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誠実な態度とはどういうことを言うのか

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「誠実な人であること」

 

 誰もがそのようでありたいと願っています。

 

 

人としてそうあるのは当然だと思っている人も多いでしょう。

 

しかし、「誠実であること」は容易ではありません。

 

 

最近よくみられる例でいうと、表面上は「顧客のため」と言いながらも実態として損することが明快な商品を騙して売る事例が後を絶ちません。

 

大手不動産会社が不良施工を隠蔽してオーナーに物件を販売していた件や巨大保険会社が詐欺まがいの商品を組織的に販売して摘発された件はその典型です。

 

 

 ところで、これは一過性の現象なのでしょうか?私が思うにこのような誠実さを欠く行為は、日本で今後増えていくと思われます。

 

 

金融業界で言えば、利子率の慢性的な低下により収益性が悪化したことが今回の無理な営業を誘引したことは否定できません。

 

 

他の業界でもデジタル化やグローバル化など複合的な要因ではありますが競争激化が引き金となり削ってはいけないコストを削ってしまった結果ではないでしょうか。

 

 

 こういった時代の流れを踏まえると、時流に流されるだけでは「誠実な人」であり続けることが難しくなってきています。

 

それゆえに、今までとは異なる認識を持たなければ、誠実に生きることは困難なのです。

 

 そこで、本節では「誠実であるためには何が必要か」をデカルトの『方法序説』に基づいて考察します。

 

デカルトといえば近代哲学の始祖とも言える人で、我々の住む現代社会の土台となる考え方をいち早く打ち出した人物とされています。

 

彼が打ち出した考えは一言で言えば、時流に流されることなく「理性を正しく行使せよ」というものなのですが、これが誠実さを見失わないために重要なメッセージだと私は考えています。

 

誠実であるために必要なただ1つの条件

 まずはじめに一般的に言われているような誠実さの条件を見ていきましょう。

WEBの記事やビジネス書の類を見ていくと例えば下記のようなものが挙げられています。

 

  • 仕事に一生懸命な人
  • LINEの返信がちゃんと返ってくる人
  • 責任感が強い人
  • 面倒見がいい人
  • 浮気をしない人

 

 こういったものを見て「確かに」と思う方が結構いるかもしれません。

 

 

しかし、「本当に何かに夢中になっていれば誠実なのか?」「LINEの返信がちゃんと返って来れば誠実なのか?」と聞かれるとあなたはどう答えるでしょうか。

 

おそらく「必ずしもそうとは言えない」と思うでしょう。

 

なぜなら、これらに該当しても誠実とは言い難い例をあなた自身が知っているからです。

 

日本社会で言えば、人当たりが良くて優しければ「誠実だ」とされることも多いですが、それもまた普遍的ではありません。

 

 

 では、「誠実である」という条件を満たすにはどうすればいいのでしょうか。

 

 

それに応えてくれるのがデカルトの哲学です。

 

デカルト哲学の核心は、人間が平等に持っている「理性」をいかにうまく行使できるかによるというものですが、これこそが「誠実さ」を実現する上で要求されることです。

 

 

それゆえに、デカルトの述べる「理性」を理解することが「誠実さ」とは何かに近づきます。

 

 彼がいうには、『理性は、われわれが(中略)見たり想像したりするものが真であるとは、けっして教え・・ない』ものだと言います。言い換えると、理性にはあるものを「真」だと教えてくれる機能はありません。

 

 

その意図するところは、『われわれは実に明晰に太陽を見るけれど、だからといって太陽が見ているとおりの大きさであると判断してはならない』という例から深く理解できます。

 

 

 言い換えれば、我々の感覚は不十分な部分があり、容易に誤ることがあるから自分が世界内で認識していることに対して批判的になる必要があるということです。

 

 

これが有名な「方法的懐疑」と呼ばれるものです。

 

彼は自分の属する社会の全てに対して徹底的に批判的であること促しました。

 

誠実であるためには批判される覚悟が必要

 ここまでをまとめると、自己欺瞞に陥ることなく自らに対して誠実であるには「今の自分の認識が本当に正しいのかと『疑うこと』ができる」ことが重要だということでした。

 

 

ただし、これは言うは易しですが、行うのは困難でしょう。

 

ここでは具体的に、実際デカルト自身が当時何をしてどういう反応を受けたかをみていきます。

 

 

 まず、理性の価値に気づいたデカルトはそれをフルに活用して『これまで自分の精神の中に入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと』考え始めました。

 

 

もちろん、デカルト以前にも理性という言葉はありましたが、単に「思考」という意味でしか使われていませんでした。

 

彼の場合はそんな生ぬるいものではなく、自分のこれまでの常識を全て見直すべく、信じられてきたものを次から次へと疑っていくのです。

 

 

 その疑いの対象となったのが当時支配的だったスコラ哲学でした。

 

スコラ哲学というのは一言で言えば昔のキリスト教神学者たちが打ち立てた、今で言うところの勉強法みたいなものです。

 

一例を挙げると「完全性」という言葉がいいかもしれません。

 

 

 

全ての人はこれを目指すわけですが、スコラ哲学の場合、物事に対して疑いを挟まなくなる状態になることが「完全性」に達していることを意味しました。

 

何故ならば<神は最高の完全者>なのはいうまでもなく、疑っている人がいるとすればそうしている我々の方に問題があると考えるからです。

 

 今でこそ、スコラ哲学をバカバカしく思い、デカルトの考え方を当然とするかもしれませんが、当時はスコラ哲学の世界観の下で人々が生きていたことを考えればデカルトの行動は相当に勇気のいるものでした。

 

日本に置き換えるならば、織田信長の延暦寺焼き討ちくらいのインパクトはあります。しかし、彼はこのような大胆なことを批判を恐れずやりきったのです。

 

 もちろん、このような批判的営みを行うことで実際に多くの批判にさらされました。

 

なぜ、多くの敵を作ったのかはここまでの内容からお分りいただけると思います。

 

一言で言えば、これまでの学問の全てがスコラ哲学を土台にし、人間に『真理を探究するよりも、真らしさで満足する』ように迫るものばかりだったからです。

 

つまり、デカルトのように『これは違うのではないか』という徹底的な懐疑を持たないことがこれまでのあらゆる学問の前提だったのです。

 

 

だからデカルトのような根本的懐疑が叫ばれることは彼らにとっては営業妨害以外の何物でもなかったのです。

 

自分の抱いた疑いを発信できることが誠実さにつながる

 

 最終的に彼は180度違う認識を持つことにより、これまで誰もたどり着かなかった一つの疑いえない結論にたどり着くことに成功します。

 

それが歴史上でも非常に有名な『われ惟うゆえにわれあり』というものです。

 

 

実際、テキストの中で『「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在り〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえない』と述べています。

 

 

 なぜこの命題が真理だとみなせたのか。

 

それは、『自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的に・・・わたしが存在する』と言えるからだとされています。

 

咀嚼すれば、あらゆるものは疑えるが疑っている自分自身は疑えず存在するということです。

 

 

 ここで本題に話を戻しましょう。

 

 

デカルトはここまで敵を作ってまでも、時流に反したことを行った原動力は何か。

 

一つの答えとしては彼なりの「誠実さ」がその行動に導いたと私は考えます。事実、これまでの思考法では説明がつかないことを徹底して批判的に見直していく行動にそれは現れています。

 

 

 よく実生活において「誠実さ」という言葉の意味は単に周囲へ迎合することや他者にとってあってほしいようにあることになりがちです。

 

本ケースで言えば、スコラ哲学だか神学だかの土台に流されていくほうが明らかに批判もされず、周囲の反感も買いません。

 

 

でも彼は茨の道を選んだのです。その損得を超える力学を生み出したのは、紛れもなく彼の社会に対する「誠実さ」です。

 

 

 もちろんデカルト哲学も一長一短あり、やり過ぎもまた問題が生じることは避けられません。

 

 

なぜなら、人間は疑うことをしなければならないにしても、それを続けるといかなる行動も取れなくなるからです。

 

 

玄関の扉をあけて足を一歩踏み出す瞬間に「道が実は安定的ではなく崩れるかもしれない」などと考えていればヒステリーでしょう。

 

しかし、だからと言って時流に反して徹底的に疑うということを、人間に与えられた偉大な能力だと述べる彼の哲学が錆びつくことはありません。

 

デカルトが行なった方法的懐疑はあくまで学問の領域ではありますが、このようなスタンスは他の領域でも応用されてしかるべきです。

 

あなたの日常生活において、何かしら「無理」が出ていると少しでも感じるならば、その疑いを何らかの形でまずは発信していくというのが誠実であり続けるために極めて重要と言えるでしょう。

 

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