『思考は現実化する』というタイトル
おそらくある一定年齢以上の人であれば誰もが聞いたことがあるでしょう。
「ビジネス書」や「自己啓発書」と呼ばれるジャンルで長きにわたって人気の一作です。
いまだにアマゾンのランキングでも結構上位にあるみたいで『思考は現実化する』はこれからも読まれる可能性が高いでしょう。
さてそんなナポレオンヒルの不朽の名著ですが、鵜呑みにしていいのかという視点で本日は記事を書きました。
ビジネス書についてはついつい鵜呑みにしてしまいがちなところもあるので、どういうところが問題と言えるかを知っておく方が良いと個人的には考えています。
『思考は現実化する』のあらすじ
まず『思考は現実化する』をお読みになったことがない人のためにざっくりとあらすじを書いていきます。
これは一言で言うと「自分の考えたことは現実に起きる」というタイトル通りのことをいう本なのですが、そこから派生して、自分のなりたい状態というのを具体的にイメージしそれを書き出すことで叶えられるのだということを訴える本なのです。
また、ナポレオン・ヒルに言わせれば、その目標やなりたい状態は具体的であればあるほどよく、クリアにしていくことでもうたどり着くも同然だというわけです。
なお、願望実現のための6か条というものがあります。
1、あなたが実現したい願望をはっきりさせる
単にお金がたくさん欲しい、幸せになりたい等という漠然とした願望では全く無意味である。
2、実現したいと望むものを得る代わりに、何を”差し出す”のかを決める
この世界には、代償を必要としない報酬など存在しない。
3、実現した願望を取得する「最終期限」を決める
なるべく早く、等という漠然とした期限では全く無意味である。
4、願望実現のために詳細な計画を立てる
そしてまだその準備ができていなくても、迷わずすぐ行動に移ること。
5、実現したい具体的願望、そのための代償、最終期限、そして詳細な計画、以上の4点を紙に詳しく書く
頭の中で覚えている、などすぐに忘れてしまうような形に残さないようでは意味がない。逃げ道は作らないこと。
6、紙に書いたこの宣言を1日に2回、なるべく大きな声で読む
この時、もうすでにその願望を実現したものと考え自分に信じ込ませること。
ここで言わんとしていることはすでにお伝えとの通り目標やなりたい状態を極めて具体的でクリアなものにしつつ、それを達成するために逆算せよということです。目標が壮大かどうかは関係なく逆算してそこまで行ける道筋を具体化できていれば一切問題ないというテイストでこの本は述べています。
この後著書では失敗を導く因子についてや継続的に目標を追いかけるために必要な忍耐力をどう保つかについて解説がなされています。
『思考は現実化する』のか?
さて、この話を読むと多くの人が「叶わない夢はない」とか「目標を書き出せば成功できる」とかそういう考えになることでしょう。
事実、アマゾンについている数百の高評価レビューがそのように書かれており、一部桜である可能性を差っ引いても実売の多さを鑑みればそう思っている人がかなりの数いることは間違いありません。
しかし、ここで批判的に読むことを私は重視します。
いくつか切り口があるのですが、まず「思考」とは何かを考えたときにこの著書はツッコミどころがあるのです。
例えばこの著書では「思考」を、独立した身体により行われるものと暗黙的に前提としていますが、違和感を持つべきポイントです。
実は自我の明証性は言われているほどクリアではありません。
自我の明証性は「デカルト」という哲学者から来ているとされます。
しかし、これをレヴィ=ストロースという人物は批判的に捉えました。
彼は著書の中で『デカルトのコギトは普遍性につながるものであったが、ただしそれは、コギトが心理学的、個人的な枠内に止まるという条件の下においてであった』(『野生の思考』)と言います。
どういうことなのかというと「自我」は個人という言葉から我々がイメージする領域内において完結するわけではないということなのです。
ではレヴィ=ストロースはどう考えているのでしょうか。
一言で言えば、あらゆる個人が「社会」というものに所属する以上、その社会集団からの影響を避けられないということです。
あらゆるものは関連しあっておりそれを捉えることが本質理解につながるといっているということです。
この相互の関係性に着目するということが意味するのは「不偏不党」の思考をしている気になっているという考えが正しいのかという疑問です。
なぜなら、自分自身がその集団の支配的な考え方の枠にぶち込まれているということなのです。
歴史を可能にするものは、出来事の部分集合が、ある一定の時期に、一軍の人間・・・に対してほぼ同一の意義を持つということである。それゆえ、単なる歴史なるものは決して存在しない。歴史は常に何かのための歴史である。歴史は不偏公正たらんと努めてもなお偏向性を持つものであり、部分的であることは免れ得ない。そのことがまた偏向性の一つの様態なのである。
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(1976)みすず書房
レヴィ=ストロースはこの著書の中でいわゆる「未開人」と呼ばれる人と共同生活をするなどして彼らの「思考」を探りました。
すると「非論理的」「文明化されていない」と西洋側が嘲笑して来た彼らの中に「論理」が見えて来たのです。
西洋認知バイアスから見ると「非論理的」「不合理」と断罪される中に我々の思考と同じ論理性が見えてきたとレヴィ=ストロースは言いました。
ここで本題に戻します。
『思考は現実化する』の問題点はもうお分かりいただけるでしょう。
「自らの認識」があらゆるものをコントロールし、あらゆる世界をも作り出すと考えるところです。
これは典型的な近代哲学の「自我」という概念をひきづった考えだと言えますが、レヴィ=ストロースに言わせれば、あらゆる思考は「特定の社会集団」の影響を避けられません。
これはどちらが正しいかについては個々の判断に委ねられますが、どちらかというとレヴィ=ストロースの方が現実に即してるのではないでしょうか。
つまり、「現実化したものを通して思考する」ということです。
この因果関係の転倒が何を意味するのかというところが気になるでしょう。
それは、『思考は現実化する』を読む前にすでに思考することが決まっているのです。
例えば、グローバリズムが進む中で次のような思考をしうるでしょう。
- 自己責任論に基づく自らの手で稼げるようになりたいという考え
- 国家の衰退に反発する形での愛国カルト的な考え方など
これを読んでいただいているあなたがどういう社会集団に属するのかは私はわかりません。
そもそもうまく線引きできるかも怪しいでしょう。
しかし、少なくとも一つの社会集団に属するなかで「不偏不党」にあらざるは当然と私は考えます。
『思考は現実化する』を諸手を挙げて読むべきではない
そういった中において今すべきは自分がいかなる社会集団に属するのかであったり歴史というものの中で自分がどういう位置付けにあるかを知ることが良いのではないかと考えます。
またそもそも「思考」とは何かを考えるのも一つするべきことかもしれません。
レヴィ=ストロースの文脈で言えば、ある対象を細分化して生き把握することを近代的思考というのに対して、未開人をはじめとするそれ以外の領域で見られる思考はすでにある現実をつなぎ合わせて何か新しいものを考えたり現実を説明するというものです。(プリコラージュ)
結論としては、すでになんらかの形で現実化した現象世界に生きている以上は社会に対して関心を持つことが「思考」につながる可能性が高いのです。
ポストイットに書くことではありません。
ビジネススクールに通うことではありません。
情報商材の餌食になることではありません。
今自分が「正しい」と考えている思考をシビアに見ていくことが『思考は現実化する』という本からでは見えて来ないのではないでしょうか。
ぜひ、『野生の思考』に目を通して見てもらえればと思います。
引用:ナポレオンヒルの6か条については下記サイトより引用