今「自由な働き方」というものを求める機運が非常に高まっています。
背景には何があるのでしょうか。
一つには価値観の転換があるのでしょう。
「自由な働き方」というのが今でこそ理想とされていますが、少し前まではそうではなかったという論調は珍しくありません。
それこそ企業戦士として勤め上げ、一つの会社に勤め上げ、退職金と年金で老後を過ごすというような高度経済成長期の一般的スタイルが成立しなくなってきたことがあるのでしょう。
年金は減額基調だし、多くの企業が45歳以上の社員の希望退職やリストラを募るようになっています。
いわゆるこれまでの「勝ちパターン」が持たなくなっていることから別の選択肢が欲しいという中で生み出されたのが、この「自由な働き方」なのです。
本日はこの「自由な働き方」を考える方に是非知っておいてもらいたいことを話しました。
今流行する「自由な働き方」とは
さて「自由な働き方」を模索している人に尋ねたいことがあります。
「自由な働き方」とは何か?という質問です。
実はここ2〜3年で言われるようになった訳ではありません。何度も何度も言われてきた実は使い古された言葉です。
1990年代であれば「フリーター」でしょうか。
あとはハケンの品格みたいなドラマが大ヒットしたように派遣という働き方も「自由な働き方」としてありました。
今だとUBER、アフィリエイター、フリーランスといったような「個人事業主」として生きることを「自由な働き方」というのでしょう。
いずれにしても、これらの共通点は、組織人としての生き方からいかに距離をとるかということを考える本質は変わらないようです。
「自由な働き方」の危険性
ここで、私の持論を述べさせてください。
おそらく今多くの人がイメージしている「フリーエージェント社会」なるものは描いたものとはかけ離れた世界であると言わざるを得ません。
なぜなら、それはすでにこれまでの歴史が教えてくれています。
「自由な働き方」に飛びついたフリーターや派遣労働者といったような人が極めて深刻な貧困にあることを余儀なくされています。
もちろん私は派遣やフリーターという生き方を全て否定したいのではありません。
実際、何かの調査で見たことがあるのですが、自分から進んでその選択をしたと答えた人は少なくないでしょう。
しかしながら、その一方で押さえておくべきことがあります。
それは、「自由」という言葉から連想できるような状態にたどり着いている人は極めて稀有であるということです。
そして、もう一つ言えるのはあれほど組織から離れたいといっていた人の多くが「組織人としていきたい」「正社員として働きたい」といっていることに留意する必要があります。
・・・派遣社員たちは浮遊労働を始めてからの数年のあいだは仕事に満足している場合が多い。しかし、派遣の状態が長く続くと、浮遊労働は苦痛と感じられ始める。彼らは誰かから長期にわたって必要とされることを望むようになる。
『不安な経済/漂流する個人―新しい資本主義の労働・消費文化』リチャード セネット(2008)大月書店
「自由」だけでは人はもたない
これは以前からかねがね他の記事でもいっていることですが、我々がいうところのあらゆる束縛や制約から解き放たれているという文脈での「自由」だけでは身がもちません。
「安心」が必要なのです。
このことをいち早く見抜いていたのがドイツのビスマルクだと言われています。
彼は、経済発展において生じるいわゆるカオスな現象に対して、雇用ベースが拡大されている限りは全く問題ないと考えていました。
それゆえに、イノベーションが特定の個人や組織をぐらつかせようとも新たな雇用が生まれたりする限りにおいてはそれほど深刻な状態に社会はならないのです。
そう考えると今流行するいきすぎた個人事業主賛美やフリーランス賛美というのは我々のこれまでの歴史を振り返ればほとんどの人にとっていいものではないということに気づくでしょう。
おそらく少なくない人が「自由な働き方」を志す背景にはそれを実行しそれを現実において体現する人がいるからなのでしょう。
しかし、自称成功者がいかに我々をそそのかそうとも冷静になる必要があります。
我々は「解放」だけで幸福を感じることはできない。「安心」なきところに幸福はないということです。
それは繰り返しになりますが、これまでの歴史が教えてくれています。
数百万人に一人しかいないような希少種を取り出して「これからはこういう生き方をする時代が来るんだ」とか「そういう働き方はいいな」と考えるのは止めましょう。そうやって我々をカモにしようと狙っている人間たちがいて今以上に搾取される可能性が高まるのですから。
過去我々が犯してきた過ちを繰り返す必要はありません。