私はなるべく短絡的に判断しないということを心がけるポリシーを持っているのですが、実は一つだけそれを聞けばすぐさま相手を軽蔑する言葉があります。
それは「反日」という言葉です。この言葉を発する人でまともな人を見たことがありません。
「あいつは反日日本人だ」
「あの人は反日左翼だ。朝鮮に帰れ」
「韓国は反日国家だから絶縁しろ。」
あなたもこういう言葉をネット上やテレビで見かけたことがあるかと思います。
このような人間が日本においては「国を愛する愛国者」を自称しているのですから恥ずかしい限りです。
ただ、そんな恥ずかしい考えを臆面もなく披露する人間が世の中には一定数います。
我が国の存亡はこの手のデタラメな人間をいかにして表舞台から引き摺り下ろすかにかかっています。
そこで本日は、この「反日」という言葉を日常的に利用する人間がどれほどロクでもないかはもちろんのこと、なぜこのような愚かな発想に至っているのかについて書かせていただきました。
反日日本人とは何か
まず、「反日日本人」とは何かから書きます。
そのヒントは検索エンジンで見つかります。
まずは、「反日」という言葉を検索エンジンに入れて見てください。まあすごい光景が映されます。
具体的には「韓国や中国へのヘイト動画」か「櫻井よしこや百田尚樹をはじめとしたビジネス右翼のトーク動画」「DHCテレビやチャンネル桜の同人誌的番組」ばかりが出てきます。
番組の内容はどれを取っても同じで内容はだいたい中韓叩きか安倍政権よいしょ番組、野党叩き番組、日本素晴らしい番組のオンパレードです。
下記リンクより試しに見てみてください。
さて、そんな動画を複数見ればわかるのですが、登場する人物が差別意識満載で、体制盲信者で、現状認識が著しく低い歴史観を持つ人だらけです。
そんな厄介な人たちに敵対視されるのが「反日日本人」と呼ばれる人です。
ということは、反日日本人と呼ばれる人々は「脊髄反射的な嫌韓、嫌中意識を持たず、逆に日本国家や現体制などへ盲信的な考えを持たない人たち」なのです。
反日日本人と叫ぶ人はなぜそのような考えに至るか
さて、前置きはこれくらいにして問題の核心の方に行きます。
ここで掘り下げるのは、手当たり次第に自らに合わない人間を「反日日本人」と叫ぶ自称保守がなぜこのような薄汚い発想に染まってしまったのかという点です。
これを知る手がかりになる思想がありますのでご紹介します。
私がおそらく彼らの思想的基盤になっているであろうと考えている人物がいます。
それはカール・シュミットです。
カール・シュミットは『政治神学』『現代議会主義における精神史的状況』などの力作を多数残している天才ですが、、、、一歩間違えてハイデガーなどと同様にナチスの御用学者になった人です。
あまりご存知のない方向けにシュミットについて前もってある程度バランスのとれた紹介をすると、現状分析や課題設定能力は極めて高いものがあったが、ソ連を作ろうとしたレーニンに同じく結論を決定的に間違え後世に汚名を残した人物です。
さて、このシュミットの思想が極めて今の「反日日本人」と叫ぶ人間と似ているというのがこの章の趣旨です。
ここではシュミットの思想の一部に触れながらその接続を見て行きましょう。
カール・シュミットという人物の思想を端的に述べると「徹底的なニヒリストでかつ理性盲信者」です。
理性を超え出るいかなるものも信頼しないという立場を彼は取っていました。
それゆえに例えば、人間理性が誤りをおかしうるという前提のもと構築された議会主義を徹底的に彼は否定しました。
あれは格好だけはいいが非常時に何も対応できないものだという考えを持っていたのでしょう。
逆に打って変わって、全てを理性で裁断していく「独裁」を賛美していったのです。
第二次大戦後にシュミットから攻撃を受け続けた言論人の一人にカール・レーヴィットという人物がいるのですが、今の話を極めてわかりやすくまとめているので引用します。
そして、最後にシュミットは、「神話の理論は、議会主義的思想の相対的な合理主義がその論拠を喪失したことを示す最も力強き表現であり」現代においては、「議会主義かしからずんばなにか、という反問を繰り返して主張する時代はさった。」として、彼の議会主義批判を結んでいるのである。
こうして、シュミットは「民族的神話」と指導者原理による「独裁」、安定した権威による「全体国家」の確立のための理論的正当化への道を掃き清める上で、大きな役割を果たしたのである。
『マックス・ウェーバーとカール・シュミット』カール・レーヴィット(1971) 未来社(『政治神学』カール・シュミットp204より)
ここでレーヴィットはシュミットが議会主義というものについて極めて神学的(綺麗事でできていて)で現実の厳しい状況において役に立たないと考えていたかを述べています。そして、その論理的帰結としてシュミットが民族的神話と指導者原理に基づく独裁しかないという考えに歩みを進めたことも説明されています。
ちなみに今の話のなかで「ニヒリスト」でありながら「民族的神話」(ゲルマン民族とか日本民族にまつわる物語)を活用するべきという思想の並列は一見矛盾があるように見えると思います。これは確かにおっしゃる通りです。
ただ、おそらくこの矛盾が起きている理由は、単に御都合主義的に独裁で国民をまとめ上げる方便としてこの神話が役に立つと思ったからという程度のもので深い理由はないでしょう。
なお「まとめ上げるのに神話が役に立つと考えた」と私が考えた根拠ですが、シュミットが重視した「敵・友」という極めて「私情」からくる発想がスタート地点にあったというところをあげたいと思います。
友・敵概念は、隠喩や象徴としてではなく、具体的・存在論的な意味において解釈すべきである。すなわち、経済的・道徳的そのほかの諸概念を混入させて弱めてはならず、いわんや私的な個人主義的な意味で、心理的に、個人的な感情ないし性向の表現と解してはならない。
『政治的なものの概念』カール・シュミット(1970)未来社 p16
ここまでがシュミットの思想の概要なのですが、改めてまとめます。
カール・シュミットという人間は「ニヒリスト」として現状を徹底的に批判しました。
ただ、その批判がいかに正しかろうと「独裁」(および全体主義)という最も最悪な考えを正当化した無茶苦茶な思想の人なのです。
しかも「ニヒリスト」を気取りながらも「独裁」の完遂にあたっては「神話」を我田引水しながら活用するというデタラメぶりでした。
さて、シュミットの話が長くなりましたが、ここから自称愛国者に話が映ります。
今の話はかなり「反日日本人」と騒いでいる人間と当てはまるのではないでしょうか。
彼らの考えの概要はだいたい三つくらいにまとまります。
- 中韓を筆頭とした差別意識
- 強いリーダーを賛美し、多様な議論の否定(安倍政権盲信者)
- 都合のいいところを我田引水した「日本素晴らしい」という歴史観
一つ目がまさに「友・敵」意識であり、二つ目の「独裁の肯定」、そして最後が一つ目と二つ目を正当化する論理になっています。
まさにシュミットがナチスを正当化する際の基盤の上に立っています。
本当の反日日本人
さて、色々書いてきましたが、シュミットの思想がデタラメなナチスを正当化したように今の自称愛国者の思想は我が国にとって害でしかありませんということをここまで書いてきました。
そしてこの話を本題に引きつけていうならば「反日日本人」なるものがいるとしても、それは共産党でも、野党でも民主党でも朝日新聞でもなくて「反日」と騒いでいる自称愛国者であるということが私の主張です。
なんとも恐ろしい話ですが現状の全てを否定し続けつつも御都合主義的に適当な歴史観に基づいて独裁体制をよいしょするというのは全く昔話ではないのです。今の日本で起きているのです。
そういう意味では、日本としての国家の存亡がこの手の自称保守を引きづり下ろすかにかかっていると思います。
そんな危機的状況の中でできることは二つです。
まずは、我が国に対するデタラメな理解をうち捨てることです。
「デタラメ」かどうかは自分たちにとって無批判的なものであればあるほどその可能性は高いでしょう。
最近の日本賛美番組の勃興や『日本国紀』などのデタラメ本の興隆を見ているともはや手遅れかと思いたくなりますが、まだ諦めたくはありませんのでここに書いています。
そして二つ目ですが、「強力なリーダー」を求める気持ちを諌めることです。
独裁が歴史的におおよそ全て失敗に終わったことを鑑みればその考えを持つだけで問題ありません。
権力は基本疑ってかかるべきで、「野党がひどいので他に選択肢がない」といったテンプレートにしがみつき安倍政権を盲信し続けるのをやめるべきです。
この二つからの脱却をし、自らの思考と意志に基づく判断を大切にしていくことが大切なのではないでしょうか。
ヘイト動画に流されていくのはあまりに無残です。
以上お読みいただきまして誠にありがとうございました。