「成功者」という言葉がここ長らく多くのビジネスマンの間でバズワードとなっています。
「勝ち組」という言葉とも同義だと思われますが、「人生がうまくいっている人」のことを指すのでしょう。
- 凡人が学ぶべき成功者が行う8つの習慣
- 成功者に共通する9つの特徴
- なぜ成功者になる人は〇〇な行動をするのか?
こういったタイトル記事のウェブ記事や動画というのは非常に読まれており、少し検索すれば大量に出てきます。
もしかしたらこれを読んでいただいているあなたも成功者になるにはどうすればいいかを常日頃考えているのかもしれません。
本日はこの成功者になるにはどうすればいいのかをよく考えてしまうという方向けに記事を書かせていただきました。
有名な古典でもあるスピノザの『エチカ』からその考え方の危険性について見ていければと思っています。
Contents
「成功者になるためにはどうすればいいのか」ばかり考えている人に欠けている視点
まず、「成功者になるためにはどうすればいいのか」をとにかく考えることに執着している人に欠けている視点を述べたいと思います。
それは言葉にしてみるとあまりに当たり前ですが、「成功者」を何らかの受け売りで一義的に決めつけてしまっている点にあります。
卑近な例でいくと、「サラリーマンを辞めても生計を立てられること」を成功と置いている人が世の中にはたくさんいますが、このケースで言えば、「サラリーマン」でいることは奴隷状態であると考え、軽蔑されてしかるべき状態だと考えるようなことが少なくありません。
では、こういう「意識高い系」界隈で言われる通り、サラリーマンでいる人は例外なく人生における「成功者」ではないのでしょうか?
もちろん表立ってはこの問いに「うん」とは言わないでしょうが、潜在的に思っている人は少なくないでしょう。
しかし、「成功者」という偶像を何らかの受け売りで固定化しないことを推奨します。
ここでスピノザの考えを取り上げたいと思います。
スピノザの人間観は簡単にいうと『目的のために働くものではない』(第四部序言)のであって『人間の衝動が何らかの物の原理ないし第一原因とみられる限りにおいて人間の衝動そのものにほかならない』(同)と述べるのです。
「お金のために〇〇をする」「Aちゃんい好かれるために〇〇をする」といった現代において広くみられる行動原理はまさにこれに当てはまります。
では、功利主義的な目的と手段の設定による思考プロセスを彼がなぜ批判したのでしょうか?
それは彼の言葉を借りるならば『人間が自然物を完全だとか不完全だとか呼び慣れている』ものは、『物の真の認識に基づくよりも偏見に基づいている』からです。(同)
これは「サラリーマンでなければ成功者である」とか「月収100万円あれば勝ち組である」とかそういった通俗的な成功者像に対しても当てはまるものです。
単なる偏見や思い込みを「完全」な生き方だと思ってしまっているだけなのです。
「成功者」の真似をすることが「成功」と言えるのか
話を本題に戻すと、「成功者像」の思い込みというのは例を挙げると結構ひどいものです。
金持ちになろうとしたりなった人はしばしば赤いイタリアの車が作っている車に乗りたがるのはご存知かと思います。
しかしながら、エンジン音はうるさいし、リッターで走る距離が異常に少ないし、管理費はバカ高いし、狭い道幅は通れないし、不便なことだらけです。
にも関わらず、「成功者」としてストレスが少なくなる生き方を獲得した人々が積極的に乗ろうとするわけです。
スピノザがこのような認識の指摘を通して伝えたかったことは一つです。
それは、我々一人一人が『自然における一切の個体を最も普遍的と呼ばれる一つの類に・・・還元するのを常とする』考えを持つように促すことでした。
これは言い換えれば、どれかを「完全」とするには別の何かを「不完全」とする必要があると無意識に我々が考えてしまうわけですが、スピノザはそれを批判したわけです。
あらゆるもの・ことはそれ自体が本性的に「善」でも「悪」でもないというところにも話は繋がってきます。
スピノザのわかりやすい例を引用しましょう。
・・・同一事物が同時に善および悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもありうる・・・・。例えば、音楽は湯鬱の人には善く、非傷の人には悪しく、・・・・。
『エチカ』スピノザ(1951)岩波文庫
音楽はそれを聞く人によって善にも悪にもその両方にもならないことがあるという話をしています。
スピノザのテキストから考えられる人生の「成功」を手繰り寄せる方法
ここで、回り回って成功者になるにはどうすればいいのかという疑問に帰ってくる方が多いかもしれません。
それについていえば、スピノザは箇条書きで「こういう生き方をしろ」とは書いてくれませんでした。
朝5時半に起きて朝活をしろとかマインドセットをしっかりしろとかそういうのはないんですよね。
どちらかというとスピノザの軸足は「してはいけないこと」をまずは我々に提示するという仕事を『エチカ』においてしていたように思います。
その「してはいけないこと」の筆頭が『受動に隷属すること』(第五部定理三十二)でした。(感情の受動的様態としばしば言われる)
ここからはあくまで私の解釈ですが、このスピノザが述べる「受動」という言葉は損得感情と結びついている部分がかなりあると思われます。
というのも、「〇〇したら儲かる」とか「〇〇したらモテる」みたいな行動原理は損得勘定の筆頭ですが、基本的に受け身にならざるを得ないからです。
その一方で、ここで難問にぶつかります。
それは、「損得感情ではない行動原理が良いとしてどう行動すればいいのか」という問いです。
これは私も含め功利主義に飼い慣らされると容易に答えられない問いになってきます。
その理由は、(サンデル教授も述べていることですが、)「功利主義」はそのわかりやすさが最大の売りであるために認識のカテゴリーとして飛びついてしまいがちな一方で、「本当の正しさ」を求める行動はそれを評価することが難しく不安に駆られてしまうことが日常茶飯事だからです。
ここからは個々人が自分の足と頭を使って考えるしかないのかもしれません。(スピノザはもしかすると聖書かなんかを念頭に置いていたのかもしれませんが、、)
とはいえ、スピノザは損得を離れて自分にとっての「正しさ」を優先する行動をとってみるということは現代人が忘れがちな重要な視点を獲得させてくれます。
これに近づいていくことがひいては本テーマでもある「成功者」になるためのヒントとなるのではないでしょうか。