最近色々あって「日本がカルト化してるなあ」と思うことが多々あります。
「色々」というのは特に政治における惨状を見て思うわけですが、過去のカルトを振り返ってみると紛れもなく今の政治状況はカルトなんです。
本日はある程度自分の中でまとまったこともありカルト信者の特徴について書かせていただきます。
カルト信者の特徴❶〜加害者を被害者とみなす〜
早速ですが、カルト信者の特徴について順番に見て行きたいと思います。
まず一つ目のカルト信者の特徴ですが、加害者を被害者とみなすというものです。
これはオウム真理教の時を思い出していただければと思うのですが、ご存知オウム真理教は最終的には人を殺人行為にまで至らせたカルトです。
しかしながら、当時そのカルト信者たちは徹底的に擁護しました。
その時に何を言っていたかというと、「尊師はむしろ被害者だ」というものです。
ある人物が異常な行動を取ってしまうのは彼自身の問題ではなく、彼にそうさせている社会だというロジックですね。
さて、このようなカルトまがいの危険な状況が実は今日も目の前にあります。
それは、安倍政権を熱狂的に支持する人々です。あれはもうカルト信者と断言していいでしょう。
昨今統計不正が明らかになっていますが、それへの対応をめぐって野党や各種メディアから批判がつのる中、信者はどういう反応をしたかというと「安倍さんだからむしろ今まで隠れていた不正が明らかになった」というものです。
もちろんこんなものは嘘中の嘘で、もしそれが正しいのであれば統計不正時の当時の官僚における責任者の国会招致をいの一番にしていたのは安倍政権のはずだからです。実際はどうだったかについて東京新聞の記事を引用します。
毎月勤労統計の不正を巡り、問題が発覚した当時、厚生労働省で統計担当の政策統括官だった大西康之氏(現大臣官房付)の国会招致を求める野党の声が日増しに大きくなっている。大西氏は、部下の室長から不正の報告を受け、根本匠厚労相に一報を上げた人物で、組織的な隠蔽(いんぺい)があったかどうかの鍵を握る。与党は、大西氏が別の問題で更迭されたことを理由に招致を拒んでおり、野党は政府与党に真相を隠す意図があるとみて、追及している。
『統計不正 更迭統括官、与党が招致拒否 野党「真相隠し」と批判』 2019年2月6日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201902/CK2019020602000139.html
野党側が統計不正の政策統括官を国会に呼ぶよう要求したところ、「その人物は異動させたから無理だ」と自民党が主張したのです。
論理としても無茶苦茶なのですが、恐ろしいのはこの主張を押し通せると党として結論を出したところです。
もうこれは自民党自体がカルト信者に乗っ取られていると考えなければこの状況を理解することすら非常に難しいと言えるでしょう。
さらに恐ろしいのは、これを見た自民党盲信者の解釈が「野党が悪い」というもの。
「野党が悪い」と考える理由は、「これを安倍政権批判に結びつけて政局利用している」というものが大半を占めるわけですがもうあんぐりです。
いやいや。。。
統計不正を明らかにしようとしているのを一番先頭で妨害しているのが自民党やないかと。
ところで、ここで冒頭の話に戻るのですが、「加害者が被害者面する」というカルト信者の特徴が如実にこの問題で現れてるのではないでしょうか。実は、自民党は今回の件で「たまたま」こういう対応をしているのではありません。
森友問題で財務省が前代未聞の「公文書改ざん」を認めた際も同様の対応をとりました。
当時の関係者を呼べという野党側の主張に対して「私人だから無理」とか「イタリアにいるから無理」とか「もうやめたから無理」とか何一つまともな論理が存在しませんでした。
「被害者面」すればどれほど気違い染みた行動も平然とできてしまうのです。
ハインリヒ・ヒムラーというナチスの参謀を務めた男がいます。
彼は人心掌握を得意としていたらしいのですが、彼はまさに加害者に被害者意識をもたせることでジェノサイドを成功させたと二十世紀を代表する政治思想家のハンナ・アーレントが述べているのは単なる偶然でしょうか。
ヒムラー・・・の用いたトリックはまことに簡単で、おそらくまことに効果的だった。それは謂わばこの本能を一転させて自分自身に向かわせることだった。その結果<自分は人々に対してなんという恐ろしいことをしたことか!>と言う代わりに、殺害者たちはこう言うことができたわけである。<自分は職務の遂行の過程でなんという凄まじいことを見せられることか、この任務は何と重く自分にのしかかってくることか!> と。
『イェルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告ー』ハンナ・アーレント(2017)みすず書房 p84
カルト信者の特徴❷〜異常なまでのニヒリズム〜
さて、続いてのカルト信者の特徴に行きましょう。
二つ目は異常なまでのニヒリズムをあげることができます。
ニヒリズムとは「虚無主義」と日本語では訳されますが、辞書によると下記のような意味になります。
真理・価値・超越的なものの実在やその既成の様態をことごとく否定する思想的立場。
①
一般に無や空を主張する思想態度。仏教・老荘思想をはじめとして古来から多くの形態がみられる。
②
特にヨーロッパ近代社会やキリスト教文明の根底に対する否認の思想。一九世紀後半のロシアの文学思潮・革命思想,ニーチェの哲学などに顕著。虚無主義。https://www.weblio.jp/content/%E3%83%8B%E3%83%92%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
端的にいうと、あらゆるものを徹底的に否定する思想的立場とここでは書かれています。
これまでの価値観を否定していくことがニヒリズムの基本的な立ち位置なわけですが、実はこれがカルト信者への入り口だというのが私の主張です。
先にも引用したアーレントが引き続きこれについて興味深い言葉を『全体主義の起源』という代表作において残しています。
彼女によればこのニヒリズムこそがナチスのホロコーストを筆頭に忌まわしい全体主義の「起源」であるというのです。(もちろんそれ「だけ」ではないが)
・・・少なくともヤーコブ・・・ニーチェ以後は、デマゴーグと軍事的独裁・・・について・・・準備ができていたはずである。これらの予言は今やすべて現実となった。しかしたいていの予言がそうであるように、それらは預言者が予期しなかった仕方で実現したのである。彼らがほとんど予見していなかったこと、もしくはその本来の結果について正しく見通せなかったことは、徹底した自己喪失という全く意外なこの現象であり、自分自身の死や他人の個人的破滅に対して大衆が示したこのシニカルな、あるいは退屈仕切った無関心さであり、そしてさらに、抽象的観念にたいする彼らの意外な嗜好であり、何よりも軽蔑する常識と日常性から逃れるためだけに自分の人生を馬鹿げた概念の教える方にはめようとまでする彼らのこの情熱的な傾倒であった。
『全体主義の起源3ー全体主義ー』ハンナ・アーレント(2017)みすず書房 p21
先の辞書からも引用したところにもありましたが、「ニーチェ」という哲学者をアーレントは「ニヒリズムの行使を試みた代表的人物」としてアーレントは取り上げています。
ただ、そこは特段重要ではありません。そのあとの記載が重要です。
彼女はニーチェを筆頭としたニヒリズムを行使した哲学者がその思想において期待したものとは全く正反対の結果を現実世界では引き起こしていたと述べていました。ここが非常に重要です。
ニーチェ自体はおそらく現状の価値観の否定を通して古き良きものの価値を再発見することができると考えていました。
しかしながら、その期待は一般社会においては成し遂げられなかったというのです。
逆にニヒリズムがとんでもないものを生み出したのです。もちろんそれはカルトです。そしてカルト信者を量産したのです。
現政権の体制翼賛者はまさにこのような兆候が発言の端々に見られます。
その筆頭が「確かに自民党も問題があるが、野党がだらしないので他に選択肢がない」というものです。
今の体制翼賛者の根底で支えているものをあえて一つ挙げろと言われたらこの「ニヒリズム」です。
「野党もだらしないし、メディアは偏向報道しかしない、結局任せられるのは最善とは言えないが自民党しかない」こう考えている自民党支持者がどれほど多いでしょうか。
「ニヒリズム」により何かしらの「善」(もしくはより小さな悪)にたどり着けるという思いは安倍政権において顕著ですが、結果は正反対の「最悪」の状況を野放しにしてしまうという状況をもたらしています。
さて、長くなりましたので、この章をまとめます。
現状への徹底した懐疑を意味する「ニヒリズム」という思想的立場はそれを推し進めることで何か「良いもの」が見えるはずだという立場をとります。(バナナの皮を剥がしていくイメージか)
しかしながら、バナナの皮を剥がしたからといって「実」があるわけではないというのが我々の生きている世界で、むしろ向いたら大量の虫が湧いてきたというような状況に直面することの方が多々あるということをアーレントは述べていたのです。
カルト信者の特徴❸〜強烈なリーダーへの渇望〜
さて、最後のカルト信者を示す特徴です。
それが強烈なリーダー誕生への渇望です。
オウムの時は尊師だったし、今は安倍総理、アメリカで言えばトランプ大統領でしょう。
なぜ強いリーダーをカルト信者は渇望するのかを最後に書いていきます。
実は、この背景には前章のニヒリズムについて書いた話が繋がります。
具体的には、ニヒリズムという徹底的な懐疑がもたらすのは結局のところ「無」でしかないということがこの話(強いリーダーを渇望する心の動き)につながります。
人間は「無」に耐えられない、人間は何かしらよりどころがなければもたないというのがアーレントをはじめとする20世紀のカルトを振り返る人たちが一定のコンセンサスとしたことです。
なぜならそもそもニヒリズム自体も「無」を嗜好して始まったのではなく「有」を求めたからに他なりません。
そんな期待に反して何も見つからなければ、どうなるのかというと「なんでもいいから私を救ってくれ」となってしまうわけです。
その結果を具体的に表出させるのが「強烈なリーダー」誕生への渇望という現象です。
疑いもなく全体主義運動はそれ以前の革命的な政党や運動よりもラディカルに既成の諸関係に戦いを挑んだ。・・・勿論この過激性の原因の一半は、根無し草と化し現状の存続を何にも増して恐れている大衆の心の底に潜む熱望にある。
『全体主義の起源3ー全体主義ー』ハンナ・アーレント(2017)みすず書房 p106
危機の時代に現れるリーダーというのは歴史を紐解けば「英雄」であるよりも「火事場泥棒」というケースがほとんどです。
ロベスピエール、ヒトラー、毛沢東、ポルポト、スターリンなどなど
強烈なリーダーはいずれもジェノサイドを引き起こすサイコパスでしかありませんでした。
終わりに
平成という元号が今終わろうとしています。
いろいろなことがありました。
平成を代表する事件の一つにオウム真理教の地下鉄サリン事件があります。
今でこそ「馬鹿げたものになぜ多くの人が心酔していたのか」とほとんどすべての人が思っているでしょう。
なぜ今更それを今回取り上げたのかというと、当時は社会をあげて酔っていたのです。
そしてテレビが大学教授などが必死になって擁護していたのです。「尊師はむしろ被害者だ」とさえ言っていました。
その時、自分たちのことをカルト信者かもしれないと思った人がどれほどいたでしょうか。
しかしこのようなことが二度と起こらないことを願った我々の思いは儚く終わりました。
最悪のリーダーが再び現れました。
安倍政権です。
安倍晋三という政治家は民主党がもたらしたニヒリズムの延長で生み出されたカルトです。
「北方領土の返還は安倍さんとプーチンの間でしか無理だ」と言われた期待とは裏腹に「北方領土と軽々しく呼ぶな。あの四島はロシアのものだ」と言われました。
「安倍政権以降賃金が大幅に増えました。」と言われたのとは裏腹に賃金統計は改ざんされていました。
「全容解明を行政府の長として責任をもって行う」と言いながら公文書の改ざんに関わったものの国会招致を拒否しました。
「エンゲル係数が上がったのは食文化の変化により外食などが増えたからだ」と言われたのとは裏腹に貯蓄ゼロ世帯が大幅に増えました。
ここにあげた以外にも外交も内政もほとんどすべて失敗です。
しかし、支持率がまだまだ高いのです。
これはもうカルトです。
私をはじめ安倍政権を批判する人の大半が「民主党時代に戻せ」とは言っていません。
しかしながら、カルト信者の脳内では「民主党時代に戻るなんてありえない。今の自民党も問題があるが安倍さんしか結局のところいない」とよくわからない誇大妄想に取り憑かれよくわからないテンプレートにしがみついています。
すでにこの政権以降、前代未聞のことが起き続けています。
それ一つだけでも今までであれば内閣が吹っ飛んでいたほどのものです。
おそらくカルト信者は「首相の直接の関与はないだろう。それなら証拠を出せ」というでしょう。
しかし、前代未聞のことが起きていながらそれらの実態解明を妨害する勢力は「共犯者」と言って差し支えありません。
・公文書改ざん
・法案の立法根拠捏造
・税金不正詐取の大学理事長を放置
・世界的に失敗が明らかになっている周回遅れの移民政策
・統計の改ざん
全部「文明国家」を名乗るに値しない事象ばかりです。
国が滅びるかカルトが滅びるか
どちらなのかというところまで日本は追い込まれていますね。