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グローバル人材になりたい人に聞いて欲しい話

更新日:

 

「これからはグローバル化が進んで国境がどんどん消えていく時代です。日本人も早くグローバル人材にならなければなりません。」

 

そういう標語というのがビジネス書をはじめとして流行っており、あなたも一度はこう言った話を聞いたことがあるのではないでしょうか。

そして、学生さんであれば、TOEIC勉強しなきゃと考えたり、お母様であれば子供を英会話スクールに行かせなければと考えたりするしていることでしょう。

 

 

今は、日本だけに閉じていてはいけない時代で、このままでは時代に取り残されてしまう。

海外の人とも競う時代であり、そういった人たちとの中でも活躍できるようになっていかなければならない。

 

 

そう考える人が現在非常に増えてきているのです。

さて、そういったグローバル人材になりたい人がまず最初に何をするかというとすでに前振りをしましたが、ほとんどのケースで「英語」を始めようとします。(MBAや留学をしようにも英語を学ぼうとしますし。)

つまり、英会話を流暢に話せるようになることがグローバル人材になりたい人にとって土俵に上がるための第一歩だと多くの人が考えているわけです。

 

 

事実、自分の子供に何を習わせたいかというアンケートでいくつかのサイトを見ていくと男女共に2か3番目には入ってくるようです。(下記のサイトはあくまで一例です。)

https://allabout.co.jp/gm/gc/389495/

 

 

さてそんなグローバル人材になりたい人がまずもって歩む「英語の習得」という階段の1段目は果たして正しいのかというと必ずしもそうとは言えません。

 

本日は、英語習得に勤しもうとしているグローバル人材志望者に向けて記事を書きました。

 

「英語を話せるようになればグローバル人材」という意見に潜む深い思い込みについて

本論考の理解を促進するために私の立場をあらかじめ明らかにしておきます。

私は基本的に社会学的なアプローチを好む人間です。

具体的には、我々があることを考えたり、ある行動をとろうとする背景には何かしらの社会的な引き金があると考える立場です。

 

 

それゆえにと言っては何ですが、この記事のテーマである「グローバル人材になりたいのであればまずは英語をやろう」という多くの人を覆う考えもまた社会的に思わされてしまう何かがあるのではないかと考えています。

 

 

もちろんグローバル人材になりたい人が英語を始める理由の一つには、ヒトモノカネの流動性が高まっているといったありきたな回答もあるでしょう。

 

ただ、それだけではないんです。

なぜなら、この「世界に打って出るには英語をまずはやろう」という考えはもっと昔から世界各国で存在していたからです。

インターネットができたからや飛行機で安く海外に行けるようになるもっと前からこう言った考えはあったのです。

 

 

では、我々にそう思わせるものとは何であるか。

これは、英語を肯定的に評価するヘゲモニーによって思わされているのです。

 

 

ヘゲモニーというのは何か?

この言葉はアントニオ・グラムシという20世紀の思想家が打ち出したもので、一言で言うと我々が疑うことなく「当然視する支配思想」を意味します。

 

イデオロギーとは別種のものでヘゲモニーをある人間が取り込むと「我々が何の疑いもなく特定の支配者の利益になることを常識化」してしまうのです。

 

ヘゲモニーという概念の重要なところは、「支配」という単語自体から連想される「強制性」や「暴力性」がなく、被支配者が自ら積極的に歓迎する(そして支配される)というところです。

 

つまり、我々が英語に関するヘゲモニーを持っているということは、英語を使って支配を行いたいと考える人たちと考えを無意識に共有しているということです。

 

わかりやすい例で言えば、警備員の中に泥棒に協力するものがいるというイメージですね。

 

なおこのヘゲモニーは緻密な偏見の積み上げで完成します。

それゆえに、ヘゲモニーから解放を目指すにはその英語を恣意的に評価してしまう思い込みを一つ一つ潰していく必要があります。

そこで、次の章ではロバートフィリプソン『言語帝国主義』より一部ご紹介という形で代表的なものを見て行きましょう。

 

 

英語学習者の思い込み(ヘゲモニー)を整理する

英語学習者の思い込み①ー英語は英語で教えるのがいいー

早速ですが、英語を過度に評価している人の思い込みの一つ目を見ていきましょう。

一つ目は、「英語は英語だけでなるべく学ぶのがいい」というものです。習得において母語をなるべく排除していくのが望ましいというものですね。

単一言語使用の心情は、言語や第二言語としての英語教育は、全面的に英語を通じて行わなければならないというものである。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p204

英語を習得するにはその習得のプロセスを全面的に英語に置き換えないといけないと多くの人が思っているのではないでしょうか。

 

別の言い方をしますと、「母語を用いるのはやむを得ない場合や理解の確認のためだけに限定するべきというものである。」(フィリプソン,2013)という考えを持っている人に英語こそがグローバル人材になりたい人にとって大事だという発想を持っていないでしょうか。

 

 

さてこの英語学習の効率化にあたって当たり前とされていることがヘゲモニーの一つであるとフィリプソンは述べているのです。

具体的には、この考えこそが植民地支配の伝統において非常に英語諸国が支配を効率化する上で伝統的に重要視してきた項目だそうです。

まず、植民地支配の伝統が単一言語使用の信条の展開に与えた影響を考えてみよう。英語以外の言語の教室からの追放は、周辺英語諸国で長い伝統を有している。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p205

母語をなるべく排除することが支配を効率的にするというのはその理由には色々あるでしょうが、当該国の言語を使うことでその国に敵対心を持ちにくくするといった効果はあると考えられます。

 

かくいう日本が朝鮮半島の植民地支配において日本語の教育を熱心に勤しんだのはいい例でしょうね。

 

英語学習者の思い込み②ー理想的な英語教師は英語話者であるー

続いてのヘゲモニーを見ていきましょう。

二つ目は英語習得にあたって理想的な英語教師は英語のネイティブスピーカーであるというものです。

第二の信条は、理想的な教師は母語話者で、母語話者としての英語能力を持つ者が生徒たちの模範となるというものである。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p213

これは英会話に子供を通わせるご家族の思想に非常によく見られるもので、それに答えるかのように多くの幼児用英会話教室がネイティブ講師を売りにしています。

 

背景には、フィリプソンが書いている通り、「英語能力を持つ者が生徒にとっての見本」となるという考えがあります。

それゆえに、例えば、多くを英語を外国語として学ぶ学習者がアフリカの人を筆頭とした人の英語話者を避ける傾向にあります。

母語話者を理想的な教師とみなすこの信条は、周辺英語諸国における英語教育の方向性に多大な影響を及ぼしてきたが、それは基本的に中心側の規範主義的な思惑が反映されたものである。例えば、西アフリカ諸国のシラバスでは母語話者の言語能力が完全に理想化され、語彙についての曖昧で瑣末な点が詳細に記されている。また、中学校で広く使用されている教科書の付属テープに、ガーナ人やナイジェリア人を模範として起用することには激しい抵抗は見られるという。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p220

 

難しく書いていますが、端的に言えば、このヘゲモニーは一つ目ともかぶる部分がありますが、イギリスやアメリカの英語話者を「憧れの対象」とする刷り込みがあるという話です。

 

英語学習者の思い込み③ー英語学習は早いに越したことはないー

三つ目は英語学習は早ければ早いほうがいいというものです。

これは冒頭にも触れた通り、今や子供に習わせたい習い事で2番手か3番手にくる事実が、この通年のある種の妥当性を担保しています。

ヨーロッパの多くの国でも早期の英語学習が奨励されていますが、もちろん下記にはないものの日本も昨今早期学習に力を入れ始めました。

 

ヨーロッパのいくつかの国々では、小学校の低学年から外国語としての英語の教育を開始する実験が行われている。こうした言語学習の早期開始の考え方は、ELTでは長い学問的な歴史がある。かつてゲートンビーは確信を持って次のように述べている。「一般的にいって、子供が第二言語を学び始める時期が早ければ早いほど、良い成果を得ることができる。理想的な学習方法は、子供達が母語を学んだのと同じように第二言語を学ぶことである。しかし、それは通常不可能である。小学校の段階で第二言語として英語の学習を始めるのが難しいのであれば、、中学校ではできるだけ早い段階で開始することが必要である。」

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p221

 

とにかく早く英語を学ぶことですごい大人になれるという刷り込みがそこにはあるわけですが、これも非常に支配を行うものの狙いに乗せられているというのがフィリプソンの考えです。

 

フィリプソンが面白い例を挙げているのですが、英語教育の早期化によってその方面の産業が生まれる一方で衰退する産業があるとのことです。

 

この信条が適用されたことで、それ以外の言語を犠牲にした上で英語の地位が確立され、中核英語使用諸国からの援助や専門知識への依存が永続化され、多くの初学者にとっての乗り越えられない言語障壁が作り上げられた。経済的な影響もある。英語学習の開始年齢を引き下げることで英語教師の職は増加し、それ以外の言語の専門家の働き口はという燃焼する。英語に高い地位を与えることで必然的にもたらされるイデオロギー上の影響については、これまで繰り返し述べてきた。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p231

 

ここの例を日本に当てはめてみるとどうでしょう。

 

英会話スクールを多くの子供が通い始めると、その代わりに割りを食うのはそれまで人気だった伝統的な習い事ではないでしょうか。

衰退のタイミングはもう少し後になるかもしれませんが、例えば、そろばんや書道が英語によって押しのけられる可能性があります。(子供の教育費を増やせる経済環境がこの後くる場合は別でしょうが、その可能性は低いでしょう)

 

「グローバル人材に子供をしたい」と考える親が増えれば増えるほど、英語より優先順位が高い習い事は減り、長い目で見れば我々の文化自体を破壊しかねないのです。

 

英語学習者の思い込み④ー英語に接する時間は長いに越したことはないー

4つ目に移りましょう。

英語に接する時間をとにかく増やそう、そうすることでグローバル人材になる近道を歩めるという考えですね。

この信条によれば、英語が不得意な生徒であっても、その言語を学ぶ時間が長ければ長いほど良い結果が得られるとされる。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p232

 

そんなの当然でしょう?と言われるかもしれません。

ただ、英語の習得という点で見たときにでさえこの考え自体を反証する研究が複数あるとフィリプソンは考えています。

 

皮肉なことに、この信条を破棄することで、英語の水準が改善される可能性もある。と言うのも、すでに母語で高い認知学習言語能力を身につけた学習者たちに、より質の高い教師が英語を教えるのであれば、今より少ない時間であっても、英語の習得のためにはより良い状況がもたらされるかもしれないからである。反対に、学校教育の最初の6年間ほどで英語への割り当て時間を最大化しようとする取り組みは、理論的にも教育的にも問題があると言うことに加えて、言語差別主義的なものとなる可能性が高い。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p234 *下線は引用者

英語にひたすら浸かることで教育的にも問題があるし、言語差別主義的な考えの萌芽となりうる意味でも望ましくないとここでは書かれています。

 

英語学習者の思い込み⑤ー英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させるー

最後になります。

こちら英語学習者が持っている考えとしては非常にありふれていますが、「英語以外の言語の使用が英語の水準を低下させる」というものです。

英語を使えるようになるためにとにかく英語の使用を控えるべきというものです。

 

ただ、この考えはイギリスの植民地計画において中核的な思想だったとフィリプソンが指摘します。

英語以外の言語を多く使用することが英語の水準の低下を招くという考えもその一つの変化形で、かつてイギリスが保護領で影響力を持ち続けることを正当化するために用いられた。水準の維持という思想は、植民地独立後の時代におけるイギリスの計画の基本思想である。

『言語帝国主義ー英語支配と英語教育ー』ロバート・フィリプソン(2013)三元社 p235

この記事の論旨でもありますが、「我々が好意的に、積極的に受け入れているもの」が実は我々にとって不利益なものである可能性があるということをこの例は非常に強く我々に教えてくれます。

 

 

「グローバル人材」とは何かを自らでもってよく考えるべき

以上長くなりましたが、最後にまとめます。

ここに挙げた5つのヘゲモニーは「グローバル人材になりたい人は英語を学ぶべきだ」というヘゲモニーの根拠となるものです。

他にもあるかもしれませんが、例を挙げ始めるときりがないのでこれくらいにしときます。

 

何れにしても、フィリプソンの紹介を通して改めて伝えたいのは我々が積極的に迎えているものがとんでもないものである可能性があるという話です。

 

フィリプソンの指摘が面白いのが、ここに挙げた考えが我々を支配するものであるという観点から危険であるという主張はもちろんですが、それを差っ引いて英語を習得したいという側面から見た場合にもいいものとは言えないというところです。

 

  • 英語を学ぶならネイティブの人にならえ。
  • 英語を習得するには母語の使用を避けないといけない。
  • 英語はなるべく幼いときに学んだ方が良い。

 

本当にそうなのか今一度考える必要があります。

 

 

英語をみんながペラペラ話せる東南アジアの多くの国やアフリカなどが経済的に優位に立っているでしょうか?

何故日本は20世紀に英語を話せないのに世界を経済において席巻したのでしょうか?

 

 

あまりに多くの反証がありますが、英語を学んでもグローバル人材になることは無理です。

その非常識な常識は単に支配するものにとっての利益にしかなりません。

 

 

 

ありきたりなグローバル人材観を卒業することから真の意味での活躍人材は見え始めるのではないでしょうか。

以上となります。

 

読書会を大阪とスカイプで開催しています。

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