「日本も本格的な格差社会になる」
「日本の格差が深刻だ」
「政治はいつ格差問題に対処するのか」
「格差」。これ自体を肯定するにせよ批判するにせよ、この言葉が現代社会の一面を描くキーワードであることに異論の余地はないでしょう。それほどに「格差」は今の社会を席巻している話題です。
アメリカや欧州各国では1970年代あたりから、すでに「格差」は当然とされてきました。
そのため、目新しいものではないのかもしれません。
しかし、日本で本格的に「格差」が認識され始めたのは、ここ2−30年のことでしょう。
それ以前はまだ「一億総中流」という考えが主流でしたし、今ほど所得格差や資産格差はありませんでした。
現代では、そういった中流意識を人々が持っていた時代を終えて、社会で「格差」が問題視されるくらいに日本も格差大国となりました。
「貯蓄ゼロ世帯」の増加や長者番付などをみていると今後さらに悪化することも考えられます。
ところで、「格差」はどうして生まれてくるのでしょうか。
ある人は「個人の努力の差」と考えるでしょう。
またある人は、全世界的に企業が労働分配率を下げていることに注目するでしょう。色々理由はあります。
ただ、あえて一つに絞れということであれば、イマニュエル・ウォーラステインが『史的システムとしての資本主義』で述べているある一つの者が原因だと私なら述べます。
「格差」がなぜ起きているのか、そして、「格差」は拡大し続けるのか。
この素朴な疑問に答えてくれる良書としてぜひお勧めしたい一冊となります。
「格差」の理解は徴税権にあり!
「格差」はどういうメカニズムで生まれるのか。このことを早速ですが考えていきます。
ウォーラステインによれば、「徴税権」に着目することで「格差」についての理解はほとんど完了するようです。
「徴税権」というとその言葉にあまりなじみがないかもしれませんが、国家ないし地方公共団体が,その活動に要する費用を租税として徴収する(ブリタニカ国際大百科事典より)権利のことです。
意味を知ると極めて我々にとっても身近な概念であることがお分かりいただけるでしょう。
国家が所得の一部を強制的に持って行く徴税権は、納税する側としては辛いものがあります。
しかし、それを補って余りあるメリットもあるのです。
たとえば、公的な保険制度を運用できたり、公園を作ったり、低所得者への給付金を行ったり、国防を行う自衛軍を配備したりと多くの人にとってありがたい物やサービスを生み出すことができるようになります。
この社会を運営していく上で欠かせない徴税権をよく観察することで、「格差」がなぜ起きるのかが見えてくるとウォーラステインは述べています。
ウォーラステインが何をいっているのかあらかじめ端的に述べます。
租税を徴収する権利(徴税権)は、その使い方によって公益性の高いサービスの開発や競争の過程で生まれた「格差」の調整を行えます。
一方で、逆にその強力な力を悪用することで一歩誤れば特定の人に富を集中させることも簡単にできるのです。
一般的に『国家の再分配機能は、これまでのところは、平等化の可能性の問題としてしか論じられてこなかった』わけですが、実際歴史的にはとむしろ『分配の格差を拡大するメカニズムとしてこそ、遥かに広汎に利用されてきた』のです。
お金をたくさん持っている人に多くの抜け道を用意するのは、あえてその「穴」を意図的に作っていることと同等です。
「徴税権は、公益性が高く、『格差』の縮小のために使われる」という国家権力に対する盲信を取り除かなければ、「格差」がなぜ起きるのか永遠にわからないのです。
日本で「格差」が拡大する理由
日本の例は、ウォーラステインの言っていることがよく理解できます。
つまり、格差が自然発生するのではなく、明確な意図をもって政治の方から人為的におこされているのです。
具体的には消費税率と法人税率の推移をみるとよいかもしれません。
まずは、消費税の方からです。
昨今少子高齢化などを背景に消費税の増税が訴えられているのはご存知かと思います。
政府債務もふえているなかで「増税も仕方ないかな」と思っている人も少なからずいるようです。(『日本財団』調査より)
1989年に誕生したこの税金ですが、徐々に引き上げられ2019年中には計画通りであれば10%への引き上げが予定されています。
さてこの消費税は全国民があるものを買うときに全員が同額支払う租税徴収手段です。
ということはこれはお金をたくさん持っている人そうでない人が二人いたときにどちらに有利な租税かを考えてみてください。
もちろんお金をたくさん持っている人なのは明快でしょう。1億持っている人と10000円しか持っていない人でも同じ商品を買う時に同じだけの税金を払いますからね。
逆に「法人税」という租税はどうでしょうか。
こちらは企業の利益剰余金に課税されるものとされています。
つまり、利益を多く出した人にたくさん税金を払ってもらう一方で、利益を出せなかった人にはかからない税金です。
さて、この法人税はお金をたくさん持っている人とそうでない人のどちらに有利な租税でしょうか。
もちろん法人税は利益に対して課税しますので利益をたくさん出したお金に余裕のある人から多く取る租税機能です。
それ故にお金をたくさん持っていない人に有利な租税となります。
さて、今この法人税と消費税を巡って日本で起きていることに話を移しましょう。
ここ20−30年ほどの間に「お金をたくさん持っていない人」に不利な消費税が引き上げられた一方で、「お金をたくさん持っている人」に不利な法人税は大きく引き下げられました。
具体的には、消費税が平成元年に生まれ今日に至るまでに0%から10%になりました。
一方で、法人税は平成元年に40%ほどあったものが今年の段階で23%程度となりました。(『法人課税に関する基本的な資料』より)奇しくもタイミングまでもが一致しており、消費税増税が起きてから短いインターバルで法人税が減税されているのです。
ここまでくると私の言おうとすることがおわかりいただけるかと思います。
「格差」を縮小するということを狙うならばこのような消費税を増やす一方で法人税を減額するという租税戦略は逆行しているものだといわざるを得ません。
また、社会保障費の膨張が云々で消費税増税を国民にお願いしておきながら、法人税は減税するというのは話としてつじつまが合っていません。
日本では、消費税と法人税の推移をみると、ここ20−30年は国家が主導して積極的に「格差」を拡大させる政策を実行してきたことが分かります。租税戦略に国家の思想は表れます。そういう意味でいうと、「格差」ができるのは当然の話なのです。
なお、ここでは文字数の関係で消費税と法人税しかとりあげられませんでしたが、このような首をかしげたくなる租税戦略は今の日本に山ほどあります。
個々人の努力量だけであらゆる問題を片付ける人たちについて
最近、日本では極めて個人主義的な考えが蔓延するようになりました。
たとえば、給与が上がらないという問題には、「その人の実力がないからだ」と述べたり、「株式投資をすればいい」と述べたりするような風潮のことです。
これは一見問題に対する答えのように見えますが、実は他者に対して無関心かつ無責任な態度の表れでしかありません。
問題はそんなに単純なものではありません。
例えば「その人の実力がないからだ」という前に本当に実力がないから上がらないだけなのかと考えるべきです。
「株式投資をすればいい」という前に、株式投資のための原資すらないのではないかと思いを巡らせるべきです。
それこそが日本という共同体にいる同じ人間として常識的な態度ではないでしょうか。
「個人の能力の有無」のみで現象をすべて説明しようとする態度は極めて幼稚です。
なぜこの話をしているかというと、「金持ちに有利になるように社会のルールが変えられていく社会で、個人に『がんばれ』とはっぱをかけるだけではどうにもならない」という話が、ウォーラステインが述べた徴税権の話と深くつながっているからです。
一例として、消費税増税と法人税減税が連動しているのを見ればわかるように、「庶民から金を巻き上げて、お金がたくさんある人にやさしい社会にしよう」という思想の延長で日本の格差は拡大しつづけています。
この方向性自体に賛成か反対かは個人の思想の自由です。
しかし、繰り返しになりますが、「個人」のみに着目し、あらゆる現象を説明しようという考え方は無責任かつ無関心の表明にしかなりません。
それ自体が「ポジショントーク」であるという認識すらない人も多いため改めて書かせていただきました。
こういった極端に個人主義的な人は、外部要因の影響をとらえることを極端に嫌がります。
たとえば、社会的な要因を問題視すれば「共産主義者」「社会主義者」「マルクス主義者」と言って歪曲する方が非常に多い。
しかし、日本で左側を車が走ることがきめられているように、我々は多くの外部変数によって動かされています。
個人の自発的な「思考」や「意思」とされているものも、外部からつきうごかされていることがほとんどです。
すべてを「個人の努力」のみで説明する個人主義者は、社会的に恩恵を受けている少数の人たちか、思考停止している人たちかのいずれかではないでしょうか。
いろいろと書いてきましたが、この章でお伝えしたかったことを最後にまとめます。
わたくしは「格差」という言葉をテーマに「個人の努力の有無」のみによってすべてを説明しようとすることはナンセンスであるということです。
ウォーラステインの徴税権に関する洞察から、個人の努力を超えたところで、誰かに有利になったり、誰かに不利になったりするのです。
今こそ国民一人一人が、社会的現象に関心をもち、より踏み込んで格差問題の原因を考えていくことが大事なのではないでしょうか。