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仕事について

成長が口癖の人はなぜうざいのか

更新日:

「私は御社で成長したいんです!」

「仕事を通して成長させてください!」

「とにかく成長したいんです!」

 

 

「成長」

 

その言葉が放たれる時、世界が両手を上げて拍手を送る言葉かもしれません。「成長したくない」なんて言おうものなら人間として扱われないレベルの対応をされることも少なくないでしょう。

 

 

しかしこの「成長」という言葉になんとなく「胡散臭いな」とか「うざいなあ」とか長らく感じてきたのがこの私です。

 

■目次

成長という言葉はなぜもてはやされるか

成長という言葉をうざいと感じる理由

成長と言うのをやめてみる

■成長という言葉はなぜもてはやされるか

「成長」という言葉の本性を暴くためにはこれほどまでにもてはやされている理由をまずは知らなくてはいけません。

この言葉がもてはやされる理由は幾つかあるのかもしれませんが、その最たるものに「功利主義」(資本主義)の世界観と非常にマッチしているからということが挙げられます。

 

むしろ、「功利主義」自体がこの「成長」という言葉を生み出したと言ってもいいかもしれません。

それほどまでに「成長」という言葉は今我々の世界において極めて親和性の高い言葉なのです。

 

*ちなみにこれを裏付けるものとして「成長」という言葉はフランシス・ベーコンという哲学者が近代の主要概念としてあげています。

 

 

ところで、私がこの「成長」という言葉をここまで敵視するのには明確な理由があります。

その理由とは、「目の前の行為」を全て無意味なものへと返してしまうという側面を持っているからというものです。

 

 

よくわからないことを言っていると思われたかもしれません。

これについて理解を深める意味で、ある思想家の言葉をひかせてください。

近代世界においてますます深まりつつある無意味性を、おそらく何よりもはっきりと予示するのは意味と目的とのこうした同一視であろう。意味は行為の目的ではありえない。意味は、行為そのものが終わった後に人間の行いから必ず生まれてくるものである。

『過去と未来の間ーー政治思想への8試論』ハンナ・アーレント(1994)みすず書房

ハンナ・アーレントが言うには「意味」と「目的」の同一視こそが近代以降の人々に見られる主流的なものの見方なのだそうです。

そしてこの見方こそがあらゆる行為を「無意味」にしている諸悪の根源であると彼女は述べます。

 

私はこの言葉に大いに同意する立場です。

 

 

では、なぜこのものの見方をすると無意味性が高まるのか?について踏み込んでみましょう。

一つの答えとしてアレントは先ほどの文章に続けて以下のように述べています。

 

「何の役に立つか」という功利主義の問いが一見際限なく続くうちに、言い換えれば、今日の目的がより良き明日の手段に転化してゆくという一見際限のない連鎖において、功利主義の思考によっては決して答えらえない一つの問いが最後に浮かび上がってくる。「役に立つことはいったい何の役に立つのか。」これはかつてレッシングが簡潔に発した発問だった。

『過去と未来の間ーー政治思想への8試論』ハンナ・アレント(1994)みすず書房

 

ここに「成長」を叫ぶことがうざいと感じてしまう諸悪の根源が隠されています。

「成長」と言う人はある目的に向かっているように見えながら実は常にその目的が手段に転化していくという世界に生きています。

 

つまり、「成長のために成長する」という空っぽのサイクルを永遠に走り続けているのです。

 

 

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■成長という言葉をうざいと感じる理由

要点を整理します。

私がここで述べたいのは「目的」と「手段」というカテゴリーの世界から脱出できないことには永遠に無意味な世界から脱出できないということです。

 

実はこの話は、偉大な賢者に共通の考えで、先のアーレントに限らず、オルテガという哲学者も『大衆の反逆』の中で近しいことを述べています。

ところが、われわれは、そうした申し分なく充溢した自己満足の時代は、内面的に死んだ時代であることに気づくのである。真の生の充実は、満足や達成や到着に有るのではない。セルバンデスは、かの昔に「宿屋よりも道中の方が良い」と言っている。自己の願望、自己の理想を満足させた時代というものは、もはやそれ以上は何も望まないものであり、その願望の泉は枯れ果ててしまっている。要するに、かの素晴らしき頂点というものは、実は終末に他ならないのである。

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(1967)ちくま学芸文庫

現代人の多くが「道中を楽しむ」という当たり前のことができなくなっているとオルテガは述べています。

要するに、「成長のために成長をする」という旗のもと今を楽しむことができなくなってきているのです。

 

これは極めて不可思議な世界なのですが、一度入り込めば最後で永遠に帰れない人が少なくありません。

 

 

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■成長と言うのをやめてみる

私の結論としては、成長という言葉を使うことはやめるべしというものです。

 

もちろんうざいというのもあるのですが、この言葉は今の我々の一歩一歩を空虚なものにしてしまいます。

 

全てが(成長のための)手段と考える功利主義から派生して生まれたこの「成長」という言葉を唱えつづければ唱え続けるほど、「成長とはなんのための成長なのか」という際限なき問いに押しつぶされることは間違いありません。

 

 

今日は、「成長」という言葉をうざいと感じる理由についてベラベラと書いてきました。

ただ、できれば、あなたには私が「成長」という概念を批判しているという矮小化した形で見ないでいただけると幸いです。

 

 

このような言葉がまかりとおり、当たり前のように賛美される我々の社会のおかしさを伝えたいのです。

今目の前に写っているものはしばしば社会全体を映し出す鏡であると感じている私にとって「成長」が口癖となる世の中は極めて興味深い考察の対象であり続けるでしょう。

 

 

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