あなたはこれからの「日本に期待できるか」「日本は終わっているか」と聞かれてどちらだと思うでしょうか。
私は後者です。日本は将来どころか今の時点でもう終わっている可能性すらあると思っています。
この時点で「反日」扱いされることもあるのですが、私に限らず日本はもう終わっているのではないかと思っている人は少なくないようです。内閣府の調査によれば日本の未来は「明るいと思う」とする人の割合を「暗いと思う」と答えた人が圧倒的に上回ったようです。(平成26年のもの)
(1) 日本の未来に対する意識
50年後の日本の未来は,現在と比べて明るいと思うか,それとも暗いと思うか聞いたところ,「明るいと思う」とする者の割合が33.2%(「明るいと思う」7.5%+「どちらかといえば明るいと思う」25.7%),「暗いと思う」とする者の割合が60.0%(「どちらかといえば暗いと思う」41.6%+「暗いと思う」18.5%)となっている。
性別に見ると,「明るいと思う」とする者の割合は男性で高くなっている。
年齢別に見ると,「明るいと思う」とする者の割合は20歳代で高くなっている。(図1,表1(CSV形式:2KB))
そうあまり明るい話題がないのです。
少子高齢化だし、年金も保険料は上がるのにもらえないかもしれないし、経済成長も止まっているし、サラリーマンの給料は上がらないのに物価だけ上がるしなどなど日本は終わっていると感じざるをえないことが最近はとても多いように思います。
こういったものも日本は終わってるなと思うのに十分なのですが、私は最近の政治を見ているとこれからというよりもうすでに終わったなと思った瞬間が何回かありました。
今日は、私が日本は終わったなと思った瞬間を落書きレベルですが書かせていただきます。
■オワコン①ー安保法案の強行採決ー
もう忘却の彼方にある方も多いかもしれませんが、日本が近代国家としてぶっ壊れた瞬間がありました。
それが、安保法案の強行採決です。
当時安倍政権の支持率がもっとも下がったタイミングでしたので世論の反発がすごく強かったことくらいは覚えている方も多かったでしょう。
しかし、安保法案が日本がもう終わっていることを示す象徴例になるとまでお考えでない方は多いかもしれません。
実際、あの時に比べると支持率は回復しましたしマスコミで今この法案を取り上げるところはもうありません。
風化した感じさえあります。
ただ、安保法案のトピックは確実に今までの戦後民主主義の政治がいかに腐っていようとも超えてこなかった一線を超えたタイミングだったと私は考えています。
どう終わっているかというと近代国家の前提である立憲主義がないがしろにされたのです。
これは難しい話ではありませんので、少しだけお付き合いください。
まず、安保法案とは下記の記事にわかりやすくまとめられていましたので一部抜粋します。
■どんな法律なのか?
法案は、新しくつくられる「国際平和支援法案」と、自衛隊法改正案など10の法律の改正案を一つにまとめた「平和安全法制整備法案」からなる。
- 集団的自衛権を認める
- 自衛隊の活動範囲や、使用できる武器を拡大する
- 有事の際に自衛隊を派遣するまでの国会議論の時間を短縮する
- 在外邦人救出や米艦防護を可能になる
- 武器使用基準を緩和
- 上官に反抗した場合の処罰規定を追加
https://www.huffingtonpost.jp/2015/07/15/security-law-wakariyasuku_n_7806570.html
要するに自衛隊の活動範囲を広げる法律です。
その「広げる」という言葉は色々な意味があるのですが、本ケースでは一番目のまるぽちにある「集団的自衛権」の行使を限定的にではあるが認めることを指すと言って良いでしょう。
さて、集団的自衛権とは何かですが、辞書ではこう書かれています。
国際関係において武力攻撃が発生した場合,被攻撃国と密接な関係にある他国がその攻撃を自国の安全を危うくするものと認め,必要かつ相当の限度で反撃する権利。
https://kotobank.jp/word/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9-77203
親密な国が攻撃をされたらその国を助けに行く権利ということです。
よく誤解されているのですが、集団的自衛権は自国を守る権利ではなく、直接的には他国を守る権利と言われています。
だから、例えばアメリカが攻撃されたら日本はアメリカと親密な国と言われていますので、アメリカを守るために武力行使をするということですね。
さて、話をもどします。
この安保法案が近代国家の前提となる立憲主義をぶっ壊したのです。
つまり安保法案は憲法という最高法規を超えた法案だったというのが私の考えです。
実際野党も反対していたのはこの法案が憲法違反なのではないか(立憲主義の破壊)というところ一点です。
「憲法9条を読む限りどこをどう読んでも安保法案が合憲とはなりません以上」で終わる話だと思っています。
しかし、当時いわゆる自民党支持層は「左翼の言ってる通りに行っていたら国を守れない。今現実的に北朝鮮の脅威がある。安倍さんは強引かもしれないが現状を鑑みれば致し方ない」と言っていました。(産経新聞もこういう記事を書いていた)
挙げ句の果てには「立憲主義は左翼の思想」と叫ぶ人間まで現れたほどです。
しかしながら、野党は政治をわかってないバカなどではなく、ほぼすべての憲法学者も違憲だと言っていたレベルの話だったのです。下記の記事をご覧ください。
朝日の記事なので偏向報道と言われそうですが、104人が憲法違反と考え憲法違反に当たらないと考えたのはたった2人です。
さすがに朝日が偏向報道をしたがるメディアだとしてもここまで結果を寄せようとはしないでしょう。
もうちょっと拮抗させて戦わせた感じを作りアリバイ作りをするはずです。
ここまで偏るくらい安保法案は誰が見ても憲法違反(立憲主義の破壊につながるもの)とされているのです。
(「先に述べた憲法9条を読めば明らかに違憲」以上と言う話)
朝日アレルギーの方向けに補足すると産経新聞でも2人しか集めてこれなかったことが伺える記事がありますのでご覧ください。
朝日の記事がそれほど偏っているものとは考えにくい。
挙げ句の果てに産経がやった対抗策は憲法学者がいうことを鵜呑みにする必要はないという記事を書くしかないというくらいです。
https://www.sankei.com/politics/news/150619/plt1506190054-n1.html
そんなほとんどの学者がおかしいとわかるでたらめな法案が我が国ではもう可決されてしまったのです。
つまり近代国家の基礎がぶっ壊れたのです。
そもそもでいうと素人であっても憲法違反かどうかわかります。
憲法9条を読み上げてください。どうやったら安保法案は合憲だと言えますか。
どう解釈しても相当無理があるというものです。
当時自民党が違憲だと言われたものに対して言っていた発言はその全てがロクでもないものでした。
最後にそれを見ましょう。
代表的なのは3つです。
1つが、「北朝鮮の脅威があるから仕方ない」というものです。
いうまでもなきがするのですが、外圧があるからという理由で憲法を順守しなくていいとしたら、時の権力者は外敵を煽りさえすればなんでもできることになってしまいます。火事場泥棒です。こんなのは論理になっていない。
2つ目が先ほども書いた「国連憲章ではすべての国で集団的自衛権が認められている」というものですが、何度も言うように日本は立憲主義を採用している近代国家です。(いいか悪いかは別にして)
それゆえに憲法が「最高法規」です。国連憲章は最高法規ではありません。
ですので、国連憲章を日本国憲法より優先するなどというのは成り立たないのです。
3つ目がアメリカが日本に駐留することを認めた砂川事件を持ち出してくるというものですが、これに関して言えば先ほどの記事ではもはや誰一人として集団的自衛権を合憲とする根拠にはならないと述べてるレベルです。
まとめますと、安保法案とは嘘や詭弁をずっと使わないといけないくらい無茶苦茶な法案だということです。
しかし、その無茶苦茶な法案が憲法違反だと言われる中で合憲の理由を何一つ述べることなく通されたのがこの一件のあらましなのです。
日本は近代国家ではなく、人治国家となった瞬間だったのです。
まあ「憲法が国家権力を縛るものというのは王権時代に主流的な考え方で、憲法とは国の理想と未来を語るもの」といいだす総理大臣や「憲法を法案に合わせる必要がある」と述べる人間が防衛大臣をやっていたことを考えるとなるべくしてなったんですけどね。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/186236
https://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3217/
オワコンなんです。
■オワコン②ー公文書の改ざんー
さて、もう一つの近代国家としての終わりを確認した一件があります。
それは森友問題です。
「まだ森友やってんのか」というコメントがいたるところで書かれているあの森友問題です。
うんざりしている方も多いでしょう。
私も「いつまでやってんだよ」と思っています。
確かに森友問題というのはたった8億円の土地値引きという金額的に言えば小さな小さな問題でしかありません。
鼻くそレベルです。
ですが、「だから放っといていい」という立場を私は取りません。
むしろ近代国家としての終わりを表す事件にもなりうるというのが私の立場です。
それはなぜかをここでは書きます。
まず端的に理由を述べますと、たったこの程度のことを5年も総理大臣と財務大臣をやっている「最強コンビ」が1年以上何も前進させられないからです。
しかも事実上の部下である財務官僚がこの8億円の値引きの経緯を隠蔽するために決済文書を改ざんまでしたのです。
公文書というのは近代国家でデモクラシーを成り立たせるために極めて重要なものです。
例をあげればあなたが税金を収めたとしてそれを保証してくれるのは支払ったことを証明する公的に作成された文書です。
もしその公文書が書き換えられたらどうでしょう。
あなたが税金をちゃんと払っていてももう一度税金を払わされたり、必要以上に払わされたりする可能性があるのです。
そう考えれば公文書の重要性が分かるでしょう。
その公文書の改ざんが現実に起きたのがご存知森友問題です。
当時「森友問題はフェイクニュースだ。騒ぐなら証拠を出せ」と盛んに自民党の熱狂的支持層が言っていました。(今も言ってる奴がいる)
しかし、この決済文書の改ざんというのは「証拠それ自体の改ざん」です。
つまり事実自体をねじ曲げる行為です。
「証拠を出せ」と言っている行政の側が証拠の改ざんをしていたというのはジョークのレベルをはるかに超えています。
実際、財務省は改ざんされた文書のままでこの問題を乗り切ろうとしていました。
昨年一年間財務省は「この8億円の値引きはゴミが地中に埋まっているから妥当だ」とずっと言い続けていたのです。
総理大臣もこの論法を駆使していました。
しかし今は明らかになりましたが、ご存知の通りそもそもゴミ自体が捏造でした。
つまり、土地の値引きの根拠はゴミのでっち上げによって行われた嘘まみれのものだったのです。
言い換えれば、我々の納めた税金を架空のゴミをでっち上げることで特定の事業者に横流ししたのです。
これのどこがどうでもいいくだらない問題でしょうか。
さらに終わっていることがあります。
この改ざんを主導した佐川氏は不起訴になろうとしています。退職金のちょっとした減額ですむとも言われています。
法の不備に漬け込んだとも言えるのですが、兎にも角にも最悪の展開です。
なにが最悪か。
公文書の改ざんという民主主義の否定とも言われる行為でその実行者が厳しく取り締まられることがないという先例ができようとしているのです。
この程度の処分ならば今後は文書を書き換えし放題です。
そして税金も無駄遣いし放題ですし、無茶を国民にふっかけることも楽勝な国家になるのです。
人治国家です。なんでもありなのです。
歴史修正行為とも言える低レベルの事態で、「野党の政局利用だ」とか「メディアの偏向報道だ」とかそういうレベルの話ですらないのです。
未だに野党を叩いたりマスコミが偏向報道だと騒いでいる連中がいるのですが、木を見て森を見ずとはまさにこのことを言うのではないでしょうか。日本は今近代国家として超えてはいけない一線を超えたのが森友問題なのです。
■嘘とデマが日常化する社会はもう終わり
いろいろ書いてきましたが、憲法という最高法規を嘘をつきながら形骸化させたり、一年間嘘の文書で国権の最高機関である国会を欺き続けたりと嘘が権力の中枢で日常化しているのが今の日本です。
日本はもはや近代国家としては終わっていると言ってもよくしかもそれを無理矢理擁護しようとする異常な集団に乗っ取られている事態なのです。
今回挙げた安保法案や森友問題だけではありません。
移民を「外国人財」とごまかしながら入れ、なし崩し的に在留期間を延ばし移民国家にしようとしたり、福島原発はアンダーコントロールと嘘をついたり、聖域なき関税撤廃を前提とするTPPに反対しておきながら強行採決したり、腹心の友である大学理事長と何回も会い、その学園関係者が総理秘書官と3回もあっているのに「獣医学部を作ろうとしていることは2017年1月20日だった」とかなり無理のある論法を駆使したり。。。。
嘘とごまかしだらけです。
こんな事態を放置してしまうほど日本はもうダメになってるのです。
これは自民党や安倍政権が終わっているというのはもちろんあるのですが、彼らを叩いて終わりという話ではありません。
それを担いでいる支持者がいるということを考えれば我々の社会自体が深刻に病んでいるのです。
「嘘をついてはいけない」とか「証拠を改ざんしてはいけない」とか「口裏合わせしてはいけない」とかその手のことを東大を卒業したトップエリートや総理大臣が知らないのが我々の社会です。
何もかもぶっ壊れているのです。
もう救いはありません。いい終わり方が全く見つかりませんでした。
まあ念仏を唱えれば救われるらしいので唱えることにします。
南無阿弥陀仏。