人生で何かしたいことがある人だったり夢がある人というのは何やら格好がよく見えるようでありまして、逆にそういった人生で自分が何をしたいのかがわからない人というものは随分と辛い境地に追い込まれるというのが今日の流行のようです。
人生で何をしたいのかがわからないと人としてイケテナイとみなされる、、、
そんな感覚を持っている人向けに今日は記事を書かせていただきました。
流れとしては人生で何をしたいのかがわからない人に対して昨今提案される解決策の誤謬といかにして人生で何をしたいのかを見つけていくのかに対するヒントを偉人の言葉からご紹介できればと思います。
■人生で自分が何をしたいのかに提示される誤った解決策
「あなたは仕事でこれから何をしたいのか」
「あなたは人生でどうなりたいのか」
「あなたは人生で何をしたいのか」
こういった問いというものに悩まされた人というのは少なくないと私は考えています。
実はこれに対してよく出される解決策があります。一見優れていて広範に受け入れられています。
しかしながら、私はこれを極めて危険視しています。
「よく出される解決策」というのは「自らの内面を見つめるということ」をよしとするものです。
自らの内面を見つめ答えを見つけさせようとするものです。
自分の内面を見つめることで解決策を得ようとすることがなぜ問題なのか。
それは、人間の実存に対する誤解が感じられるからです。
自己というものは自らを見つめていくことでどういうものかがわかるものではないと私は感じています。
もしそうだと思うのであればデカルト的な認識のカテゴリーをあまりに、あまりに絶対視しすぎではないかと思うのです。
■人生で自分が何をしたいのかわからない人がすべきこと
このデカルト的な認識のカテゴリーに最初に根本的な批判をぶつけたのがハイデガーと言われています。(前述のアーレントにも多大な影響を与えました)
ハイデガーは『存在と時間』の中で下記のように述べています。
現存在にはむしろ、その存在様式のために、みずからの存在を、現存在が本質的に、たえずさしあたり関わっているその存在者の方から、すなわち「世界」のほうから理解しようとする傾向がある。
『存在と時間』マルティン・ハイデガー(2015)光文社
「現存在」というのはハイデガー独特の語彙ですが、平たく言えば実際に世界に現われ出ている「自己」のことを指します。
つまり、「現存在」とは社会での関わりの中で現われ出てくる具体的な自己の事です。
ハイデガーは何を言っているのかをありていに言いますとデカルト的な「内省」という「自己の内面を見つめること」から自己を理解できるというのは誤りであると述べているのであり、そして自己は社会との関わり合いの中で徐々に明らかになっていくということを述べているのです。
自己というのは社会との交わりを通して形成されるという当たり前のことを言っているわけです。
ただ、どうもこの当たり前のことが忘れ去られ自分をとにかく見つめ続けることが何か高次の自分へと近づく唯一の手段であるかのように錯覚されてしまっているのです。
「自己の内面を見つめることで自己を見つけ出す」という考えの根本的な誤謬についていうならば下記のヤスパースの言葉を見るだけで十分でしょう。
私は、自分を絶対的な開始として考えることはできない。私は自分で自分を作り出したわけではないからである。確かに、私が私自身であるとき、私は自分を根源として捉えはするが、しかし私は、私の由来において規定されているのである。
私の由来を、私の開始として、客観化してみるとき、私は、自分の現存在が、私の両親の出会いということに結びつけられており、遺伝や教育によって、また社会学的かつ経済的情勢によって規定されたものであることを知る。私の開始は、絶対的な開始ではないのである。私の眼差しは私の開始を超えて背後へと遡り、そして私の開始が生成の結果であることを私は知る。私の誕生を超えて、視線は、この生成の涯てしない過程の中へと入り込むが、その過程の中では、いちばん最初の開始でありうるようないかなる根拠にも到達することがない。
『哲学』カール・ヤスパース(2011)中公クラシックス
ヤスパースは何を言っているかといえばハイデガーと趣旨は同じで、自己が自分の開始だというのはちゃんちゃらおかしくてそれまでの社会(ヤスパースは「他者」と呼ぶ)との交わりを無視することなどできないと考えれば自らの開始は社会との交わりにおいてなされるという結論を出すことはそう難しくないということです。
話を本題に戻しましょう。
私が思うに最近人生で何をしたいのかがわからないと述べる人は総じて自己の内面を見つめることを通して自分とは何のために存在するのかを考えようとしがちです。しかしそれはまさにハイデガーやヤスパースがまさに批判した近代的な認識の偏見でしかないのです。
真に自らを探求するのであればいうまでもなく他者との交わりこそが最大の近道ではないでしょうか。
■自分の見方を本当に180度変えるオススメの本
今の世の中では悩ましい問題に対して「安易な解決策」というのを出そうとするもので溢れがちです。
しかしながら、その「安易な解決策」がむしろ我々の納得からより遠ざけるものではありはしないかと考える必要があると思うのです。
人生で自分が何をしたいのかわからないという人にとって「〜すべし」という具体的な指示はありがたくあり私のようにはぐらかすようなテクストでは到底納得しがたいでしょう。
それでもなお安易な解決策に乗るべきでないと私は主張します。
その絶え間のない苦悩の過程こそが後年の納得に大いにつながると私は思うのです。
最後に人生で自分が何をしたいのかわからない方にぜひオススメの本を載せておきましたのでご参照いただけますと幸いです。