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世の中一般について

ポストトゥルースの時代がきたと言われるがその意味とは?

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昨今「何が事実なのか」「何が真実なのか」が尊重されない時代に突入したという風に言われるようになっています。

 

これは私の単なる思い付きではありません。

 

実際に、「ポストトゥルース」という形で時代を象徴する言葉も誕生しました。

 

ところで、この言葉がなぜ今湧き立って来たのでしょうか。

 

 

本日はその素朴な疑問に答える形で、時事ネタなどを放り込みながらポストトゥルースという現象について記事を書かせていただきました。

 

ポストトゥルースという言葉の意味と出て来た背景

ポストトゥルースという言葉が出て来始めた象徴的な出来事の一つにトランプ大統領の誕生というものがありました。

 

トランプというのは政治家の経験もなく、政治におけるど素人で「エリート」と呼ばれる家柄の上がりでもなかった中で、当初ほとんどの人が勝つとは思っていませんでした。

 

 

しかし、下品であったり事実というものをないがしろにしつつも、大衆の憎悪に働きかけ感情を湧き上がらせることで大統領にまでなり、その後も今日に至るまで大統領の席にいます。

 

トランプが大統領になれないと予想した人が悔し紛れに、トランプはすぐに何かしらの形で追放されるだろうと語りましたが、その希望含みの予想も大いに裏切られました。

 

 

 

フランスのマクロンも同系統と評する人がいます。実際、彼のほうが登場は早かったですね。

ですが、やはりアメリカという世界トップを走る国の大統領となるとインパクトは桁違いです。

 

こうして、トランプ誕生のあたりからポストトゥルースという言葉がはやり始めました。

 

ポストトゥルース的思考にはまっている人の特徴

ところで、トランプについて書くことが本題ではないので前置きはこれくらいにしましょう。

 

 

実は、ポストトゥルースというものはトランプ大統領およびその支持者に典型的なものではありません。

我が国日本も間違いなくポストトゥルースの世界に足を突っ込んでいます。

 

安倍政権というのはその象徴だと私は考えています。

安倍政権というのは、一言で言えば、言ってることとやってることが正反対にも関わらず「愛国ぽさ」を演じることで国民のナショナリズムを刺激することに成功した政権だと私は考えています。

 

 

象徴的な例は少し前でいうと安保法案があるでしょう。

安倍首相は安保法案は違憲ではないと言い続けました。

 

 

しかしながら、それまでの歴代自民党の憲法9条解釈に照らせばどう考えても違憲なのです。

つまり、安倍首相はインチキをやったわけです。

 

 

 

 

それにもかかわらず、いまだに高い支持率があるのは多くの人がご存知でしょう。

 

これが意味するのは、安倍政権の支持基盤が、事実をないがしろにしながらも「国を守るため」と連呼さえすればついて行ってしまうまさに「ポストトゥルース」的な人たちで多く占められているということなのです。

 

 

他にもいくらでも例は挙げられます。

今話題の「桜を見る会」に関するものもそうでしょう。

 

菅官房長官は「反社会的勢力」という言葉に明確な定義はないという趣旨の答弁をしましたが、こんなのを許容すれば暴対法は意味をなしませんし、過去に政府が法案において閣議決定した際の反社会的勢力という文言は「何も意味がなかったのか」と言わざるを得ません。

 

全ての暴対法で逮捕した人を釈放し、罰金にした人にはそれを返上しなければならなくなります。

 

訂正したり、うまく切り返したりするのかと思えば、まさかの反社会的勢力は定義できないという「昭恵夫人は私人」以来の満塁ホームラン級のおバカなことを閣議決定をしたのです。

「反社会的勢力」を定義することは困難だ-。政府は10日、野党議員の質問主意書に対し、こんな答弁書を閣議決定した。首相主催の「桜を見る会」に反社会的勢力が出席していたとされる問題で、明言を避けるため菅義偉官房長官が繰り出した苦しい「見解」をなぞった格好。政府は2007年の指針で反社会的勢力を明確に定義しており、追及をかわそうと場当たり的に言葉の定義をあいまいにした疑いが浮かぶ。

『場当たり的答弁の果て…「反社」の定義は困難 政府が閣議決定』西日本新聞 2019年12月11日

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/567115/

 

バカにはバカと伝える

「事実かどうかは誰にもわからない」という懐疑主義や「それはあくまであなたの意見に過ぎず、他にもこういう考えがある」という相対主義はいずれも問題を矮小化する上で使われるインチキです。

 

この話は著書でソーカルの著書を取り上げながらお話死ししました。

 

ポストトゥルースの世界ではこう言った詭弁で自らのデタラメを押し切ろうとする勢力が出てくると。

 

 

事実というのは、幾多のケースの積み上げから暫定的にであれ「これである」と言えるものです。

 

懐疑主義者は「そうとは言えないかもしれない」というテンプレを愛好しますが、その主義を貫き通すならともかく御都合主義的に用いているだけです。例えば、スマホで文字入力するときに「あ」のボタンを押すときに「あ」が出るとは限らないといったことを言い始める人がいたら「バカかお前は」と述べるでしょう?

 

それと同じなのです。

バカにはきちんとバカと伝える政治が今は求められているのです。

 

 

私も一昔前までは、「総理大臣なのだから」「官僚なのだから」と政治家を過大評価してきました。

しかしながら、義務教育レベルの知識もなかったり、あからさま嘘を平然とつくような人間ばかりです。

 

「事実」軽視するような勢力に学歴も社会的ステータスも関係ありません。

きっちりとクズだと庶民の側から伝える必要があるのです。

読書会を大阪とスカイプで開催しています。

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