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結果が大事なのか過程が大事なのか?

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「世の中結局、結果が全てだよね」

「人を見るときは、過程も見ないといけないよ」

 

 教育の場、仕事の場、、、日常における色々な場面で直面する難問があります。

 

「結果と過程のどちらを大切にしたら良いのか?」というものです。

 

例えば、マネジメントや教育をする立場の人であれば部下や生徒をどのように評価すればいいのかという問いが常に立ちはだかります。

 

一方で、評価される側も自分は結果と過程のどちらを大事にして行動すればいいのだろうかと思い悩むことがあるものです。

 

 

 本記事では、こういった結果と過程のいずれを重視するべきなのかについて考察を深めることができるマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』という書籍をご紹介できればと思います。

 

この著書はそれぞれの立場の根っこにある価値観を紐解きつつ、この問いについて考えを深めるきっかけをくれる構成となっています。

 

「結果が大事だ」という価値観の正体

 まずは、「結果が大事」という価値観の正体から見ていきましょう。

 

この立場は端的に言えば功利主義の立場を取ります。

 

 

そのことについて著書の中では、『功利主義は・・・最大多数の最大幸福を追求すべきなのかに関する最も影響力の大きい説』だと指摘されています。

 

ということは、この「功利主義」について深掘りすることで「結果が大事だ」と考える立場の強みと弱みが見えてきます。

 

 

それぞれ順に見ていきましょう。

 

 まず強みですが、『すべての価値は貨幣価値に換算可能』なところにあります。

 

どうしてこれが強いのかといえば、結果を単一の尺度で測ることができるからです。

 

今でいえば「貨幣」によって換算するというのが広く見られます。例えば「この服は1000円に値するがあの本は2000円に値する」といった形で全く別次元のもの同士を比べることも功利主義は可能にします。

 

 

そして、全く違う次元のもの同士を比較してどちらに大きな価値があるかも簡単に結論できてしまうのです。

 

これは非常に便利と言えるでしょう。

 

 

結果を重視する人が功利主義者になるのはまさにこのわかりやすさにあるのではないかとサンデルは考えているのです。

 

 

 しかし、この「功利主義」という思想には明確な弱点もあります。

 

 

一言で言えば、臨機応変さに欠ける点です。

 

多くの場合に、算盤を弾いて価値判断を促進する功利主義も、それに依存すれば多大な反感を買ってしまうという経験をします。

 

 

 サンデルはそれを説明するためにフィリップモリスの例を挙げます。

 

手短にではありますがご紹介いたしましょう。

 

たばこメーカーであるフィリップモリスはチェコ共和国でビジネスを展開しているのですが、あるとき政府が喫煙による医療費増加を懸念し、たばこ増税を検討するようになりました。

 

その時、増税回避を願うフィリップモリスはチェコの国家予算に対する喫煙がどれほどの費用を生むか分析したのです。

 

その結果『実は喫煙のせいで政府が失うお金より手に入るお金の方が多い』ということがわかりそれを公表したのです。

 

 

具体的には、確かに喫煙者は医療費を増やす要因にはなるものの、早死にするため、年金や高齢者向け住宅などに拠出するべき費用をトータルで見れば節約できるというものでした。

 

 

 ご察しの通り、このようなフィリップモリスの調査は世論の大幅な反感を買いCEOは謝罪に追い込まれてしました。

 

そして、その謝罪の場で人間の基本的な価値を完全に無視した愚かな調査であったと認めました。

 

 

 この例が教えてくれるのは、功利主義はいかなるケースでもすべての人を納得させるといった力は持っていないということです。

 

 

仮に功利主義だけで世の中の課題に判断がつくならば、本ケースでは全ての人が喫煙者を増やすためにむしろ減税したほうがいいという考えになるはずです。しかし現実ではこういった考えは反感を買うわけです。

 

貨幣という尺度で示された「結果」だけを見ることは常に「正義」ではあり得ないということです。

 

「過程を見るべき」という価値観の正体

 続いては、そういった「結果を見るべき」とする功利主義を批判的に捉え「過程を見るべき」とする価値観について見ていきましょう。

 

サンデルはこの考えをカントに依拠しつつ述べて生きます。

 

 

 まず、「結果」にのみ目を向ける功利主義の問題点として、『何が最大の幸福をもたらすかを権利の基準とすることで、権利を薄弱にしている』点にあると指摘します。

 

 

その意図するところは、『一時的な欲望から道徳原理を導き出そうとするのは、道徳の考え方として誤っている』からだとサンデルは言います。

 

 では、『必要性や欲望が道徳の基準になりえないなら、何が基準になるのか』という疑問が湧くことでしょう。

 

古典的な考えとしてはこれまで「神」というものを答えにしてきました。

 

しかし、カントは「神」を答えとせず「理性」にその答えを見いだすのです。

 

 

 ただし、カントのいう「理性」は特殊です。「理性」というと「功利主義」と同義で捉える方がいるかもしれませんが、カントの述べる「理性」は「自由」のために使用されるのです

 

 

言い換えれば、この「自由」は『動物と同じように快楽を求め、苦痛を避けようとしている』状態とは異なり、『自律的に行動すること』を促す力を持っているわけです。

 

 

 ここで、いまいちこの議論が理解しにくいと感じる方には改めて本章のテーマに立ち戻ってみていただきたいところです。

 

 

彼は『大事なのは動機であり、その動機は決まった種類のものでなければならない』と考えていました。

 

 

この動機を重んじる態度を「自由」で「自律」的な人間と呼んだわけです。

 

 

 ただし、このカントの過程を評価する思想は致命的な弱点があります。

 

 

それは、『義務の具体的な内容は明らかにしていない』という点です。

 

ただただ『行動の結果ではなく動機を評価する必要があると述べているだけ』なのです。動機が大事なのはわかったけどそれって具体的にどういう動機なの?という話ですね。

第三の道はあるか?

 功利主義的な「結果偏重」にもカント的な「過程偏重」にも致命的な欠陥があるということをここまで述べてきました。では、我々はどうしなければならないでしょうか。

 

 

 この疑問に対してサンデルは我々が直面する課題に対して『孤独な作業ではなく、社会全体で取り組むべき試み』とすることの重要性を訴えます。

 

議論による集合知の活用ということです。

 

 

彼がこう考える背景には『われわれは内省だけによって正義の意味や最善の生き方を発見することはできない』というものがあるのです。

 

 

最初の哲学者とも言われるソクラテスが民衆を説得しようとした挙句に処刑されたのを目撃したプラトン以降、多くの哲学者が民衆を侮蔑し、内に退き篭ることで正しさに近づこうとしました。

 

 

 

 しかし、サンデルはこのような孤独な作業に向かい何か普遍的に当てはまりうる倫理的な原則を見つけようとするアプローチを不適切だと考えます。

 

 

何故ならば、現実世界においては常に複数の『道徳的ジレンマ』に向き合わなくてはならないからです。

 

 

 

言い換えれば、現実世界には綺麗に白黒のつく問題などほとんどなく、それぞれ理のある立場同士がぶつかり合う以上それらを闘わせなければならないのは論理的必然だということです。

 

 

 議論をしたからと言って答えが出るかはわかりませんし、議論を為尽くす前に答えを出すように求められるタイミングが来ることもあります。

 

 

しかしながら、その議論をしたことは無駄になりません。

 

 

それどころか『道徳的不一致に対する公的な関与が活発になれば、相互的尊敬の基盤は弱まるどころか、強まる』のです。

 

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