今週はこれまたずいぶんと小難しい本を手に取ってみました。
戸坂潤の『日本イデオロギー論』です。
古本市に誘われて行った時にタイトルに惹かれて購入を決意したわけですが、これが思いの外面白い。
内容としては平たく言えば戦前、戦中の日本国民を支配していた「日本イデオロギー」なるものの解明が主目的です。
ただこの内容が昔話には思えず、どうも今日にも当てはまる本だと感心させられるわけです。
具体的に言えば今の権力者(安倍政権)に対する盲信ぶりを発揮する層と昔の軍国主義的愛国カルトが極めて似ているのです。
そういうわけで今日は、戸坂潤の『日本イデオロギー』をひきつつ何がどう似ているのかについて書かせていただきます。
■安倍政権盲信者と軍国主義的愛国カルトはどの点で似ているか
まず結論から。
安倍政権盲信者と軍国主義的愛国カルトはどの点で共通しているのかというとそれは一点です。
中身が空っぽの無思想状態にある人たちが大量に動員された結果だということです。
これについて少し掘り下げたいと思います。
まずは、戦前戦中の軍国主義的愛国カルトである「日本イデオロギー」に対して戸坂潤は下記のようにまとめています。
以上「日本精神」に味到した人たちの見解に接してみたが、少なくとも今までに判ったことは、何が日本精神であるかということではなくて、日本精神主義なるものが、如何に理論的実質において空疎で雑然としたものかということである。で日本精神という問題も日本精神主義という形のものからは殆ど何の回答を与えられそうもないということがわかったのである。文部省下に国民精神文化研究所が出来ても『日本精神文化』という雑誌がでても、又日本精神教会というものがあって其の機関紙『日本精神』が刊行されても、そうした日本精神主義による日本精神の解明は当分まず絶望と見なくてはならないだろう。日本精神主義というのはだから、声だけで正体のないBauchrednerのようなものである。
『日本イデオロギー』戸坂潤(1997)p141 岩波文庫
多くの自称愛国者が叫ぶ「日本精神」なるものが実は中身がなく大変空疎なものだと戸坂は断罪しているのです。
彼はどれほど中身がないかを表現するために「日本精神」なるものはすごい研究施設を作ろうが何も正体は掴めないと吐きすてるわけですが、ここまで彼に言わせるほど当時の軍国主義的愛国カルトは中身のないものだったのでしょう。
さて、現在の安倍政権盲信者も非常にこの「日本精神」に近い思考をしています。
卑近な例を挙げます。
この政権盲信者とかぶる特徴に中韓に対する異常な敵対心を持っています。
先に挙げた著名な自称保守論壇がいい例でしょう。
彼らはよく「中国の脅威がー」、「在日は朝鮮半島に帰れ」、「中韓と国交断絶せよ」などといった中韓に対する異常なまでの憎悪を持っています。
そして、この考えを補強するものとして以下のような論理武装(歴史認識をしています。
- 南京大虐殺はなかった
- 従軍慰安婦問題はなかった
- 日本はアジアの解放を助けたから第二次大戦期については感謝されるべきだ
- 日本は韓国を植民地にしていない
- 日本には朝鮮半島とパイプのあるスリーパーセルがいる
この手の本はよく売れるそうで、ケントギルバート氏、百田尚樹氏、竹田恒泰氏などの「保守論客」と言われる人たちはこの層を狙って書籍を多数書いています。
しかし、この思想のデタラメさは指摘し始めるときりがありません。大きくは2つの点から指摘可能です。
まず、先に書いたような日本が中韓に対して何もしていないかのような歴史認識は極めて恣意的で一面的だということです。
歴史にはいろいろな解釈があるというのはE.H.カーの言葉を引くまでもなく当たり前のことです。
教科書に書かれている源平合戦の史実と『平家物語』では全く違う歴史が違うように見えるのはそのよい例でしょう。
ですが、このよくわからない愛国カルトに支配された方々というのは日本にとって都合のいい歴史解釈だけを「史実」と述べ、それに反対するものを反日だと呼ぶわけです。
この手の人たちがほかの角度から中韓をみていることを私自身は見たことがありません。それくらいまあひどいものです。
さてもう一つです。仮に「中国の脅威が・・・」、「スリーパーセルが・・・」と叫んでることが正しいとしましょう。
しかし、この考えにのって盲信すればするほど安倍政権ほど支持できない対象はないのです。
彼ほど、歴代の政権の中で積極的に移民政策を推進し、中国人を筆頭とした移民を招き入れている国はありません。(ここではその是非は置いておいて)
つまり、中韓ヘイトで一貫するならば安倍政権を批判しなければいけないわけです。
しかしながら、無思想でご都合主義的だから政権を擁護しつつ移民政策は否定する。
中韓ヘイトについては他にもひどい話題が盛りだくさんで、河野談話をフェイクだと叫んでおきながらそれを踏襲すると呼んだ安倍晋三を支持するのも良い例でしょう。
中韓をひたすらに憎むというのも間違ってるし、仮に100歩ゆずってそれが正しいとしても移民政策を急進的に進める安倍政権は支持するに値しないという二重の矛盾を抱えているとかんがえるとカルト信者だと思いませんか?
■自称保守が主導する軽薄な思想がもたらすもの
少し前置きが長くなりましたが、私がここまで述べたことを通して述べたいことを一言で述べます。
それはこの記事で要点にしている無思想性こそが非常に危険だということです。考えないことの危険性があまりに現代は軽視されていますが、何よりも危ないということです
何も考えていないがゆえに嘘やデマに思想を占領されてしまうことが多くなるのです。
ちなみにこの無思想の危うさに注目したのは別に私が初めてではなく、世界的にずいぶんと前から指摘されていることだったりします。
たとえば、ハンナ・アーレントやリップシュタットをよめばホロコーストに少なからず大衆の無思想が加担したと指摘していますし、山本七平や丸山眞夫を読めば日本人の戦時中の愚行も無思想が生み出したと読むことができます。
この記事をまとめます
我々はしばしば特定の思想を持っていることを「危険だ」と考えがちです。
しかし最も危険なのは思想を持たないことではないかということです。
なぜなら、何も思想がないから嘘やデマに占領され誤った考えを盲信してしまうからです。
「思想」というものは相対化できたり、「翻訳」できなければなりません。
戸坂も思想の成立要件としてこの他者への説明の可否を非常に重視しています。
ファッショ政治諸団体の殆ど無意味なヴァラエティーと同じく、吾々にとって大局から見てどうでもいいことである。ただ、一切の本当の本当の思想や文化は、最も広範な意味において世界的に翻訳され得るものでなくてはならぬ。というのは、どこの国のどこの民族とも、範疇の上での移行の可能性を有っている思想や文化でなければ、本物ではない。丁度本物の文学が「世界文学」でなければならぬのと同じに、ある民族やある国民にしか理解されないようにできている哲学や理論は、例外なくニセモノである。ましてその国民その民族自身にとってすら眼鼻のついていないような思想文化は、思想や文化ではなくて完全なバルバライに他ならない。
『日本イデオロギー』戸坂潤(1997)p153 岩波文庫
ネトウヨ本にそのような思想はあるでしょうか。
単に敵を作り出してぶっ叩いているだけではないでしょうか。
まあだからこそ中韓ヘイトと安倍政権盲信者は重なる部分が多いのですけどね。
今こそ冷静になり自分が信望している思想の言語化を試みることが大切なように私は思います。
その際、もし深さがなく脊髄反射的に特定の価値観を盲信するよう求められるのであればそれはデタラメなものといってよいでしょう。
■合わせて読みたいオススメの本
最後にこの戸坂潤の本と合わせてオススメの本をリストアップ致します。
そのそれぞれが大枠で同じことを述べています。
カルト化していく条件にはある何らかの具体的な思想が存在するのではなく、無思想の大衆に嘘やデマに満ちた偏見が放り込まれていくという様をみることができるでしょう。
まず1冊目は、幸徳秋水の本です。
社会主義者や無政府主義者などとして教科書で紹介されるためあまりいいイメージを持っていない人が多いかもしれません。ただ、当時「反日」「社会主義者」としてレッテルを貼られていた人がいかほどにまともなことを言っていたかを知ることができる本です。(批判すべきところがないわけではないですが)
幸徳秋水は戸坂潤と同様に第二次大戦前の軍国主義的愛国カルトを徹底的に批判したのです。
それゆえに逮捕即死刑になるわけですが、彼のものの考え方は今の当世には非常に有益なものとなるはずです。
2冊目がハンナ・アーレントの『全体主義の起源』です。
こちらは数百万人のユダヤ人大量虐殺がなぜ支持され実際に起きるにいたったのかを研究した本です。
おそらく20世紀最大の名著と言ってもいいかもしれませんが思考停止した大衆に漬け込み支持をかき集めたナチスの姿を見ると今の劇場型政治と通ずるものがないとは言えないことでしょう。
最後です。
こちらすでに本文でも少しあげましたが、山本七平による日本軍に従軍した山本による第二次大戦を振り返る本です。
そこではどれほど異常なことがあったかが描かれており、「日本人は偉大な民族で、、、」と根拠なく思っている人は恥ずかしくて布団にくるまりたくなるようなことが書かれています。