世の中一般について

孤独感を強く感じるのはなぜか〜時代の向かう方向性から見えるもの❸〜

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年をとるにつれ学生時代の友人などと疎遠になっていく。

そして毎日が会社と家の往復となる。

 

 

今そんな人生が当たり前のものとなっています。

大人になるにつれて孤独感が増していくのが当たり前になっていくということです。

年を重ねるほど会社の人以外に知り合いはいないという人も少なくありません。

 

 

このような人がなぜ量産されるのか。

それはもちろんいろいろな要因があるのですが、その一つに資本主義社会というものとの関係性を私は指摘致します。

 

今日は連投トピックの最終回となりますが、資本主義で孤独感が加速する世界の異常性(「公的世界」の消失)について書いていきます。

 

  • 「個人の孤立化」の加速
  • 「目的」と「手段」という認識のカテゴリーの浸透
  • 「公的世界」の消滅←

 

■資本主義と人々が感じる孤独感の関連性

資本主義と孤独感が強くなる関連性について書いていこうと思うわけですが、なにやらスケールのでかい話だなと思われるかもしれません。

ですので、私としてはなるべくここからはアカデミックになりすぎずイメージのわきやすい形で書いていきます。

 

そもそも人々が孤独を感じない状況とはどうすればできるのかを見てきましょう。

これは結論から申しますと人と人をつなぐ具体的なものによって達成されます。

 

 

それを日本語では「共同体」と呼びます。

 

この共同体というのは具体的に身近なものであげると会社、学校、自治会、子供会などがイメージできることでしょう。

人と人をつなぐ具体的なものであれば全て共同体と言って良いでしょう。

 

 

さて、人々が孤独感を強く感じるようになってきているというのが仮に真だとすると要するにこの共同体が滅びているもしくは力を失いかけているということが言えるのではないでしょうか。

 

特に都市部においてはその傾向は顕著で、隣に誰が住んでいるか知らなければ顔を見たことがないなどということも当たり前ですし、毎日が会社と家の往復という人も少なくありません。

 

さて、このおかしな状況を作り出した要因に私は資本主義をあげるわけです。

言い換えれば、人と人を繋げ孤独感を強く感じる状況を低減する共同体を破壊していくのが資本主義という運動の一つの正体だということです。

 

さてなぜそういう見解になるのかが気になるところかもしれません。

 

その理由ですが、平たく言うと資本主義は「主義」とついていることからもおわかりいただけると思いますが「資本を増大させる」活動以外は「価値のないもの」(主義に沿わないもの)と判断しぶっ壊していく思想だからです。

 

その思想を前提にすれば共同体に関しても「資本を増大させる」という観点から有益なもののみが生き残ることとなります。(ですので正確には共同体がゼロになるということは意味しません。)

 

今述べたことをハンナ・アーレントが『人間の条件』で指摘していますので下記をご覧ください。

いいかえると、近代の共同体はすべて、たちまちのうちに、生命を維持するのに必要な唯一の活動力である労働を中心とするようになったのである。・・・だから社会とは、ただ生命の維持のためにのみ存在する相互依存の事実が公的な重要性を帯び、ただ生存にのみ結びついた活動力が公的領域に現れるのを許されている形式に他ならない。

『人間の条件』ハンナ・アーレント (1994)ちくま学芸文庫 p71

アーレントが書いていることを少し補足します。

 

近代資本主義以前であれば、国内に住む全ての人の利害が統一されているということはありませんでした。

というのも自らが土地を持ち自活するという社会構造はもちろんですが、今よりはるかに少人数の人から構成される中で生活が完結するのが当たり前だったからです。(もちろんこれがいいことばかりとは言いません)

 

しかしながら資本主義勃興の合図でもある土地収用を皮切りにそこにドラスティックな変化が起こりました。

生きていくために必要な土地を多くの人が失ったのです。

 

この結果、多くの人は小さな共同体内部では生活サイクルが回らなくなりました。

そして、多くの人が都市部になだれ込み「賃金労働者」として生きる道を迫られるようになったわけです。

 

 

ホッブズもルソーも認めたことではありますが人間にとって何にも増して強い本能は「自己保存欲求」で、これより優先されることというのはありません。(異論はないでしょう)ですから土地を取り上げられて生きてく術を失ってまで従来の共同体にしがみつこうということにはほぼほぼならないのです。

 

 

この章をまとめます。

資本主義というものは土地収用を皮切りに、小さな共同体の集まりであった国の構造を変えました。

(金儲けを目的とするもの以外破壊もしくは弱体化)

 

これにより人々を生計を立てるために今までの地盤を捨て去り「労働」をするために都市部へ駆り出されたのです。

確かにスミスが述べたように多くの人が「労働」に従事することで社会としての富の総和は圧倒的に拡大し「生きること」を考える苦悩から解放しました。

 

しかしながらいいことだけではありませんでした。

人々を「生きるため」の利害以外で繋ぐ共同体が弱体化されていき多くの人々が孤独感の強いライフスタイルを送ることが日常的になってしまったのです。(アーレントは「精神の生活」がないがしろにされるようになったと述べている。)



 

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■孤独が増大することの危険性

ただ、伝統的には自己保存という欲求を満たす合理から構築された共同体だけでは人々が孤独に追い込まれ社会不安につながると考えた智者は私が書かずともいました。その筆頭例がルターやアウグスティヌスなどです。

 

彼らは、人々の中で孤独感が強くなることを察知していたので宗教を広げることでそれにブレーキをかけようとしました。

アーレントは『人間の条件』で下記のように述べています。

もちろん以前にも、共通世界に対する関心を失ってしまい、自分たちはもはや共通世界によって結ばれてもいなければ、分離されてもいないと感じていた人々がいた。歴史的に見ると、このような人々の共同体を維持するのに、これまで考えられた原理はたった一つしか知られていない。世界にとって代わるほど十分強力な、人々を相互に結びつける絆を発見することは、初期キリスト教哲学の主要な政治的課題であった。そして、キリスト教の「僧団」だけでなくすべての人間関係を同胞愛の上に気づくよう求めたのはアウグスチヌスであった。確かに、この同胞愛は、無世界性という点では、明らかに、人間の一般的経験である愛と一致している。しかし、それは同時に、愛と異なる面を持っている。

『人間の条件』ハンナ・アーレント (1994)ちくま学芸文庫 p79

誤解されないために申し上げますと、上に「以前にも、共通世界に対する関心を失ってしまい、自分たちはもはや共通世界によって結ばれてもいなければ、分離されてもないと感じていた人々がいた」とあるように、私もまた資本集積自体が産業革命まではなかったと言いたいわけではありません。

 

ただ、産業革命以降そのスピードがあまりに急激すぎて共同体を破壊するほどになったと言いたいのです。そしてそれのブレーキ役となっていた宗教の権威も同時代に破壊され収拾がつかなくなった惨状が今日まで続いているのです。

 

さて今の日本に話を移しましょう。

現代日本において会社という「生命過程を維持すること」を主目的とする共同体以外に一般的に何か共同体に所属している人はいるでしょうか。

もちろんゼロとは言いません。なんらかの習い事や社会人サークルなどはあるかもしれません。

 

ただ、宗教ほどの安定した基盤を個人に対して持ち得ているでしょうか。

*日本の場合、昔は教会宗教はなかったので代わりに組合などのようなものでそれを担保していたと考えています。

大丈夫だと確信を持って言える人は相当恵まれていることでしょう。

 

孤独感が強くなる時代に対して昨今は「孤独が人間を強くする」みたいな本が結構売れているみたいですが、それは手放しに賛同できるものではないのです。もちろん一人でいる時間というものを私はむしろ大切だと考えていますが、それが恒常的になると人々を危険にさらすのです。その危機感が「孤独を歓迎しようぜ」「日本はもうダメだから抜け出せ」みたいな人には欠けているのです。

 

さて、最後に孤独がどうして危ういのかというそもそも論の話を少しだけしようと思います。

これにはもちろん絶対の解答はありませんが、アーレントのテクストを見ていくと一つの答えとして「誤った判断を人々がしやすくなるから」だということができます。

私たちがヒットラー及びスターリンの独裁について知っていることはすべて、全体的支配にその大衆的基盤を与えている個人の孤立化とアトム化が指導部の最上層にまで及び、最高指導者はその最も近しいグループの間にすら同輩中の筆頭者として登場するのではないことを示している。

『全体主義の起源3ー全体主義ー』ハンナ・アーレント(2017)みすず書房

アーレントはヒットラーやスターリンの全体主義的独裁を生み出した最大級の要因に個人の孤立化をあげています。

人々の間に壁を打ち立てることで闇の中に放り込まれたような状況に陥いるととんでもない「論理」に騙されるというのが彼女の全体主義分析に通関する主張です。人々を分断することで正常な判断を妨げると。

 

より多くの人とのリアリティを持っていれば世界に対してより複合的な価値判断ができることは言うまでもありません。

ですから孤独の袋小路に追い込まれると誤った道に誘われる可能性が少なくないのです。

 

「金さえ儲ければいい」という発想や「全て自己責任論」が昨今正論かのように語られていますが、これは人々をつなぐものが豊富にあれば疑問を呈されるものですが、孤独な個人にある人には強烈な魅力に移ります。そして孤独を解消する方法に見当もつかない個人にとっては一人で生きていかなければならないんだということを正当化できる心理学はむしろ心地よく移ります。

それが突っ込んではいけない砂漠だと知らずに。

 

アーレントは『政治の約束』という本で眉唾なことを書いていますのでご紹介いたします。

現代心理学は砂漠の心理学である。私たちから判断能力・・・が失われた時、私たちは、もし砂漠の生活という状況下で生きて行けないとしたら、それは私たち自身に何か問題があるからなのではないかと考え始める。心理学は私たちを「救済」しようとするのだろうが、それは心理学が、私たちがそうした情況に「順応」する手助けをして、私たちの唯一の希望を、つまり砂漠に生きてはいるが砂漠の民ではない私たちが砂漠を人間的な世界に変えることができるという希望を、奪い去ってしまうということを意味しているのだ。心理学は全てをあべこべにしてしまう。私たちは未だに人間であり、未だに損なわれていないのである。危険なのは砂漠の本当の住人になることであり、その中で居心地よく感じることである。

『政治の約束』ハンナ・アーレント(2008)筑摩書房 p233

社会がおかしいとき「自分がおかしいのではないか」と考え自らをそのおかしな世界に無理やり合わせようとする流れが今は強すぎるとアーレントはここで述べています。

しかし、それをやりすぎた結果今は社会が正常性への道が閉ざされつつあると述べています。

 

心理学や内省を全て否定するわけではありませんが、あまりにそちらに傾いた現代社会は世界への気遣いを失っているのです。

ただでさえ資本主義が孤独を感じる状況を強くしているにもかかわらず、それに抵抗するどころか孤独感をさらに強くする方向へ自ら進んでいく社会に私は恐ろしさしか感じません。

 

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■関連書籍

孤独感を強く感じるこの社会において今求められているのは自らの内面を見つめなおしたりこれにいかに順応するかではありません。

このような救いがたい状況であろとも緑を取り戻す方法を考えることが大切でしょう。

 

そのヒントを与えてくれる一人にアーレントは外せないと私は感じています。

孤独感を強く感じる人こそ心理学や啓発するものではなく世界を見ることができる本を読んでみてはどうでしょうか。

 




 

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