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グローバル人材の要件を満たしている人は何がおかしいのか。

更新日:

 

「グローバルに活躍する人材」

 

そのように聞いた時にあなたは何をイメージするでしょうか。

おそらく多国籍企業で活躍するコンサルタントや英語を駆使する営業マンなどなどをイメージされる方が多いのではないでしょうか。

そして、その輝かしい彼ら・彼女らをイメージするにつけ次のように思う人も最近は多いことでしょう。

 

「自分もグローバル人材にならなければこれからの厳しい競争を生きられない」

 

 

この事象は特に若手世代において顕著でMBAを取りにアメリカに留学したり、海外支社への駐在する方も昔に比べて増えてきています。

私の大学時代を思い返すと多くの人が気が狂ったように「留学したい」「海外で働きたい」と言わなければいけない風潮があったわけですが、少なからずこのグローバル時代と関係があることでしょう。

 

 

しかしながら、私はこのように安易にグローバル人材になることを追い求めるのは大きな勘違いをする可能性があると考えています。なぜなら、しばしばそのグローバル人材の象徴とされる人が人間としては外道に他ならないことが多いからです。

 

 

そういう背景もあり今日はグローバル人材の要件として広く共有されている世界観の問題点とそれを体現する象徴的人物の軽薄さを指摘することで「グローバル人材」になることの危険性を書かせていただきます。

 

■グローバル人材の要件として共有されるある世界観

先に述べたましたようにグローバル人材の要件というのは英語ができたり、アメリカの大学に行ったりと細かく分けるといろいろあります。それゆえに一見共通項がないように見えます。

 

しかしながら、私が思うに「グローバル人材」なるものを目指す人たちはある一つの世界観を共有していると考えています。

 

それは、一言で言えば「グローバルな時代にあっては国境を規定していた国家は衰退していく。だから自分は時として周囲を蹴落としてでも生きていかなければならない。そのために市場価値を高めよう」という極めて個人主義的な世界観です。

 

その証拠に例えば彼ら・彼女らが熱心に語学を習得しようとしているのは良きにつけ悪しきにつけ国家の発展のために学んでいたような福沢諭吉や杉田玄白などとは異なり「自分が生き残るため」という一点が何よりも重視されているではありませんか。

 

 

試しにあなたの周囲にいるグローバル人材を目指す人を捕まえてみてください。

そしてなぜグローバルに活躍したいのか問うのです。

 

おそらく今私が述べたような答えが返ってくるでしょう。

さて、この個人主義に対する単なる盲信をグローバル人材の要件と考える人たちの何が問題なのかに話を移します。

 

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■「グローバル人材」になるべきではない理由

一言で言えば、既存の社会秩序のありがたみを理解せず、自分たちにとって実は大切な基盤となる土台を自らの手で壊してしまう考えを持ってしまうことが挙げられます。近代批判で有名なオルテガの描写はまさに私の言わんとすることを描いています。

飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである。この例は、今日の大衆が、彼らを育んでくれる文明に対してとる、一層広範で複雑な態度の象徴的な例といえよう。

オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』(1995)ちくま学芸文庫 p82

昨今言われるところの「グローバル人材」の問題点とは要するに「過去に対する軽薄さと無知」に他なりません。

既存の社会モデルをとにかくぶっ壊すことが個人の利益にかなうと考えるとんでもない幼稚な思想なわけです。

 

それを「グローバル人材」として祭り上げ、自分たちがその恩恵にあずかってきたものをぶっ壊すことを見過ごすかそれに加担してしまうのです。

 

ありていに言えばファミコン脳なのです。

 

「グローバル人材に日本人はなれ」と言ってるやつにロクデモナイ人間が多いのを見れば明らかです。

例をあげましょう。

 

一人目が大前研一氏です。

マッキンゼーという世界トップのコンサルティングファームで活躍された方で、確か私の記憶の限りでは日本人で唯一グローバルファームでの役員か何かにまでなった人です。

それゆえにマッキンゼー引退後もBBTといった経営大学院を開学し多くのビジネスマンの育成をしています。

著書もよく売れておりビジネス界の権威と言ってもいいでしょう。

 

今の日本人で最もグローバルに活躍した人とも言えるような人物ですね。

 

しかし、彼の肩書きに騙されてはいけません。

典型的な過去に対する軽薄さと無知を遺憾なく発揮しています。

典型的なファミコン脳です。

 

大前研一氏のファミコン脳が典型的に現れているのが彼の移民政策に対するポジティブな姿勢です。

昨今の人口減少に伴い盛んに議論されるようになった外国人の受け入れについて以下のように述べています。

 では、どうすればよいのか? 私が『新・大前研一レポート』(講談社)の「日本を変える法案集」の「国籍法」で25年も前に主張しているように、通算10年間も日本で働き、永住を希望する外国人には、2年間かけて技能だけでなく日本語や日本の文化、慣習、法律、社会常識など「日本人」としての教育を義務付け、それを修了した人には永住権(アメリカのグリーンカードに相当)を与えて移民を受け入れていくべきだと思う。

『独を参考に人口の10%目標に移民受け入れ制度を』NEWSポストセブン2018年05月28日 16:00 大前研一氏

http://blogos.com/article/300281/

彼は、経済成長を維持するために一定期間日本で働いた外国人が永住権を希望すれば日本人としての教育を受けることを前提に移民受け入れをどんどんするべきだと述べます。

そして、その参考にすべき国にドイツを見習えと同氏は指摘します。

 たとえば、ドイツは第2次世界大戦後の1950年代以降、人手不足を解消するためにトルコ、ギリシャ、イタリア、ポーランドなどから移民を積極的に受け入れてきた。当初はドイツ人との確執などによるトラブルもあったが、今では国民の5人に1人が「移民の背景」を持つようになり、社会は非常に安定している。

『独を参考に人口の10%目標に移民受け入れ制度を』NEWSポストセブン2018年05月28日 16:00 大前研一氏

http://blogos.com/article/300281/

 

さて、移民を積極的に受け入れているドイツはそんなに国として望ましい状況でしょうか。

見方はいろいろありますが、ドイツのメルケルはこの移民政策を「失敗だった」と結論付けています。

しかし、これらの定住した移民は、ドイツ語が話せないなど社会に溶け込めず、失業率の高さなどが社会問題となった。2009年には外国人の失業率は12.4%とドイツ人の2倍、中途退学率も13.3%とこれもドイツ人の2倍となっている。

こうした現状に対し、メルケル首相は「多文化主義は完全に失敗した」と発言し、そのために「(多文化社会をつくり移民を”放置”するのではなく)移民が社会に溶け込み、社会が彼ら/彼女らを受け入れる状況を生み出すために、ドイツはもっと努力しなければいけない」と国民に呼びかけたわけである。

これは、移民政策に反対する、という意味ではない。この時「ドイツ語が下手な人を門前払いするようなことはすべきではない」とも発言している。ドイツ社会と移民が互いに受け入れ合うべきだというのが本音だ。

しかし、この発言から現在まで、メルケル首相は欧州危機や外交問題に注力し、国内も経済的に成功して移民に対する国民の不満が弱まったこともあり、うまく統合は進んでいない。生活保護受給者の割合は移民が40%近くを占め、犯罪率も高い。

メルケル首相「多文化主義は完全に失敗」ー今この発言に注目すべき理由

記事の中でメルケル首相は移民政策の全否定をしているわけではありません。

今後の可能性には言及しています。

 

しかしながら少なくともこれまでの多文化主義は完全に失敗したと結論付けています。

文化になじませるような施策もしたが失業率の高さや犯罪率の高さが移民政策によるものだと結論づけているからです。

 

当事者であるメルケル氏がこのような弁を述べる中で大前氏はなんとのんきな発言だと思いませんか。

とてもロジカルシンキングに優れたエリート集団のトップにいたとは思えません。

 

ドイツを「成功例」として捉える軽薄さはいうまでもないですが、根底にある「とにかく金さえ儲ければいい」という近視眼的な政治思想には辟易とせざるをえません。

このような場当たり的な発想ができるのは過去に対する無知と軽薄さ以外に理由があるでしょうか。

これがグローバル人材なるものの正体なのです。

 

 

「日本人はもっと外国を見たほうがいい」と同じように言っている悪名高い代表的人物がもう一人います。

それは竹中平蔵氏です。

 

小泉政権時代にプレーンを務めてから、慶応大学の教授やパソナグループの会長といった要職をこなすビジネス界のエリートとされている人物です。

彼もまた移民を入れろと断言しています。

要旨としては日本はこのままでは少子高齢化で経済が縮小していくから移民を労働力の確保の手段として入れなければならないと述べています。大前氏とほぼ同じ論調です。

減り続ける人口をどうするか。竹中平蔵氏の移民に関する提案が話題になっている。現代ビジネスに掲載された田原総一朗氏と竹中平蔵氏の対談記事のなかで、竹中氏が「本当に10年、20年のタームだと、移民を受け入れればいいんですよ。それで、普通はアメリカでもオーストラリアでも成長戦略を議論する場合には、必ず最初に移民の問題を議論するんです」と発言していることが発端になっている。

竹中氏は、「人口減社会で国が成長するなんてありえない」というアベノミクス反対派に対し、人口減社会でも成長できるとして、その方法の一つに、移民受け入れを挙げている。竹中氏は今回の安倍政権において、アベノミクスの成長戦略の実現方法を探る目的で設置された、政府の産業競争力会議に民間議員として参加し、規制改革などについて持論を展開していた。

竹中平蔵氏「移民を受け入れればいいんですよ」〜日本に移民政策は必要か【争点:少子化】2013年07月24日 18時07分 JST

https://www.huffingtonpost.jp/2013/07/24/immigration_n_3642850.html

ここにもあるように国の成長戦略に「移民政策」を進言したとあります。

今安倍政権が移民政策をなし崩し的に進めているのは彼の助言があることは少なからずあるでしょう。

 

 

さて、ここで冷静になって知ってもらいたいことがあります。

ビジネス書などを数多く執筆し「時代の先にいる人」として担ぎ上げられている人があまりに周回遅れの発想とは思いませんか。

二十世紀に同じことをして失敗したアメリカやドイツと同じ形で移民政策を推奨しているのです。

どこが時代の先が読めているのか冷静に考えてみてください。

むしろ時代に逆行していると言ってよいでしょう。

 

 

過去に学ぶのであればGDPみたいな経済指標を神格化し場当たり的に移民政策で埋め合わせた国ほど、今移民の問題に苦しめられていると結論付ける方が自然です。

 

しかも仮に移民政策をやるにしても、ドイツやアメリカを見ればファミコンのようにやばくなったらリセットできないのは明らかですから少なくとも慎重に議論をするはずです。

 

 

もちろん経済を完全に無視すべきという考えを私は持っているわけではありません。

経済の豊かさは極めて重要です。

 

しかし、それ自体を神格化することは視野の狭さを露呈することになるでしょう。

例えば、アメリカの場合GDPも平均所得も上がっていますが、所得層ごとの分布を見れば中間層以下は貧困化が進んでいるなどの事実があります。

 

認識のカテゴリーを一つにしてしまい致命的な失敗をしたのがアメリカとドイツなのです。

それを踏襲するべきだと言い始めるとはひどいの一言でしょう。

 

これを我々の社会はグローバル人材のオピニオンリーダーとして担いでいるのです。

 

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■グローバルな時代に読んでおきたい本

私が思うにグローバルな時代と言われる現代社会において重要なのは、多様な角度から社会を見ていくことです。

 

人間社会は経済だけみればいいわけではありません。

確かにマルクスの定義したように人間が「利害」を唯一の行動原理とすると考えることは物事の整理を容易にします。

しかし、繰り返し述べたように人間は金儲けだけを考えて行動するわけではありません。

 

他にも重要なことがたくさんあります。

それを理解するために、今ある「一見不合理に見えるもの」を実は違う角度から見れば意味があるんじゃないかと考えていくこと大切です。

 

 

グローバルな時代に必要な人材要件とは一般的なイメージとは正反対に「保守的な態度」です。

何もしなくても勝手に変わっていく中にあってはいかにその変化が人々にとって害をもたらさないかを慎重に立ち止まって吟味する必要があります。

 

最後に「保守的な態度」を学べる書籍をリストとして5冊ほど載せさせていただきます。

 

 

 

 

 

グローバル時代だからアジアにうってでろだのグローバル時代だから移民を入れてイノベーションを起こそうだの軽薄でかつ安易すぎる議論に扇動されるのを防いでくれる良書かと思います。

 

以上ご覧いただきましてありがとうございました。

 

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こくち

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