最近森友学園に関するニュースが急に賑わいを見せてきました。
「モリカケはどうでもいい」「モリカケをいつまでやるんだ」とつい先日まで言っていた政権よりな人までもが鞍替えするほどに森友問題とはどうでもいいものではなくなってきているようです。
小さな煙が今大火事になっているような気がする、、、それが森友問題の現在地なのです。
さて、私は、この森友問題を眺めていて強く感じたことがあるのです。
それは今の日本の見たくない部分を結構明らかにしてしまったなということですね。
そういうわけで今日は、森友問題が明らかにしてしまったと思ったことについて書かせていただければと思います。
(*事件の詳細について書くものではありませんので、そちらをお求めの方は他の方の記事をご覧ください)
一言で言えばすでに述べたことですが日本人の薄汚い部分が放出されたということです。
*本記事は記事執筆時点にて明らかになっている事柄をベースに書いております。
■森友問題とはー知識人の退廃ー
日本人の薄汚さに気づいた象徴的な例がありました。
それは、知識人の退廃していく様を日々見せつけられたことです。
森友問題とは何かと考えてきた時にやはりこれが私にとっては衝撃的なものでした。
私はNewspicksというニュースにツイッターのようなコメントが付けられるアプリをやっています。
そこでは、日々著名な方のコメントが見れます。
具体的には、高学歴(東大卒、京大卒など)だったり、マッキンゼーのようなエリートと呼ばれる集団に属する人々だったり、会社経営者だったりと社会的にはIQが高く多くの人から「信頼のおける人間」とされている人のことをイメージしていただけると幸いです。
ただ、この手の「社会的成功者」として多くの人から尊敬を集める人達は森友問題について当初から「モリカケはフェイクニュースだ」「他にもっと議論することがあるだろ」「野党は時間無駄にしてばかり」「証拠を出せ」という意見を数多く表明していました。
これには私は正直残念な気持ちでいっぱいでした。
もちろん四六時中政治のことを考えたりできるわけではありませんから、当初そういう考えでも良かったように思います。
しかしながら、明らかにこれはおかしいと政治にそれほど時間を取らない人でもわかるタイミングが直近だけでも2回はありました。
一つ目は森友問題に関する虚偽答弁が明々白々になった佐川長官の証人喚問を安倍政権が頑なに拒んだシーンですね。
これはまずい匂いが相当するシーンです。
なぜなら、安倍総理は自分が疑われている中で、もし無実ならば率先して呼びつけて佐川氏をむしろ追求するくらいでなければいけないからです。冷静に考えてみてください。
あなたがある日友達と一緒に過ごしていた日に一つの暴行事件があったとします。
警察があなたにその事件への関与の疑いを持ったとして、あなたの元に訪れた時どうしますか?友達を紹介するでしょう。
そして自分が無実だと言わせるはずです。「私と友人にはその時間にアリバイがある」と。
逆に友達に会わせず、友達への接触をむしろ妨害するなんてことがあるでしょうか。
もう一つのポイントは昭恵夫人が「(夫)実際にお会いいただいたりしておりましたけど」(http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/665.html)と言っているのに安倍総理は面識が一切ないという趣旨の発言をしている矛盾を共産党の方が指摘されたときですね。
夫婦で言ってることがくいちがうって相当怪しいですよ。
だから野党は昭恵さんを呼びましょうと総理に提案しました。
ですがここでもまた総理は頑なに拒否するんです。
相当おかしい。自分が会っていないならば昭恵夫人を呼びつけ会っていないと怒鳴りつければいい話です。
これは相当単純な話です。
取る行動として正反対の行動をとっているとなれば疑いませんか?
さて、今のはほんの一例です。
他にも実は森友問題には山ほどターニングポイントはありました。そしてこれからもターニングポイントはまだあることでしょう。
ただ、とりあえず例をあげるのはこれくらいにしましょう。
今の例で私がいいたいのはそれほど政治に精通していなくても森友問題が行政の根本的な信頼を揺るがす大問題に成ったのは連日の報道を見れば明らかだということです。(未だにどうでもいいという人が出てくるのでこの前提が成り立たないといわれる可能性もありますが)
そしてもう一つ言いたいことがあります。その事実が、多くの「社会的に正しいことを言うとして持ち上げられていた人」が間違っていたことを示してしまい我々のよるべき権威が一切消え失せてしまったことを認識させられてしまったということです。(「モリカケはフェイクニュース」「モリカケは何もない」「他に議論することがあるだろ」と言ってた連中はなぜかいつの間にか財務省を攻撃する側に回ってごまかしてますが。)
多くの権威ある人が問題を見誤り、追求する野党を批判していたのです。
結果的に野党が正しかったのです。
私は正直この一件で大きなショックを受けました。
もちろん建前としては私も「権威なんてあてにならない時代だ」と思っていました。
しかし、心のどこかでそういった成功されている方々を信頼していた自分がいただけにショックだったのです。
逆に普段は虐げられている共産党だったり朝日新聞が森友問題においては一貫してまともだったんです。
共産党に関して言えば、官僚も組織ぐるみで隠蔽していたということですから民主主義の防波堤になっていたと言っても良いでしょう。朝日もあの報道で日本を救ったと言ってもいいですね。
もう世界がひっくり返っているのです。
敵だと思われているものに救われ、味方だと思っているものが盗賊の様相を呈しているのです。
■森友問題とはー反省しない民族としての日本人ー
この森友問題の一件で、多くの「フェイクニュース」「他に議論するべきことがあるだろ」と言ってた人たちがすべきことがあります。
それは反省です。
徹底的に反省すべきなのです。
ただ、残念ながら全く反省しない残党が結構いるんですね。
具体的には未だに森友問題を「他に議論することがあるだろ」「野党は時間を無駄にしすぎ」「朝日ナイス。財務省を解体せよ」「あとは司法や検察に任せろ」と言ってる連中がまだいるんですよね。
もう一つ新しくできた「反省しないグループ」というのがいます。
ずっと騒いでいる連中から抜け出し、官僚叩きに転身した連中です。
厚顔無恥にもポジションをさらっと入れ替えて「財務省を解体せよ」とか「消費税増税を阻止しろ」とか言ってるのには驚きました。(上念司氏などの自称保守)
一回間違えたにもかかわらず、反省もせず安易な「官僚悪玉論」に乗っかって事件を自己完結させてしまうのです。
また同じようなものに騙されているかもしれないと考える反省がなぜないのでしょうか。
もちろん私は現段階で首相の関与を断定するようなことはしません。
しかしながら、どうかばおうとしても首相の言動が「無実」と断言できないのです。
首相が無実という前提に立っても不都合な事実が山盛りなのです。
繰り返しになりますが、自分が無実なのに先ほど挙げた虚偽答弁が明らかになった佐川氏の国会招致を頑なに拒んだり、自分と正反対のことを言っている妻の証人喚問も拒否したりというのはおかしいと思いませんか。
ここは大事なのでなんども言いますが、あなたが安倍首相だとして自分が無実ならば相手が国会に呼べというなら率先して関係者を国会に呼ぶでしょう。
それゆえにやましいことがあるのではないか、と疑われて当然なのです。
ネトウヨが根拠もないのに疑うなというのですが、疑うに足るくらいに結構たくさん根拠でてるんですよね。
反省すればそれに気づけるはずなんです。
ところで、なんで日本人ってこんなに反省しないのだろうと森友問題を通して改めて感じました。
山本七平さんという方がそれについて書いていたのを思い出し久々に読んでみました。
そこには興味深いことが書かれていました。
彼は、日本人の弱さについて『日本はなぜ敗れるのか』で以下のように述べています。
一言で言えば日本人は歴史的にとにかく自己批判能力が欠如している民族だと。
そしてこのことを非常に大掛かりにやったのが、「バジー海峡」であった。ガソリンがないといえば反射的に技術者を送る。相手がそこへ来るといえば、これまた反射的にそこへ兵力を持っていく。そして沈められれば沈められるだけ、さらに次々と大量に船と兵員を投入して「死へのベルトコンベア」に乗せてしまう。
それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり、この際、翻って自らの意図を再確認し、新しい方法論を探求し、それに基づく組織を新たに作り直そうとしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことをいうものは敗北主義者という形になる。従って相手には、日本の出方は手に取るようにわかるから、ただ「バシー海峡」で待っていれば良い、ということになってしまう。
『日本はなぜ敗れるのか』山本七平(2004)角川グループパブリッシング
ここでは、日本人は反省しないので、やばくなると状況をより悪化させる行動を普通にとってしまうと彼は指摘しています。
そして、興味深いのは後ほど振り返った時に本人たちすら「なぜあのような行動をしたのか」がわからないようです。
これは何か今我々が森友問題で目にしている光景と同じようなものが見えてきます。
その代表的な例として西郷隆盛と第二次大戦中の軍部を彼は上げていますので少し引用します。
これに似た批評は当時には実に多い。一言で言えば西郷のような、世の中のことがよくわかっているはずの偉大な人物が、しかも維新を自ら成し遂げたはずの人物が、一体全体、なぜこのような奇妙なことをし、しかも、最後に至るまでなぜあのようにわけのわからない行動をしたのか、誰にも理解できないということなのである。そしてそれは、太平洋戦争の後で、一体全体何でこんな馬鹿げた戦争をしたのか、誰にもわからなくなったのと、非常によく似ているのである。そして西南戦争というものへの徹底的な解明を基にした、自己の民族性についての、きびしい反省があったなら、おそらく、太平洋戦争の愚は避けえたであろうー「それでは、西南戦争の西郷と同じことになってしまう」という言葉で。
『日本はなぜ敗れるのか』山本七平(2004)角川グループパブリッシング
日本人はここにある西郷隆盛や同じ系列の吉田松陰をやたらに持ち上げたりします。
ただ、多方面からの検討をしていくと彼らはどうも「愚か者」としか言いようがない行動を数多くとっています。
多くの日本人が尊敬する彼ら自体が皮肉にも日本人という民族自体の弱さを象徴しているというのはなかなか印象的です。
そう考えた時に今求められているのは何か。
再発をしないための歴史に対する反省です。
日本人はそんなに短所のない偉大な民族ではないということを上のような歴史を通して再確認する必要があるのです。(これを言うと左翼らしいですが)
■森友問題とはー議論に耐えられない日本人
森友問題とは何かを書いてきましたが、改めてまとめます。
森友問題とは、知識人という我々を代表する層の退廃が象徴するように多くの人が反省もせず、虚妄の中に取り込まれていることを白日のもとに晒してしまった事件です。
言い換えれば、日本人という民族のダメな部分が徹底的なまでに明らかになったともいえます。
ただ、これは明治期や第二次大戦期を反省しないがゆえに防げた事故でした。
反省しない民族という自己批判の精神が我々には致命的にかけていたがゆえに同じことが起きたという話です。
極めてショッキングな事件がまた起きたと言っても良いでしょう。
最後にこの反省しないことにからめて言えることがありましたので、それを少しだけ。
この半年という長い期間で少しずつわかったことなんですが、日本人の議論する体力が著しく低下しているなということです。
「他に議論することがあるだろ」「財務省を解体しろ」「朝日新聞廃刊ね」「モリカケはフェイクニュース」
と叫んでいる連中が代表例なのですが、この手の言葉を聞くたびに私はなんでこんなにテンプレなんだろう?と長らく疑問でした。
ただ、この言っている言葉の内容に注目するのをやめた時に見えたものが「議論する体力がない」ということでした。
だから反省もできないし、肩書きが立派でさえあれば無批判に信仰してしまうわけです。
とにかくすぐに答えを出そうとする、じっくりと議論や駆け引きを眺めることができないそんな印象を抱かずにはいられませんでした。
振り返ってみれば、最近の日本は「停滞感」という言葉を足がかりにいろんな「単純さ」に飛びついてきました。
大阪都構想、TPP、政権交代、郵政民営化、東京大改革、、、
しかしどうでしょう。その中に一つでもいいことがあったのでしょうか。(まだ検証できないものも上にはありますが)
その全てが一時的な過熱感はあったもののすぐに幻想であると気づかされ「騙された!」と叫ぶ繰り返しが多くなかったでしょうか。
社会がそんな単純なものでできているわけがないという常識さえあればわかることを「議論する体力がない」のでわからないのかなと私は聞いていて思いました。
最近、恐ろしいのが「安倍政権はもうダメだから進次郎かな」とか「橋下さんカムバック」みたいな一言で言えば勘弁してくれというようなコメントがまた踊っていることです。いい加減反省して欲しいんです。
今必要なのは忍耐強く情報に接し議論を深めることに他なりません。
拙速な解決策を提示することはむしろ状況を停滞させれば良いほうで状況を悪化させるだけのことが少なくないんです。
以上、森友問題とはなんだったのかについて私なりに思うことをつらつらと書いてきました。
今は頭のいいと言われている人もあてにならないし、反省しない人間がゴロゴロといるので同じことをまたやらかす、、
そんな絶望的な時代なのです。
そして、それに対する打開策を議論することもできずに、安易な解決策に飛びついてしまう。
あまりに絶望的です。