出版不況と言われる中「自己啓発本」というジャンルがとても人気です。
本屋の目立つところに置かれ、多くの人が手にとってはレジの方へと流れていくのを私自身よく目にします。普段は本を読まない人でも「自己啓発本ならば」という形で本を読む方が多いのです。
さて、私は以前から巷に転がっているような自己啓発本から『7つの習慣』や『金持ち父さん』のようなロングセラーの自己啓発本に至るまで徹底的に批判してきました。
自己啓発本ばかり読んでいる人は非常に危険だとさえ継承を流してきました。
このことに関しては、何度申し上げても足りないくらいだと思っています。
そういうわけで、今日は自己啓発本の危険性について改めて書かせていただきました。
■自己啓発本が人気の理由
まず、なぜ今自己啓発本が人気なのかということを書かせていただきます。
これは「読みやすい本が多いから」「面白いから」といった理由が一般的には上がってくるでしょう。
ただ、私としては、そういった「読みやすい」と感じたり「面白い」と感じたりする判断の根っこに注目しています。
つまり、何か外的な要因があり我々にそう(自己啓発という活動に価値を見出すこと)思わせているのではないかと私は考えているのです。
さて、自己啓発本に熱狂する人々の思考の根っこになにがあるのか。
これについては次の仮説を立てています。
それは現代社会における困難に際して「世界」(社会)ではなく、「人間」(個人)を変えることで解決を試みることが正しいという価値観が支配的になっているというものです。
これは極めて*近代的な(資本主義時代の)考え方といえるものでして、既存の秩序(共同体)を解体していくことが日常化していく中にあって時代に沿った考え方と言えるでしょう。
*カール・ポラニー『経済の文明史』によればすべてを商品化の理論に組み込むことを指す。
要するに今までであれば共同体が作り出してきた常識や偏見と呼ばれるものを行動規範とすれば良かったわけですが、資本主義が多くの共同体を「資本の論理」に組み込み破壊することで我々個々人の多くが判断の土台を失ってしまったけです。
そういう意味で社会における価値判断の土台が失われた我々にとってある種自己啓発本というのは「生き方を指南してくれるかのように見える」という意味でとても時代のニーズにあったものだと言えます。
しかし、時代がそうさせているからといって自己啓発本ばかりを読んでいることが「正しいこと」だとは限りません。
ハンナ・アーレントという二十世紀の偉大な女性思想家がいるのですが、彼女は『政治の約束』において今私が述べてきたことをまとめるかのような極めて興味深いテクストを残しています。
・・・もし人間の思考が、出来合いの標準を持っている場合にしか「判断」できないような性質のものであるならば、危機に陥った近代世界において蝶番がはずれたのは世界の方ではなく、むしろ人間の方だと言っても全く正しいことになるだろうし、一般的にはそう仮定されているらしい。こうした仮定は昨今のあくせくとしたアカデミズムのいたるところにはびこっており、そのもっとも顕著な証は、世界史や世界市場の事件を扱う歴史学が解消されてまず社会科学になり、それから心理学になったという事実である。
『政治の約束』ハンナ・アーレント(2008)筑摩書房 p135
彼女はなにを言っているのかというと、人間の思考が出来合いの標準でしか物事を判断できないようなものだとすると共同体がぶっ壊れて価値判断の土台が失われたら俺たち詰んでるよねという話をしているのです。
そして、それが正しいことを前提にして心理学(今の文脈では自己啓発)という「我々がどう行動すべきか」を促してくれる指南が支配的になるのは当然と言えるとアーレントは見ているのです。
■自己啓発本ばかり読む危険性
ただ、(アーレントもおそらくそうなのですが)我々の行動原理を心理学的なメソドロジー(自己啓発本)に求め自分自身の改変でもって物事に対処しようと考えることは非常に危険が伴うと私は考えています。
その理由を一言で述べれば本日的に解決しているわけではなく、「逃避」に過ぎないからです。アーレントはそのことについて非常に的確な指摘をしています。
それどころか、この人間への関心のとてつもなく怖ろしい点は、それがこうした「外的事象」などには、従って究極的な現実の危険などには、従って究極的な現実の危険などには、全然心を悩まされないで、「内的事象」へ逃避していることである。しかしその場所で、せいぜい可能なことといえば、内省だけであり、活動や変化は望むべくもないのである。
『政治の約束』ハンナ・アーレント(2008)筑摩書房 p138
彼女が指摘しているのは心理学をベースとした自己啓発本による行動原理の醸成は本質的に外的事象と向き合わず、内的事象に逃避しているに過ぎないものだということです。
一見「どう行動するか」を決めてくれる自己啓発本は「解決法」と思いがちだがそれは極めて大きな勘違いだと、本質的には逃避でしかないのだと彼女は警鐘を鳴らすわけです。
さて、この自己啓発本的思考はなにが不味いのかの結論に行きましょう。
これは、わかりやすく言えば「外的事象」が原因で我々を困難なものとしているのに、その不適切とも言える「外的事象」に適合しようとすることで自らがぶっ壊れるということです。
例を挙げると月に200時間残業をさせるブラック企業があったとしてそこである従業員が苦しい思いをしているシーンを思い浮かべてください。
その際、悪魔的な経営者が「あなたは精神的に弱いからしんどいと思うのだ」などと働きかけ従業員が不幸にも思ってしまったらどうなるか。
過労死してしまう可能性もあるかもしれませんし、仮にそのまま生き延びたとしても、それを次の部下になる人などに強要するといった不幸の連鎖が始まるわけです。
このケースで残業200時間を受け入れた従業員を我々は責めることはできません。
ただし、それが適切であるかどうかを考えた時に疑問が湧いてくることでしょう。
今述べた例は単なる一例です。
そして、私は精神的なものの全てを否定するわけではありません。
しかしながら昨今自己啓発本的なものが流行ることがその象徴かもしれませんが、内的事象による課題解決は簡単だから飛びつきやすいものの時として取り返しのつかないほどに物事をこじらせることがあるということを私は指摘しておきたいのです。
「周囲を変えるより自分を変える方が楽だ」というのはカウンセラーなどもよくいうことだそうですがこういうのがむしろその人の顔を水に突っ込むような行為であることがあるのです。
善意的な思考が最悪の結果へと繋がりうるそんな危険性をアーレントも20世紀を通して考えてきたのでした。
現代心理学は砂漠の心理学である。私たちから判断能力・・・が失われた時、私たちは、もし砂漠の生活という状況下で生きて行けないとしたら、それは私たち自身に何か問題があるからなのではないかと考え始める。心理学は私たちを「救済」しようとするのだろうが、それは心理学が、私たちがそうした情況に「順応」する手助けをして、私たちの唯一の希望を、つまり砂漠に生きてはいるが砂漠の民ではない私たちが砂漠を人間的な世界に変えることができるという希望を、奪い去ってしまうということを意味しているのだ。心理学は全てをあべこべにしてしまう。私たちは未だに人間であり、未だに損なわれていないのである。危険なのは砂漠の本当の住人になることであり、その中で居心地よく感じることである。
『政治の約束』ハンナ・アーレント(2008)筑摩書房 p233
我々が今砂漠にいて砂漠に適合しようとするのが自己啓発本的な考え方であり、砂漠を緑豊かに変えていこうと考えることが現代人には極めて欠落しているというのがあまりに当たり前でありながら今注目しなければならないことなのです。
■自己啓発本ばかり読む人に読んで欲しい本
自己啓発本を読んでいる人に最後にぜひ読んでいただきたい本を最後に列挙して終わりにいたします。
これから紹介する本は、自己啓発本的な「内的事象から人間はどう行動するべきか」と見ていくものではなく、「外的事象がいかにして人間の判断を作っているか」という角度から思考するのにおすすめの書籍です。
ポラニー、ブローデル、ウォーラーステインは人間の現在の姿をもっと長い歴史から紐解いていくという非常に興味深い論理展開を得意とする賢人たちであることを保証いたします。