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『大転換』でおなじみのカール・ポランニー(ポラニー)が主張し続けたこと

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今日は、少しマイナーですが、押さえておきたい思想家のご紹介をさせていただこうかと思います。

取り上げるのはカール・ポランニー(ポラニー)という20世紀の経済思想家です。

 

おそらく、普段から経済思想などを読んでいる人でなければ「あー!ポランニー(ポラニー)ね」とはなかなかならない事でしょう。

アダム・スミス、カール・マルクス、ジョンメイナード・ケインズなどに名前負けするのは致し方ない部分があります。

 

カール・ポランニー自体の知名度がそこまで高くないのには色々理由があるのですが、いわゆる主流派の論理から逸脱した主張をしていたことが挙げられます。

 

しかしながら、これはあくまで私の意見ですが、ポラニーが主張したことの方がより現実に即した地に足のついた主張です。

前置きはこのくらいにしまして、改めて知っておきたいカール・ポランニー(ポラニー)の主張について今日はまとめてみました。

もちろん全てまとめることは不可能ですので、興味のある方は『大転換』や『経済の文明史』を手に取ってみてください。

 

カール・ポランニーの押さえておきたい主張①〜商品化になじまないものまで商品化することは問題だ〜

カール・ポランニーについて先ほど知名度が低いと書きましたが、どうやら調べたところ、西部邁さんや中野剛志さん、柴山桂太さんと言った方が最近取り上げるようになった事で多少は有名になったみたいですね。(知りませんでした。)それはとてもいい事です。

 

さてさっそく本題に入っていきましょう。

そんな最近少し陽の目を見るようになってきたポランニーはどこが偉大なのかを3つに分けて書いていきます。

 

まず一つ目は、資本主義は商品化になじまないものまで商品化してしまったという主張が結構秀逸だったりします。

カール・ポランニーは具体的に「商品化になじまないが商品化されているもの」として下記のものをあげています。

  • 労働
  • 土地
  • 貨幣

(本当は「環境」というものもポランニーは別著で挙げているらしい)

 

今日我々は「ビジネスマンとしての市場価値」、「不動産投資で一儲け」、「100万預けたら金利はいくらだろうか」といった発想をあまりに当たり前に持っています。しかしながら、これらが前提とする「労働」「土地」「貨幣」自体は本来商品ではないはずだとポランニーは主張します。

決定的なのは次の点である。すなわち、労働、土地、貨幣は産業の基本的な要因でもあること、しかも、これらの要因もまた市場に組み込まれなければならないことである。事実、これらの市場は経済システムの絶対的重要な部分を形成する。ところが、労働、土地、貨幣が本来商品でないことは明白である。

『経済の文明史』カール・ポランニー(ポラニー)(2003)ちくま学芸文庫 p38

 

我々が経済における「常識」と考えている事が実は常識的に考えたら「非常識」だよねとポランニーは皮肉交じりにここでは書いています。

これの何が問題かという話になるわけですが、「あらゆる経済活動を商品の交換」という形で捉えるようになってしまう事を私は挙げます。

 

つまり、特定のものの見方を盲信してしまう事で、極めて非常識な考え方をするようになってしまうというリスクが高まるという事です。

 

カール・ポランニーの押さえておきたい主張②〜「経済」=「市場における交換活動」という解釈は自明ではない〜

今ほど書きました事は、今日多くの経済について勉強したものにとっても見られます。

 

エコノミストやビジネスエリートと呼ばれる人たちの主張を追いかけて見てください。

そのほとんどが「経済活動=市場における交換活動」という方程式を自明のものとしてしまっています。

 

これは、彼が干された理由でもあるのですが、彼が生きた時代もまた現代に同じくアダム・スミス、カール・マルクス、リカードという経済学を学んだものを中心に、経済活動を市場における交換活動と捉えてしまう常識から逃れられない人が多いのです。

この辺りはフリードリヒ・リストなどもそうですね。

 

 

ただ、ポランニーはこういった主流派の経済学者たちとは一線を画する事を生涯貫きました。

彼自身は、主流派の経済学者から笑いのネタにさえされていたアリストテレスの経済観にあえてフォーカスを当てます。

 

あまり知られていませんが、アリストテレスは今の常識ではなかなか中身が頭に入ってこない経済思想を主張しました。

彼の主張についてポランニーはわかりやすくまとめてくれています。

・・・したがって、「契約」に基づく社会が、経済的面では制度的に別個で動機的にも独特な交換の領域、すなわち市場を有することは当然であろう。他方、「身分」はそれ以前の状態、すなわち大抵互酬性と再分配が見られる状態にほぼ対応する。互酬性と再分配というような統合状態が支配的である限り、経済という概念が生まれてくる必要はない。そこでは経済の諸要素は非経済的制度に埋め込まれているのであって、経済過程そのものが親族組織、婚姻、年齢集団、秘密結社、トーテム集団、公的儀式などを通して制度化されている。

『経済の文明史』カール・ポランニー(ポラニー)(2003)ちくま学芸文庫 p269

ポランニーは、アリストテレスの文献を参照しつつ、封建的身分社会を代表する「親族組織」「婚姻」「年齢集団」「秘密結社」、、、などいわゆる功利主義的観点から見れば「非経済的なもの」にがんじがらめだった昔の世界では全く市場が存在しなかった、いや存在できなかったと主張しているのです。

 

そして、ここにポランニー経済思想の重大なキーワードでもあるのですが、「互酬性」と「再分配」という形での経済の形もあり得るというところも彼の主張の非常に核心部分になります。

 

ちょっと社会主義的な発想を持っているなというご印象をお持ちの方も多い事でしょう。

 

その感覚は間違っていません。

ただ、その社会主義的発想というのはそれ自体が必ずしも悪いものではありません。資本主義がそれ自体で即悪いものではないのと同じように。

 

ここは蛇足ですが、資本主義の暴走を批判しようとするとどうしても社会主義ぽい主張になるのには理由があります。

それは、一つ目のところでもあげた事ですが、「労働力の商品化」というのが資本主義の最大の特徴だからです。

 

これを批判すれば必然的に「労働力の商品化の否定」になりますからどうしても社会主義ぽくなるんです。

「創造的破壊」で著名なシュンペーターも同様のことを言っています。

資本主義はその歴史的使命を終えたら結局はマルクスに同じく社会主義に似た方向性へ向かうと。

 しかし、その最後の時刻は来るだろう。次第次第に、経済の発展と、それに伴う社会的共感の環の拡大によって、私企業はその社会的意義を失ってゆくであろう。これは、19世紀後半の諸傾向の進路のうちに予告され、そして存在しているのであって、世界大戦で頂点に達したところのもの全ては、おそらくは、その最後の錯行であったので在る。社会は私企業と租税国家を超えて進展するー戦争の結果としてではなく、それにもかかわらずである。これもまた確実で在る。

『租税国家の危機』ヨーゼフ・シュンペーター(1983)岩波文庫 p81

 

カール・ポランニーの押さえておきたい主張③〜ファシズムより恐れるべきものはない〜

最後になります。

カールポランニーが強く訴え続けたことの一つにファシズム批判があります。

 

ファシズムを何よりも警戒したのが、カールポランニーの著書ではしばしば垣間見られます。

ちなみに先の章でポランニーが社会主義っぽい思想を展開していると述べましたが、これを「ファシズム」と同一視してしまう人がしばしばいます。

おそらく、第二次大戦期のイタリアやドイツ、などが社会主義でありながらなおかつファシズム国家だったからなのでしょう。

 

しかしながら、ポランニーも重ねて主張するようにファシズムと再分配を念頭に置いて社会主義的な彼の思想は全く別物です。

ファシズムというのは確かに私有財産制などを否定し、資本主義の否定を媒介に生まれてはきましたが、実態は単なるカルトです。

ファシズムはむしろ社会主義運動すら敵対視します。

ファシズムの勝利は、社会主義運動の倒壊であるだけでなく、キリスト教が、その墜落しきった形態を残して、終焉を迎えることでもある。

 ドイツ・ファシズムが労働者階級の運動組織と教会とをそろって攻撃しているのは、単なる偶然の一致ではない。ファシズムが社会主義とキリスト今日の共通の敵となるような、その隠された哲学的本質がここに象徴的に表現されている。これこそ、我々がもっとも主張したい点である。

『経済の文明史』カール・ポランニー(ポラニー)(2003)ちくま学芸文庫 p169

社会主義的運動はあくまで既存の秩序の中で行われるイデオロギー闘争にとどまるのに対して、ファシズムはそもそもの土台までをひっくり返すというのがイメージとしては適切かもしれません。

 

 

全てをひっくり返して、バラバラになった個人を吸収し膨張するのがファシズム運動の正体です。

なお、このファシズムには個人を吸収するための餌があります。それは人種や民族という概念です。

 個人主義ー普遍主義の原理に対する人種主義ー民族主義の原理の敵対関係は、宗教的な問題の核心にまで及ぶ。国民社会主義であれ何であれ、すべてのファシズムに於ける至高の価値は、人種もしくは民族である。

『経済の文明史』カール・ポランニー(ポラニー)(2003)ちくま学芸文庫 p213

 

日本やドイツなどでは第二次大戦期自民族が如何に他の民族より優れているかというのが繰り返し国民に指導者から叩き込まれました。

日本の場合は皇室を利用しながら行われたのは周知の事実でしょう。

 

最後に

ポランニーを色々読んできてわかる事はいくつかあるのですが、彼の優れているところは議論におけるバランス感覚です。

彼は、ここまでの議論を踏まえると見えるかと存じますが、個人主義的とも言える市場原理主義を徹底批判しつつも、個人の概念を認めず国家という概念に吸収していくファシズムも徹底的に批判しました。

 

常にその時々の状態に応じた選択をしなければならないと彼は考えていたようです。

これまたシュンペーターと同じなのですが、彼は経済をあくまで「いきもの」と考えていました。

経済は、したがって、制度化された過程である。・・・・過程は動きの観点に立つ分析を示唆する。動きとは場所の移動と占有の変化のいずれか、または両方をさす。言い換えれば、物質的な要素は場所を変えるか、「手」を変えるかして、その位置を変える。

『経済の文明史』カール・ポランニー(ポラニー)(2003)ちくま学芸文庫 p370

 

これまでの伝統的な経済学はある切り取った写真のように経済を語る傾向にありました。

まあ今でもそういう形で経済を語るエコノミストや学者は相変わらず多いですが、ポランニーはそういう現実を見ない理論モデルを許せなかったようです。

 

 

以上、カールポランニーの思想について彼の言葉を引用しつつご紹介いたしました。

 

若干まとまりがないかもしれませんが、ぜひご興味のある方は実際に書籍を撮って見てもらえれば幸いです。

 

こくち

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