全体主義について

モリカケはどうでもいいという人に聞いて欲しい話

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ここ1年くらいでしょうか、安倍総理が国会審議でひたすら追求されている問題があります。

 

森友学園と加計学園に関する追求ですね。

 

野党は選挙前も安倍政権への質問で「モリカケガー」を繰り返していました。

これ、もう1年くらい「モリカケガー」を続けておりまして、おそらくみている側からすると「いつまでそんな無駄なことやってんの?時間無駄だよ?」という印象を持ってしまうわけです。

 

私も当初はモリカケ問題というのはどうでもいいものだと思っていました。

しかし、考えてみるとそうではないんですね。

 

確たる証拠がなくてもメディアや野党はこの問題を追求した方が良いいのです。

なぜ私がそう思ったかを今日は書かせていただければと思います。

 

 

■目次

権力を持つものを信用してはならない
『1984』に学ぶ
白か黒かの「結果」だけに目を向けてはならない

■権力を持つものを信用してはならない

「モリカケはどうでもいい」と断言する人に欠落しているものがあります。

 

それは、その使い方を間違えば国を滅ぼし得る「権力者」を疑うというスタンスです

 

よく私が安倍政権に批判的なことを書くと左翼だと叩かれますが、私は民主党時代がいいとは言っていませんし、左翼ではありません。まあ私の話は置いておきましょう。

 

 

現在、モリカケ問題がどうでもいいかどうかというのに黒派も白派も双方とも証拠集めに奔走しています。

これほどの意見対立はなぜ起こったのでしょうか気になりますよね。

 

これについては双方の前提を紐解くと見えるかもしれません。

 

 

両者を分岐するものは明快です。

スタート地点で権力を信頼するかしないかのどちらを選んだかというところですね。(ここは断言しちゃいます。)

 

つまり、モリカケがどうでいいという人は権力を信じるという立場を今回はとり、モリカケはどうでもいいと思えない人が権力を信じないという立場に直観的に立ったという話ではないかということですね。

 

ここまで単純化すると「モリカケはどうでもいいが権力は信じてない」という人が出てきたら批判を受けるでしょうけれども、今回の問題はその直観が人々の意見を多分に左右していると私は考えています。

 

ちなみに、私は後者の立場です。

権力者を信頼すべきではないと主張するのには明確な理由があります。

 

それは、権力者には「黒」を「白」だとも言えるし、「白」を「黒」だとも云える力があるからなんです。

これは歴史が示しています。

 

例えばナチスのヒットラーは当時世界一民主的と言われたワイマール憲法の下で誕生したことは周知の事実です。

そして、彼は正当な法手続きを経て(厳密には法手続きを破壊したのだけども民衆から正当なやり方として支持されていた)、ユダヤ人の虐殺を「白」としました。

 

 

では、今の時代から見て「白」だと言える人はいるでしょうか。おそらくいないでしょう。

しかしながら、少なくとも当時のドイツで「白」だったのです。

 

つまり、ヒットラーが「黒」を「白」に変えたのです。

ハンナ・アーレントというナチスの全体主義を分析した思想家がいるのですが、彼女は下記のように述べています。

・・・全体主義の支配者がいかに、西洋の道徳性の基本的な掟を逆転させることに成功したかをご覧ください。ヒトラーのドイツでは、「汝殺すなかれ」という掟が、スターリンのソ連では「汝の隣人について偽称するなかれ」という掟が、いとも簡単に逆転されてしまったのです。

『責任と判断』ハンナ・アレント(2016) ちくま学芸文庫 p325

 

「黒」を「白」だと言える立場の人が「白だ」と言って信頼することはあまりにリスクがありませんか?

 

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■『1984』に学ぶ

権力が暴走した時どうなるかということを描いた小説にジョージ・オーウェルの『1984』という小説があります。

 

こちらすでに20世紀最高の小説と言われるほどに知名度の高い小説ですが、権力の危うさを学ぶ上で最良の教科書だと私は考えています。

 

モリカケはどうでもいい、モリカケは飽きたという人ほどぜひ読んでいただきたいのです。

例えば、オーウェルは主人公のウィンストンに権力が腐敗した社会では何が起きるかということについて以下のように語らせます。

 

こちらの頭蓋を貫き、脳の動きを止め、脅かしてこちらの信念を捨てさせ、自分の五感から得られる証拠を信じないよう、ほぼ、納得させてしまうような何かだった。最終的に、党は、二足す二は五であると発表し、こちらもそれを信じなくてはならなくなるだろう。遅かれ早かれ、そうした主張がなされるのは避けがたい

『1984』ジョージ・オーウェル(2012)ハヤカワepi文庫 p124

ジョージ・オーウェルの世界では「2+2=5」だと言われているんですね。

 

権力者がそう発表したという理由でこの世界ではそれが正解なんです。

「いやそれはおかしいでしょ!」と多くの人が思うでしょう。

 

ただ、「2+2=5」を否定できる根拠はないことにすぐ気づく筈です。

我々が「常識」を媒介にして決めた「2+2=4」という共通感覚以外に拠り所はない中でその共通意識を破壊したら答えが5になってしまうのです。

 

 

主人公はそれに対して「いやこれまで2+2=4だったはずだ」と思うわけですが、さてどちらが正しいのでしょうか。

 

 

もちろん我々の世界から見たとき、変な意図を挟み込まなければ「2+2=4」以外には考えられません。

 

 

しかし、権力側がそのように発信した世界で生きる場合「2+2=5」が避けられなくなるのです。

 

『1984』の一つの大きなメッセージとして、前章で私が述べた「権力者には黒いものを白だと言わせる力がある」ということをほとんどの人がくみとれることでしょう。

 

今の話は実はフィクションだけにあてはまりません。

モリカケの問題も同じ話です。

 

繰り返しになりますが「モリカケは何もなかった」と疑惑の証拠をすべて握り潰せる側が発信してそれは信じられるものなのでしょうか

*実際、議事録などはなくなっています。(2月1日時点でいろいろと会話録が出てきました案の定)

 

だからこそ真実が仮に「モリカケ問題が黒」だとしても証拠が潰されているので「白」になってしまうのです。

(もちろん白の可能性もあります。)

 

 

こういう話をするともしかするとモリカケとヒトラーでは程度が違うという人もいるでしょう。

確かに安倍さんは人を殺したわけではありません。

 

しかしそれに対する私の答えは一つです。

「先例を作ることがいかに危険であるかを考えるべきだ」というものですね。

 

一度押し通してしまえばなし崩し的になんとでもなるのです。

 

 

ヒトラーやスターリンの時代もそうであったとアーレントは述べます。

ヒトラー体制において「線形すべき」社会の人々が、道徳的には完全に崩壊したという事実が教えてくれたのは、こうした状況においては価値を大切にして、道徳的な規格や基準を固持するする人々は信頼できないということでした。

『責任と判断』ハンナ・アレント(2016) ちくま学芸文庫 p73

「道徳的」な人ほどナチス体制では悲惨であったと。

では、白か黒かわからないモリカケどうすればいいのかを最後に書かせていただきます。

 

 

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■白か黒かの「結果」だけに目を向けてはならない

モリカケ問題がどうでもいいという形で終了させるべきでない理由があります。

それはこの「追求自体」に意味があるのです。

 

どうでもいい、問題ないというのは実は「思考停止」です。

 

「完全に白」とはとても言えない状況証拠のようなものが多数あります。

もちろん一方で、「黒」とは断言できないのもまた認めざるをえないかもしれません。

 

 

ここで私が強調したいことは一つです。

「白」か「黒」かの決着をつける意義に目を向けるのではなく、それへの思考を止めない重要性を評価することです。

こうしてみると政治的にも道徳的にも、思考しないほうが望ましいと思われるかもしれませんが、思考しないことにも固有の危険性があるのです。人々を吟味の危険から隔離してしまうと、それがどんなものであっても、その時代にその社会で定められた行動規則に従うように教えることになります。人々が慣れ親しんできたのは、規則の内容でも、特定の事例を包摂する規則を所有することでもないのです。

『責任と判断』ハンナ・アレント(2016) ちくま学芸文庫 p325

 

結果は「黒」と言えるまでにはいかないかもしれません。

おそらく私の感覚では安倍さんが総理大臣にいる間は「黒」に着地することはないと思っています。

 

ですが、それでもなおモリカケ問題を追求するメディアや野党を望みます。

監視やチェックがなくなれば多くの人の思考を止めてしまいます。

 

言論の自由なき世界は死んでいるということは多くの思想家が既に指摘したところです。

 

 

モリカケが問題ないと断言するにはまだ早いでしょう。

仮に「白」なら我々に損害はありません。

ですが、「黒」なら大いに不利益があるのです。

 

であれば、まずは追求すべきではないでしょうか。

 

 

「追求すること=モリカケは問題がある」という方程式は常に成り立つわけではありません。

思考の重要性を今こそ古代ギリシアのソクラテスに学ぶべきかもしれません。

 

 



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