今日は久々に読書会で東洋思想を扱いました。
扱ったのは、鎌倉時代中後期に作成されたと言われる唯円の『歎異抄』です。
こちら一見非常に短くそれほど難しくないようにも見える一冊なのですが、パーっと読んでいくと読み終わった時に「で、なんだっけ」となる本と言われています。
実際、参加者の方からも同様の声をいただきました。
そこで、私なりに今日は唯円『歎異抄』の読み方について僭越ながら解説させていただこうと思います。もちろん私は仏教思想の専門家ではなく、ずぶの素人なのでそれにご留意していただけると幸いです。
一言で言うならばこの唯円の『歎異抄』は思想的にはかなり先進的なものであったと私は見ており、日本におけるまっとうな「保守観」の形成に大きな役割を担ったとさえ思っています。
あらかじめ、少しだけ『歎異抄』について前フリするとこれは仏教思想の重鎮である親鸞上人の思想を弟子である唯円がまとめた本です。本の構成は『論語』や『ゲーテとの対話』などに同じく若干対談形式になっています。
■これまでの仏教思想をひっくり返す親鸞上人の考え
まず、『歎異抄』が歴史に名を残す一冊とされている理由について私なりに解説していければと思います。
さて早速見ていきましょう。
彼の思想の中核は、『歎異抄』における第3条に出ていると私は考えております。
善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
『歎異抄』唯円(2001)角川ソフィア
こちらは『歎異抄』の中でもかなり有名な一説でして、浄土真宗が他の宗派やその他の著名な宗教と一線を画する点が書かれています。
これは日本語に訳すと「善人でさえ極楽浄土に行けます。ましてや悪人がいけないことはありえません」となります。
さて前後関係を読み解いていくとどうやら親鸞上人は一般的には善人のみを救おうとする宗教が多い中で「悪人」をもその努力次第で救われると述べたのです。
要するに、親鸞上人の生み出した浄土真宗は悪人をも救おうとする非常に懐のでかい宗派だったということですね。
ただ、ここで理解の仕方について一点注意が必要です。
これは単にみんなを救おうとする「友愛思想」と捉えることは適切ではありません。
親鸞上人が意図することは別のところにあります。
それを理解するにはもう少しだけ回り道になりますが、そもそも彼のいう「善人」と「悪人」がなんたるかを理解することが大切です。
唯円が記した親鸞の思想によれば「悪人」というのは、「煩悩から解き放たれていない人」のことをさすようです。
そして、それから解き放たれることで「善人」なれると『歎異抄』の中では述べられています。
さて、ここである疑問が浮かぶことでしょう。
それは「煩悩から完全に解き放たれる人間などいるのだろうか」というものです。
この疑問については当時の親鸞上人も考えていたことが15条を読むことでわかります。
おほよそ、今生においては、煩悩・悪障を断ぜんこと、きはめてありがたきあひだ、真言・法花を行ずる浄侶、なをもつて、順次生のさとりをいのる。
『歎異抄』唯円(2001)角川ソフィア
要旨としては、「真言や法花といった厳しい修行を積んでいる素晴らしい人たちでも煩悩を断ち切るのは無理っぽい。それやのに俺らにできるわけねえやん。とりあえず現世では南無阿弥陀仏を唱えまくって来世でできるように頑張ろうぜ。」ということです。
少しそれたので話を「善人」「悪人」の話に戻しつつまとめます。
ここまでの親鸞上人の考えを押さえると次のことが言えます。
一般的には「善人」を救おうとする宗教が多いです。
しかしながら、親鸞上人の開いた浄土真宗は全く異なるのです。
彼の人間観に基づけば完全なる人間とも言える「善人」は実在しえないと言ってもよく、ほぼすべての人がなんらかの利己的な煩悩に覆われた「悪人」であらざるをえないということです。
これは一言で言えば、「人間は不完全な生き物である」という自己認識を常に持つべきという言い方も可能です。
■『歎異抄』は日本型保守思想の起源かもしれない
さて、ここから唯円『歎異抄』の偉大さについて私なりの解説に入ります。
実はこの『歎異抄』で親鸞上人が唯円に述べる人間観は西欧のある大思想家に類似するものがあります。
それは、保守主義の父とも言われるエドマンド・バークです。
バークは19世紀の安易な改革思想に熱狂し伝統を軽んじて既存の制度を次々に解体していったフランス革命政府とそれを支持する人々をてきびしく批判したことは有名です。
彼の批判のポイントは「人間は不完全である」という自己認識が彼らには致命的なまでに欠けているというものでした。
人間は間違うからこそ彼らが放棄しようとした一見非合理的に見える宗教活動や世襲の君主などの維持が極めて重要だと言うのです。
この話お気づきかとは思いますが、まさに唯円が描いた『歎異抄』の中の親鸞上人とベースが同じの考え方ではないでしょうか。
驚くべきは、親鸞上人はヨーロッパで多くの尊敬を集めるエドマンド・バークの思想に5−600年も前にすでにたどり着いていたことです。
今や完全に西洋思想に遅れをとってはいますが、その昔圧倒的に日本の思想が前に進んでいた可能性があるとも言えますね。
日本の保守思想は江戸時代以降の伊藤仁斎、荻生徂徠、福沢諭吉などによって紡がれてきたと認識されていますが、その随分前に登場した親鸞上人こそは実は日本における保守思想の先駆者なのかもしれません。
もちろん親鸞上人より前にこの領域にたどり着いていた人というのはいるかもしれません。
しかしながら、私が今見た時点で親鸞上人こそは日本におけるエドマンド・バークと考えられるのです。
■『歎異抄』を読むことで見える今の保守派のデタラメぶり
最後に余談ですが、ここまでの話を踏まえると今の日本で「保守派」を自称する人々がかたっぱしからデタラメなのはいうまでもないかもしれません。
『歎異抄』は今の保守派のデタラメぶりを明らかにしてくれるワクチンかもしれません。
最近次々と現れる自称保守たちの致命的なまでにおかしい点をあえて一つに絞るならば、日本の歴史を150年前以上遡ろうとしないことです。
彼らの歴史観では江戸幕府なんてただの悪役キャラで終わってしまいますし、『歎異抄』は出てこない。
理由は江戸時代やそれ以前にもっと優秀な人がいたなんてわかろうものなら今の自称保守は崩壊してしまうからです。
それゆえに必死に隠蔽しなければならない。
伊藤博文、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、、、、これらが描かれている姿と実際におこなったことはあまりに乖離があります。犯罪者とやってることがなんら変わりない。
まあここに深入りするとまた字数が伸びるのでこの話はストップします。
兎にも角にも彼らの「保守観」は*プロクルテスの寝台そのもので、ご都合主義の極みとも言えます。そこに一切「人間とは不完全なものである」という謙虚な姿は見られない。
*…捕らえた旅人を自分の寝台に寝かせて,その身長が短すぎると槌でたたくか重しをつけるかして引き延ばし,長すぎると,はみ出た分を切り落とした。現在でも杓子定規,容赦ない強制の意で使われる〈プロクルステスの寝台Procrustean bed〉はこれに由来する。同じ街道で,曲げた2本の枝に1本ずつ足をゆわえつけ,通行人を二股裂きにしていたシニスSinis,海に蹴落として大亀の餌食にしていたスキロンSkirōn,むりやり相撲の相手をさせて殺していたケルキュオンKerkyōnらと相前後して,いずれもみずからが旅人を殺すのに用いた方法で,アテナイの王子テセウスに退治されたという。
「あいつらは左翼だ」と叫んでいる人たちが日本について真剣に考える「保守派」とは限りません。
そういう「良識派」の代名詞とも言える「保守派」の定義が錯綜する今だからこそ唯円の『歎異抄』がもっと多くの人に読まれてほしいですね。
以上『歎異抄』に関して横道にそれながら解説してきました。
わずかながらでも参考になれば幸いです。