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時事

「私は立法府の長」発言は何がまずいのか

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11月2日のことです。

どうやらテレビではあまり取り上げられないですがとんでもない発言がまたまた我が国の総理大臣から飛び出しました。

 

それは、タイトルにもあげている「(私は)立法府の長」というものです。

総理大臣はもちろん「行政府の長」なので、完全な間違いなのですが、問題はこれまでの経緯を考えると「単なる言い間違い」で終わらせていいのかというところなのです。

 

今日は11月2日の「私は立法府の長」発言のどこがまずいのかを私なりにまとめました。

 

「私は立法府の長」発言は1回や2回ではない

まずは映像で「私は立法府の長」を確認していただいた方がいいので下記に動画を掲載いたします。

下記は11月2日の衆議院予算委員会での答弁をした際のものです。

 

安倍首相は「立法府の長として立っている」と発言を明確にしています。

そのあと野党議員が嘆息していますね。

野党議員がそういう反応をするのも実は無理もないことです。

 

この「私は立法府の長」発言は過去にも複数回飛び出したものだからです。

下記の動画を追加で添付いたします。ぜひご覧ください。

 

この動画はうまくまとまっており安倍首相が少なくとも3回過去に「私は立法府の長」発言をしているということが確認できます。

もはや笑えるレベルなのですが、コラ動画や合成されたものではないということが後から「恐怖」を我々にもたらす動画です。

 

さて、ここで考えるべきはこれまで少なくとも4回飛び出した「私は立法府の長」発言が下記のどれを意味しているのかということです。

  1. 義務教育レベルの知識がない
  2. 単なる言い間違い
  3. 知識がある上で本当に「立法府の長」になるという「意志」も込められている

私の立場はというと基本線は1ですが、最近は3もあるのではないかと思い始めています。

まあ私の考えはさておきましょう。

 

問題は2の立場をとる人です。

2の考えをするいわゆる現体制翼賛者に位置する人なのですが、批判に対して「野党やメディアは言葉尻を捉えて・・・」や「他に批判するべきところがあるだろ」という反論をこの発言が飛び出すたびにあげています。今回もそうでした。

 

 

これは一見至極真っ当に見えます。確かに誰しもが「言い間違い」はするものです。

しかしながら、これは浅薄な反論と言わざるをえません。

 

 

なぜなら繰り返しになりますが、「私は立法府の長」発言が「単なる言い間違い」か怪しいからです。

 

 

政治家に高度な知識は不要だが、、、、

「じゃあ何を批判しているんだ?」ということになるわけですが、九官鳥のように繰り返しますと、「義務教育レベルの常識がない人が国の浮沈を左右する権限を持たせるのは不適切なのではないか」というところなのです。

 

 

そもそもなのですが、体制翼賛者が思っているほどこの発言を問題視する人達にとって安倍首相が何か高度な知識を持ちあわせていることを期待していません。

 

ただ、総理大臣という日本で一番権力を持つ人になるのであれば最低限の「常識」は持っておいてほしいという考えを持っている人がほとんどではないでしょうか。

 

東大を出ていなくても弁護士でなくてもいいのです。

ただ基礎的な常識があればいいのです。

 

 

しかし、安倍首相のこの発言はその「低い期待値」すらも下回っているがゆえに批判せざるをえないのです。

 

安倍政権を野放しにするのは国民のモラリティーが問われるレベルになってきた

このことを問題視して報道したのは大手メディアだけですと朝日新聞と毎日新聞だけでした。

 

安倍首相「私は立法府の長」また言い間違え 直後に謝罪
2018年11月2日11時55分

https://www.asahi.com/articles/ASLC23T54LC2UTFK00S.html

 

安倍首相また「私は立法府の長」 議場嘆声 毎日新聞2018年11月2日 20時29分

https://mainichi.jp/articles/20181103/k00/00m/010/122000c

 

テレビでは私の知る限り報道しているところはありませんでした。(あれば教えてください)

「私は立法府の長」を茶化すのではなくドキュメンタリーとしてそろそろ取り上げなければなりません。

自分の職域を4回も連続で間違えるというのは「本当に知らないんじゃないか」と思っても仕方ないでしょう?

 

 

まあ百歩譲ってこの「私は立法府の長」だけを捉えて批判するのが不適切だとしても、おばか発言がこれ以外にも山ほどあるので批判をやめるわけにはいけません。

 

一例を挙げますと最近安倍首相は改憲を盛んに叫んでいますが、「憲法とは何か」をわかっていません。

 

憲法学を専攻しなくても義務教育で憲法とはマグナカルタからの歴史を義務教育レベルで知っていればわかる通り「国家権力を縛るもの」と学びます。多くの憲法学者や法学者がこの認識を前提に憲法の議論をしています。

*もちろん条文を読めばそれだけではないことは明らかですが、まずもって憲法とは権力を張るものという認識が「常識」です。

 

 

しかしながら、安倍首相は「保守」を自称しながらこの憲法が「国家権力を縛るもの」という憲法観を王権が絶対権力を持っていた時代に主流的だった過去の考え方だと一蹴します。

王権が絶対権力を持っていた時代に立憲主義が成り立たないことすらご存知ないのです。

しかもどこの誰がいったのか「国の理想と未来を語るもの」という独自の憲法観を披露しています。

 

この独自の憲法観は今年も再度披露されました。

「憲法は国の未来、理想の姿を語るものだ。21世紀の日本の理想の姿を私たち自身の手で描くという精神こそ、日本の未来を切り開いていくことにつながっていく」

安倍首相、改憲を国会に呼びかけること「禁じられていない」 産経デジタル 2018.10.30 11:29

https://www.sankei.com/politics/news/181030/plt1810300013-n1.html

 

憲法が権力者に対して謙虚であることを促すものという常識を持たない人が権力を握っているということがどれほど危ないことかおわかりいただけますでしょうか。

 

我が国の総理は自分を「立法府の長」だと本気で思っているかもしれない、憲法を「国の理想と未来を語るもの」と思ってるかもしれない、、、そういう疑惑が積み重なると一つの考えがわかざるをえないのです。

総理大臣なのに義務教育レベルの知識もないという考えに。

 

日本人は権力に対して非常に鈍感で、小泉政権に騙され、民主党に騙され、大阪維新に騙され、小池ファーストに騙されてきました。しかし、それに反省せずまた安倍政権に騙され続けています。

 

そろそろ追放するものは追放しないと国が滅びるのは時間の問題でしょうね

 

だから常識水準とはその時その時に与えられた社会人の見識の平均値のことではなくて、さ却って、この平均値を高めるべき目標・理想線を意味している。この理想線の方眼紙上の1は不定であり、或いはその位置を問題にすることは不可能なので、平均値のあるところ常にその近くにこの常識水準が力の場のような作用を持って横たわっているのである。本当の常識はそれ自身いくつも低下し消散し死滅していくあるいきものだが、之を常に刺激して活きて行かせ保持発達させるものが、この常識水準という言葉の意味でなくてはならぬ。丁度真理とは真理を保持し高めるもののことであるように、常識とは常識を保持し高めるもののことだ。

『日本イデオロギー論』戸坂潤(1977)p85

 

 

こくち

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