「クズ」という言葉は人に向かって言ってはいけない
そのように我々は幼い頃から学んできました。
これは前提として「クズな人間なんていないから」というのがあるからなのでしょう。
私もこれを長らく信じてきましたし、言わないことに努めてまいりました。
しかし、残念ながら最近の政治を見ていて思うこととして、人間のクズと言って差し支えない人がいるのです。
しかもここ数年で著しく増えているのです。
なんというか日本人が「クズな人はいないのだからそう言ってはいけない」という建前を置いているのをいいことに好き放題している人がいるということですね。「クズ」とは基本的に言ってはいけないが、こういう場合は人間のクズであるといった教育の方が望ましいと私は考えています。
今日は、自らの反面教師とすべくクズと断罪して差し支えない人間の特徴について書いていきます。
そのクズ人間について書くことで我々の社会の置かれている危機的状況を垣間見れればと思います。
■クズ人間の特徴
2chにもクズ人間に関するスレットというのが立っており個別にその細かい特徴を挙げていくとキリがありません。
ですから、「あえて一つあげるなら」というテイストでここからは書いていきます。
私の見解では、人間のクズと言って差し支えない特徴は突き詰めると「平然と大嘘をつく人」に着地します。
これは、「遊んでいたけど勉強してましたと言っちゃった」程度の嘘ではありません。
「大嘘」です。普通の人であれば「良心」が痛むレベルの。
ただ、私はその「大嘘」をつく人間に「クズ」と言って議論を終えることを良しとしません。
それ以上に、平然とつかれた大嘘が指摘されずにまかり通っていく社会自体を問題としたい立場です。
一例をあげます。
実は、悲劇を生んだナチスによる全体主義がその筆頭です。
ナチスというのは中身の無いデタラメや嘘(プロパガンダ)であそこまで増長しました。
武力などで無理やり権力が奪取されたと誤解されがちですがそうではないんですね。
多くの国民がその嘘を無関心かないしは消極的にであれ支持してしまったのです。
例えば全体主義を分析したアーレントによればヒットラーは以下のように述べていたようです。
ヒットラーは嘘というものは法外なものである場合にのみ効果を挙げ得ると数百万部も刷られた本の中で宣伝した。法外というのは、事実の連関全体はそのままにしておいて個々の事実を否定するーその場合には否定しておかなかった事実のおかげでーような小細工をせず、事実全体を歪めてしまって、その結果、個々の虚偽の事実が矛盾を含まぬ一つの関連をなし、現実の世界の代わりに一つの仮構の世界を作り出すようにするということなのである。
『全体主義の起源3』ハンナ・アーレント(1974)みすず書房p232
ここでアーレントが言っていることを補足します。
一言で言うと、嘘というものがあるレベルを超えている場合「嘘に対して現実を合わせようとする」というおかしな現象を起こすほどの破壊力があるというのです。
「えっ?意味がわからない。そんなわけ無いでしょ」と思う方が多いでしょう。
嘘は大きければすぐにわかるし、騙されるわけがないと。
もちろん社会が平穏であれば「それはデタラメだ」と一蹴できるためそんなことは起こりません。
しかし、アーレントによればこのような大嘘が見逃される社会はある条件のもと確実に存在するのです。
疑いもなく全体主義運動はそれ以前の革命的な政党や運動よりもラディカルに既成の諸関係に戦いを挑んだ。・・・勿論この過激性の原因の一半は、根無し草と化し現状の存続を何にも増して恐れている大衆の心の底に潜む熱望にある。
『全体主義の起源3』ハンナ・アーレント(1974)みすず書房p106
社会的停滞感から生じるニヒリズムが進行する時、その大嘘をむしろ歓迎してしまうということをアーレントはここで指摘しています。
さて、私は昔話がしたいのではありません。
「嘘が平然とまかり通る状況」というのは今の日本でも起きています。
平然と途方も無い嘘がつかれているにもかかわらず、人々がそれをデタラメだと言えなくなってきているのです。
それゆえに、各々異なった衣装を身にまとってはいますが、クズ人間が平然と表を歩いているのです。
今から書いていくことはあくまで象徴的な例ですが、これは単なる一例ではありません。
あなたの日常生活でも大嘘がまかり通っているかもしれないと検証してみていただく機会となれば幸いです。
■クズであることを示す幾多の例
クズ人間の特徴である「途方も無い嘘を平然とつく」人間として私は現在の総理大臣をあげずに入られません。
未だに根強い人気を誇る総理大臣ですが、おそらく歴代最低クラスの嘘を平然とついている人間です。
文字数もありますから2つだけ例をみていきましょう。
TPP断固反対→TPP断固賛成へ
TPPに対する安倍政権を筆頭とした自民党のスタンスの変化を押さえましょう。
ここではTPPは主権放棄でありメリットなど無いということを言いたいところですが、そこは論旨から外れますので、「大嘘」のところの経緯だけに留めようと思います。
下記の動画は素晴らしい動画です。明確に嘘をついていることがわかります。まずは見ていただけますでしょうか。
なぜ「TPP反対→TPP反対と言ったことは無い」という大嘘を総理大臣が平然と言えるのかと聞きたくなる内容ではないでしょうか。
こんなに平然と大嘘がつけるとしたら人格が破綻しているかもしくは明確な悪意を持ち国民を騙すクズ人間だと言ってよいでしょう。
一応、安倍晋三という政治家の言い分を関連動画からくまなく聞いてみました。
そうでないと恣意的な解釈だと思われるかもしれませんからね。
彼の言い分では2つの切り返しがありました。
- 「聖域なき関税撤廃を条件とする限り」TPPに反対するという意味だった
- 自民党は自由な議論ができるため党とは別に個人が自由に意見を述べることができるから
冷静に考えればわかりますが、これらは180度見解を引っ繰り返せる理由としては不十分です。
全く反論になっていません。
仮に10,000歩譲って一つ目が認められるとしても、自民党のポスターには「ウソつかない。TPP断固反対。ぶれない」とあるんですね。
その党首はもちろん現在の総理大臣です。それ故に、大嘘をついたと断言していいでしょう。
これで許されるならば、民間企業においての不祥事も全部「部下が勝手にやっただけ」といえば済んでしまうことになります。
なおガバナンスの問題としていえば、その総理大臣を5年間ものさばらせているという意味で、政党ぐるみで詐欺集団と言ってよいでしょう。
つまり、我が国では立法府において詐欺師が過半数を占めていると言ってよいのです。
これは単なる「例外」であり「たまたま」なのだから「揚げ足取りはやめろ」と言われる方もいるかもしれません。
ですのでもう一つだけ見てみましょう。
現行憲法下で集団的自衛権行使できない→現行憲法下で集団的自衛権行使できる
さて次の大嘘は安保関連法案です。これもクズ人間の特徴が明確になる機会でした。
こちらはメディアでも大分騒がれましたので記憶に新しい方も多いでしょう。
「日本が戦争ができるようになる」などといった話題も上がったほどです。
ただ、この問題の核心があまり明確になっていないという方も多いのでは無いでしょうか。
私も政治への関心が薄かった当時はいまいち問題の本質が見えていませんでした。
しかしながら、調べてみると問題の本質は単純だったのです。
安倍総理も含めた自民党が大嘘をついたということだけなのでした。
そして、それを隠すためにいろいろと小難しい議論が放り込まれていただけなのでした。
少しだけみましょう。
この安保関連法案では、「集団的自衛権が必要か否か」「中国や北朝鮮の脅威にどう対応するか」に話題があると考えられがちです。
他には「国際法では個別的自衛権と集団的自衛権は区別が無い」などもあるかもしれません。
しかし、安保関連法案に関しての問題は全くそこでは無いんですね。
もっと単純なんです。
「正当な手続きを経ずに」現行憲法の解釈を180度変えてしまう法案を通してよいのかというところだけが問題なのです。
これは日本が立憲主義であることを考えますともちろんダメです。やってることはクズなのです。
憲法がなぜ存在しているのかについて義務教育で習う程度の知識があればこれがクーデターであることがわかるレベルのものです。
おそらく自民党の議員の大半がこれは違憲の法案であるということに気づいています。
なぜなら、今まで一貫して憲法9条があるため集団的自衛権は行使できないと自民党自体が言っていたわけですから。
そういった意味でこちらも組織ぐるみの詐欺、秩序の破壊という意味でクーデターなのです。
*ちなみに当時の石破さんや小池さんの「国民が十分理解できるほどの説明ができていない」という趣旨の答弁は我々に「これは難しい議論だから素人にはわからないものですよ」と思わせる誘導がありました。ただ、思考停止してはいけません。普通にデタラメです。
■クズ人間を増長させる社会について
最近、私は選挙前ということもあってか政治家の発言をくまなく調べるという悪趣味を持っているのですが、今あげた安倍晋三という大嘘付きは単なる一例です。この人に関しては大嘘が他にも山のように出てきます。
なお大嘘付きは安倍晋三という政治家に限りません。
小池某、細野某、前原某、松井某など、、、、、
自民党以外でも大嘘つきが平然と大手を振って歩いており、それが「改革者」としてもてはやされています。
例外的にクズ人間がいるというだけではもう片付かない域に事態は悪化しています。
もしかしたら、あなたの周りでこういった大嘘をつくという人がいませんか?
こう聞くのは、政治家という民衆の意志の現れがあのような詐欺まがいの人間で溢れるわけですから身近で起こってもなんら不思議ではないからです。
社会がおかしくなる時というのはその前兆に「言葉」の軽さがあると描写したのがジョージ・オーウェルの『1984』です。
どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け入れさせることができるのだ。かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているかを十分に理解せず、また、現実に何が起こっているかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。
理解力を欠いていることによって、彼らは、正気でいられる。
『1984』ジョージ・オーウェル(2009)ハヤカワepi文庫 p241
この書物はフィクションですが、現代を描いていると思えてならない作品です。
現代では、言葉を軽く使い堂々と嘘をつく輩で溢れています。
今、我々の「当たり前」の感覚が試されています。
専門家だろうが、東大出ていようが、総理大臣だろうがその肩書きは何も我々に保証してくれるものでは無いのです。
あからさまな嘘つきには「クズである」とちゃんと社会として言えることが正常さを保つ上で必要です。
クズとは言わないというモラリティにこだわりクズを野放しにしていては元も子もありません。