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今押さえておきたいカントの『純粋理性批判』に描かれる思想

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一番長くて難解な思想・哲学というとどういう哲学をあげるでしょうか?

おそらくロールズの『正義論』、マルクスの『資本論』、ハイデガーの『存在と時間』などが上がるでしょう。

 

それと合わせてよくあげられるのが今回取り上げられるエマニュエル・カントの『純粋理性批判』です。

といいますのもエマニュエル・カントの『純粋理性批判』は版元にもよりいますが、上中下の岩波文庫で1000Pはある大著です。

私が読んだ光文社のものだと解説があるとはいえ7分冊という長さでこれを完読している人など日本にどの程度いるのかと思いたくなるほどです。

 

そして輪をかけてカントが難解なのはマルクスやロールズなどと比べて抽象度も異常に高いというところです。

カントはタイトル通り「理性」について批判を行うのですが、理性自体が可視化されているものではないため読解は難航を極めます。

 

そんな難解なカント思想ですが、今日はあえて「ここだけは押さえておきたい」というところを本日は僭越ながら書かせていただきました。

 

カント『純粋理性批判』の読みどころ

カント哲学の大元である『純粋理性批判』が面食らうのは第一巻にあるのかもしれません。

 

いきなり、「アプリオリ」「ポステリオリ」「理性」「悟性」「知性」などなどそれぞれの用語理解だけでも難しいのに次から次へと放り込まれてくるというのにあります。

 

ちなみにカント自体も本文のどこかで書いていましたが、わかりやすく書くと本質が失われるのでと「読みやすさ」へ配慮する気は無いという宣言をしています笑

 

こうして大半の読者が『純粋理性批判』の100pも読む前にギブアップしてしまうわけですね。

 

ここから私から言えることを書こうと思います。

難解な『純粋理性批判』を読むには「カント自体がこの純粋理性批判で何をいいたかったのか」という大枠を捉える必要があります。

 

逆にいいますと、カント自体が何を『純粋理性批判』でいいたかったのかが見えてくると難しいワードもそれぞれすーっと入ってくるようになるのです。

 

さて、早速ですがカント自体は『純粋理性批判』で何がいいたかったのでしょうか。

これはもちろん山のようにいいたいことはあるのは前提であえて私の方で一言でまとめるとこうです。

ーーーーーーーーーーーーーー

これまで我々はある抽象概念(考え方や記号などに読み替えても可)に対して一つの切り口からしか捉えられていなかった。

しかしながら、よくよく吟味してみると全く違う見方もできるはずだ。

逆にその「違う見方」こそ本来的に人々にとって望ましい見方ではないか。

ーーーーーーーーーーーーーー

 

カントは我々が盲目的にしている物事の認識の仕方に対して、本来的にはそれだけではなく「こういう見方」もあるのでは無いかと伝えているのです。

 

そして、その「こういう見方」こそカントが『純粋理性批判』で伝えようとしている最大のメッセージではないかということです。

 

この一般的に考えられている我々の認識の方法をカントは「構成的な原理」と呼び、本来的に望ましい認識の方法として「統制的な原理」という言葉を使うのです。

 

さて、この「構成的な原理」と「統制的な原理」が何かを知ることで『純粋理性批判』の深層にちょっぴり入ることができます。前置きが長くなりましたが、これについてテクストを参照しながら本日はカントの思想哲学を掘り下げていきます。

 

*訳書によっては構成的理念と統制的理念とも呼ばれているようです。ネットを調べると柄谷行人などがこういう呼称を使っているのですが、私が参照した光文社のテクストは構成的な原理と統制的な原理というワードが使われていますので、そちらを踏襲します。

 

最大の読みどころ:構成的な原理と統制的な原理の違いについて

あらかじめ理解を促進するために次のことを頭に入れてこの先をお読みください。

 

カントは「構成的な原理」(構成的理念)ではなく、「統制的な原理」(統制的理念)をもっと大切にしなければならない(それが軽んじられている、忘れ去られている)と考えています。

この根拠は『純粋理性批判5』より参照しました。

私はこの原理を理性の統制的な原理と名付けよう。これに対して、客体のうちで与えられる<条件づけるもの>の系列の絶対的な全体性という原則は、<構成的な>宇宙論的な原理と名付けることができよう。私たちはこのように区別することによって、構成的な原理が無意味であることを指摘し、単に規則として役立つに過ぎない理念に、客観的な実在性が与えられることを防ごうとしたのである。これはいわば超越論的な<虚偽>であって、ほとんど避けがたいものなのである。(下線および黒字は引用者)

『純粋理性批判』エマニュエル・カント(2011)光文社古典新訳文庫 Kindle 930

ここでカントは私が強調したように構成的な原理(構成的理念)より統制的な原理(統制的理念)を重要視していることが読み取れますよね。

 

さて、いよいよ、カントが批判する「構成的な原理(構成的理念)」とは何かとカントが重要視する「統制的な原理(統制的理念)」とは何かを具体的に見ていましょう。

 

まずカントが批判している構成的な原理(構成的理念)の方から見ていきましょう。

こちらは訳者の中山氏も解説であげているところが一番わかりやすいのでそちらを引用します。

『純粋理性批判3』の255では「構成的な原則」というチャプターがあり下記のような説明があります。

これらの原則は現象を、その可能性だけの観点から考察するものであり、現象の直観と、現象を知覚する際の実在的なものについて、現象が数学的な総合に従って、どのように作り出されるかを示すものであった。そのためにどちらの原則も、数という大きさの規定と、量としての現象の規定を利用したのである。(強調は引用者)

『純粋理性批判3』エマニュエル・カント(2010)光文社古典新訳文庫 Kindle924

ここの記載が難解なのですが、「現象が数学的な総合に従って」というところがポイントです。

要するに「構成的な原理」(構成的理念)においては数字ありきで世の中を説明しようとするということです。そこでは「現実ではどうなるか」ということは考慮されません。

 

カントは、『純粋理性批判5』で対比的に「絶対的に無条件的なもの」を見出そうとすると指摘しています。

 

さて、続いてはカントが重要視する「統制的な原理」(統制的理念)で物事を見るとは何かに話を写します。

こちらについてはやはりカント自身が重要視していることからかなり繰り返し説明がなされています。個人的に最もわかりやすいと感じたところを引用します。

すなわち理性のこの原則は、全ての可能な経験を超えて感性界の概念を拡張する理性の構成的な原理となることはできないのであり、単に経験をできる限り前進させ、拡張し続けるための原則に過ぎないのである。ただしこの原則は経験に限界があるとしても、それが絶対的な限界であることを決して認めようとはしないのである。この理性の原理は、一つの規則として、<条件付けるもの>の系列を背進するときに、私たちに何をすべきかを命令するものではあるが、あらゆる背進を行う前に、客体のうちに何が与えられているかを先取りして認識するものではないのである。

 私はこの原理を理性の統制的な原理と名付けよう。(強調は引用者)

『純粋理性批判5』エマニュエル・カント(2010)光文社古典新訳文庫 Kindle1848

カントが述べる「統制的な原理」(統制的理念)というのは「経験をできる限り前進させ、拡張し続ける原則に過ぎない」とあります。

 

つまり、統制的な原理(統制的理念)とは構成的な原理とは全く逆の考えで、現実の経験を非常に重視し、その経験をより高める手段として抽象的な認識カテゴリーが活用されるということです。

 

そして、統制的な原理(統制的理念)は、これまた構成的な原理とは異なり、経験に応じてその認識のカテゴリーという枠自体が柔軟に変更されうるというのです。

 

端的に言えば「ゴール」(終了地点)というものが設定されていないのが統制的な原理(統制的理念)なのです。

 

政治思想としてのカント哲学〜保守思想の大家としてのカント〜

今回のカントの読み方はあくまで私流の読み方であり、そのほかにも『純粋理性批判』は多岐に話題が言っていますので、ぜひ興味のある方はこれを足がかりに読んで見てください。

 

さて、最後に哲学者ではなく、政治思想家としてエマニュエル・カントを見て見ましょう。

この話はここまでの話とつながってきます。

 

最初に哲学者カントを「政治思想」という位置付けでとらえ直したのはハンナ・アーレントと言われています。

(この本ではないのですが、)彼女は『判断力批判』というカントの書籍からカントが政治思想における重大な位置を占めるという見解を出しました。

 

 

私もそういう読み方をして見ると面白いんじゃないかと思い、代表作の『純粋理性批判』を読み直して見ました。

確かによくよく読んで見るとカントこそが実は初めて体系だった政治思想の本流(保守思想)を提示したのではないかと思えてくるのです。

 

カントに大いに影響を与えた人物にエドマンド・バークがいます。

この人物は近代保守主義の父と呼ばれる人で、保守思想の聖典として今もこよなく読まれる『フランス革命の省察』という書籍があります。

 

「保守」というものを語る上で避けては通れないほどの書籍と言われており、私も愛読しております。

ただ、この『フランス革命の省察』自体は政治思想として体系だっているわけではなくあくまで「エッセー」の域を出ません。

 

そういう意味で、近代保守思想のエッセンスを出したのはバークではありますが、体系立てて世の中へ発信したのは別の人物ということになるのです。

 

それがカントなのです。

実際ネットで調べて見るとカント自体はバークのもう一つの名著『崇高と美と観念の起源』に非常に影響を受けたようでカント哲学に少なくない影響を与えているようです。

 

ただ、『純粋理性批判』をこうして読んで見ると影響を与えたどころかバークの打ち出した保守思想の編纂者と言ってもいいほどかもしれません。

 

理性で全てを裁断できるという考えをバークは断罪したわけですが、カントが批判している構成的な原理(構成的理念)はバークが批判したものとほぼ同じです。

 

一方で、理性を全て否定するのではなく、現実に合わせて調整していくべきだという統制的な原理(統制的理念)もまたバークの考えと同じです。

 

 

以上長くなりましたが、カントの『純粋理性批判』の一つの新しい読み方を書きつつ政治思想家としてカントを捉え直して見る面白さについてご紹介いたしました。

 

なるべく丁寧に書いたつもりですが、ご意見ございましたら頂けますと幸いです。

 

なおカントのここで取り上げた政治思想に近しい考えは冒頭ではなく3−5巻あたりに出てきます。

そちらだけまずはという方はそういう読み方をして見てください。

合わせてですが、下記に添付するアーレントのカント哲学解釈も面白いのでおすすめです。(結構難しいですが)

 

 

こくち

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