国家戦略特区」、農業団体へ攻撃を仕掛けることを「攻めの農業」、過労死の合法化を「働き方改革」などなど上げ始めればキリがありません。最近のハイライトでいうと例の「私や妻が関わっていたら」の件で、急に「贈収賄にという意味です」と言い出したあれなどは新言語と言って良いでしょう。
終わりに
ウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』であげられているファシズムの14要件を上げてきました。少し長いのでなんとなくまとまりのない感じになりましたが、一つ言えることとして必ずしもこの定義が素晴らしいものであるかどうかは一旦置いておくとしても、随分と日本はこの本で書かれているファシズムの特徴に該当してるなあという恐怖です。
特に保守を自称しておきながら支離滅裂な発言を続け、個々人の権利を否定する昨今の保守論壇などが「知識人」とされているのを見るといよいよ来るところまできたなという感じがするのです。
ただ、あくまでファシズムとは我々の心に潜むルサンチマンを媒介としますので、個々人が常に自己批判的な思考を続けることで防ぐことはできるでしょう。
詳細については下記の書籍を実際に読んでみてもらえれば幸いです。