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世の中一般について

日本がもうだめになりつつある最大の理由

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組織論などの本や統治論の本を読んでいくと広く共通して述べられていることがあります。

 

それは、「意思決定者(達)が劣化している時に悲劇は起きる」という趣旨のメッセージです。

 

これは例えば『失敗の本質』というような著名な本などが典型的かもしれませんが、「組織の停滞はボードメンバーが自己批判的思考を失い、なあなあの体制が出来上がった時に起きている」ということが描かれます。

 

 

さて、この話が今の日本の状況と関わっているというのが本日のテーマです。

要するに、日本がもうだめになりつつある理由の根本には意思決定者である「エリート」の腐敗があるということです。

 

本日はこの「エリート」の問題を取り上げます。

 

国民がバカだから日本はもうだめなのか?

本論に入る前にしておかなくてはならない話があります。

それは、「国民白痴」「大衆批判」という類の批判で国家がもうだめになっている事を説明するパターンについてです。

 

 

この手の大衆批判というのは、今日の日本においても「エリート層」と言われる人たちから頻繁に出てきます。

 

例えば下記のような記事は最近話題にもなりましたが典型例です。

『竹中平蔵氏「今の日本人は童貞男子とそっくり」未知のものを怖がる?』

https://news.livedoor.com/article/detail/17271554/

 

 

「今の日本人は内向きだからだめ」「今の日本人は目の前にチャンスがあってもチャレンジをしない」・・・

 

こういうビジネス書の一冊や二冊をあなたも読んだことがあるでしょう。

 

経営コンサルタントや会社経営者上がりの人間を捕まえてビジネス書を書かせればだいたいこのメッセージになるといってもいいほどです。

 

 

なお、このような形での「大衆批判」は古くは哲学者などによっても行なってきました。

ニーチェやオルテガなどはその典型です。

 

彼らの悲壮感は「大衆が終わってるので社会もだめになっていっている」というところから来ています。

 

 

さて、このような大衆批判が現代の日本における衰退の根本要因といえるのかというのが私の問いかけになります。

 

その疑問に対する私の回答が冒頭に触れた「ゼロとは言わないが、大衆よりもエリートの没落の時にこそ社会はだめになるのではないか」というものになるのです。

 

「エリートの劣化」が日本をもうだめな国にしようとしている

かくいう私も色々な本を読み始めた5年ほど前には「大衆がバカだから社会がだめになっていっているんだな。自分だけでも大衆を脱せられるように頑張ろう」などと思ったものです。

 

しかし、3年ほど前から「大衆がバカだから→日本がもうだめになっている」のような図式はそれほど結びつきとして強くないのではないかと考えるようになりました。

 

 

その理由については例えば2つの角度から考えてみたときに特に感じたものです。

 

 

まず一つ目は、「現代の大衆がバカだ」という命題が仮にそうだとしても、知識水準で言えば明らかにここ数年の方が50年前・100年前・200年前などよりも高いと考えたときです。

実際に中卒が激減し、大学進学率は上がり続け、識字率も高く推移する今の日本の国民が過去の時代に比べて「バカ」だというのは結構難しいのです。(今が過去の中で最も良い時代だとはとてもいえるならそれほど問題意識もわきませんでしたでしょうけども)

 

 

もう一つの切り口としては、それを踏まえた上で「やはり大衆がバカだから」とするにしても、「そうはいってもいつの時代もこんなものじゃないのか?」と考えてみたときです。

 

高度成長期のソニー創業者やパナソニック創業者、明治時代の渋沢栄一などの伝説の経営者を挙げて今の日本人にはこういうチャレンジングな人が欠けているみたいな論説を多くの経済紙は好みます。

 

 

そういったメンタリティーを失っているから鍛えて身につけようというわけなのでしょう。

 

しかし、その当時の国民の多くがそういった起業家のような人ばかりだったとはとても思えません。

 

 

ほとんどの人が「俺は積極的にリスクをとる」「三年後には会社辞めて起業する」みたいな人種よりも、「できれば安定した職につきたいし、できればストレス少なめに高い給料欲しいし、できれば休みも欲しい」みたいな現代の人に近しい発想を持っていたのではないでしょうか。

 

 

全人口の半分とまでもいかなくても20%程度すら突然会社に辞表を叩きつけて起業をはじめ始めようとするメンタリティーがあった時代があればぜひ教えていただきたいものです。

 

 

ここで改めて本題に戻りましょう。

改めて考えてもらいたいのが「エリートの劣化」が日本をもうだめな国にしようとしているのではないかというテーマです。

 

 

冷静になってこう考えてみると色々とスッキリすることがあります。

 

例えば、日本の今の公的セクターでいいますと、今の日本には「少子高齢化によるGDP比で異常な政府債務の膨張」、「GDPのゼロおよびマイナス成長の連続更新」など頭を抱えてしゃがみこむほど深刻な問題がいくつも転がっています。

 

しかし、それに対して今の権力を持つ「エリート」たちがしていることといえば何でしょうか。

 

現実を直視することなく、ETFで株を爆買いして釣り上げることでさも景気がいいかのように演出したり、消費税増税後に百貨店などが売り上げを激減させているのに「景気対策がうまくいっている」と嘘をついたりと確信犯的に国民を騙しに来ています。

(『10月売上高、軒並み2割減=駆け込み反動で百貨店各社』時事ドットコム2019年11月1日https://www.jiji.com/jc/article?k=2019110101147&g=eco

 

挙げ句の果てに「成長戦略」としてやっているテーマが公的資産を自分の身内に売り払うというもののオンパレードです。

(関空、水道事業、移民政策、保育所の民間参入認可など)

 

 

 

民間セクターでも去年と今年だけでも今まででは考えられないとんでもないニュースがいくつもありました。

 

最近の例で言えば、関電の経営陣が原発を誘致する代わりに元助役から金品を授受していたというものがいいかもしれません。

あれほど綺麗な汚職もないわけですが、会見では当初経営層がやめる気がないかのような発言をしており多くの人が驚いたものです。

 

しかも経緯の調査をするメンバーに自分たちの息のかかった人間が入っているというのですからコントかと言いたくなります。

 

去年で言えば某地方にある銀行が融資文書を改ざんしていましたが、そのプロセスなど完全に堅気の商売ではありませんでした。

 

 

他にも事例は多数ありますがこれ以上あげると日本がもうだめだ感がさらに増すと思うのでここでストップします。

 

 

ここで改めて強調しておきたいのは、こういった不祥事のオンパレードが続く日本において「国民がそれを批判しないバカだから」と考えるのは一理あるものの、それはOne of themだということです。

 

根本的にはエリートと言われる人があからさまに不祥事を犯しながら「なあなあ」で済むから大丈夫と考えている「モラリティ」にあるのではないでしょうか。

 

エリートの反逆

クリストファー・ラッシュという方が書いた本に『エリートの反逆』というものがあります。

これは、オルテガの大衆批判を描いた『大衆の反逆』をもじったタイトルなのですが、私がここまで述べて来た内容に近しいことを述べている書籍です。

 

例えば、オルテガによる一つの大衆描写を取り上げラッシュはそれが実はエリートの方にこそ当てはまるのではないかと論を展開します。

しかしながら、オルテガの記述によれば、大衆の精神を特徴付けているのは、何と言っても「自分たち以外のすべてに対する極端な嫌悪感」である。何者にも感嘆することなく、また何者にも敬意を抱くことのできない大衆は、「人類史のわがままっ子」である。

 私が言いたいのは、こうした精神の習慣はすべて今日では、社会の下層あるいは中層よりも上層の特徴となっているということである。今日の市井の人々が「無制限の可能性」の世界を待望しているなどと、とうてい言えはすまい。

『エリートの反逆 歴代民主主義の病い』クリストファー・ラッシュ(1997) 新曜社 p35

 

オルテガは近代を経て大衆がわがまま子になったということを描いているのですが、ラッシュはどうも最近の世界を見ていくとそれは社会の上層にいる人間にこそ当てはまらないか?と提起するのです。

 

会計上の穴を突いて多額の利益を出しながら中小企業よりも税金を払わないあの企業の経営者なんかはそうです。

 

 

もしかすると、オルテガが生きていた時代はオルテガの述べたように大衆の側に問題の根本を見出すべき時代だったのかもしれません。

 

 

しかしながら、ラッシュに言わせれば、ナショナリズムが後退し国家というものに縛られることがなくなった途端に潮目が変わったというのです。

 

 

自らの資本の拡大にのみ囚われれば良くなった社会の上層部は「国に対する責任」などは「いうとダサいもの」に転化させてしまったのです。

 

 

資本が国境をこえて拡張していかなければならない時代にあっては、むしろ率先して義務を果たさないことが自分の成功のバロメーターになりつつあります。

 

 

ラッシュは、このような新時代のエリートについて、旧来の「貴族」が率先して果たそうとした義務は果たさない一方で、自らが貴族という階級にあることは強く求める人間たちだと表現しました。

 

そしてその階級を不動のものとするべく、市民からなるべく距離をとるようにしていると彼は言います。

おおまかに言えば、近年の歴史過程はもはや社会的差異の平準化に有利に働くのではなく、少数の恵まれた者が金銭と教育と権力の利益を独占するに階級社会の方向へ、ますます向かっている。近代的な生活から得られる快適さが産業革命以前よりますます広い範囲に分配されつつあることは、もちろんいまでも否定できない。・・・・しかしながら今日では、物質的な豊かさの民主化・・・が反転して、むかしながらの不平等が、ときにはおそるべき速度で、またときには容易に気づかないほどゆっくりと復活しつつある。

『エリートの反逆 歴代民主主義の病い』クリストファー・ラッシュ(1997) 新曜社 p38

 

今日においてはいまだに左か右かみたいな争いが続いていますが、エリート対市民の構図であるということを一人でも多くの市民が気づくことこそが求められていると思います。

 

卑近な例を挙げれば、韓国を仮想敵国として現在の政治家やエリートが煽ったりするのは目くらましでしかありません。

 

 

劣化し、最も迷惑なのは誰かといえば劣化したエリートたちです。

このことに無関心であることや同じ市民の中に敵がいると考える旧来の図式では日本がだめになるのを止める手立てはないでしょうね。

 

 

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