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時事

統計偽装問題で厚生労働省を叩くだけでいいのか?

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連日報道されている統計の偽装問題ですが、このブログでは最近集中的に取り扱いをさせていただいております。

と言いますのも主要統計は各種政策の判断材料となっているため我々の生活に極めてダイレクトに繋がってくるからです。

例えば、失業給付金の金額は勤労統計をもとに支給額が変動しますし、消費税増税の判断も賃金の伸び率をもとに安倍首相はしようとしています。

色々な政策判断は「基幹統計」と呼ばれる行政作成のデータで行われるのです。

 

そういう意味で最近報道されている各種判断の材料となる統計データが偽装されていたということは、日本という国が少なくとも「文明国家」なるものを名乗るのは難しくなってきていると言えるくらいに危機的な問題なのです。

 

さて、本日は徐々に見えつつあるこの統計偽装の全貌について「官僚バッシングでまた終わらせるのか?」という観点から記事を書きました。

 

偽装問題で厚生労働省を叩くだけではだめだ

おととい昨今の厚生労働省傘下で起きた統計偽装問題を受けて厚生労働省は幹部の更迭人事を発表しました。

具体的には局長級の大西氏を事実上の「格下げ」する人事を発表したと朝日新聞が報じています。

 「賃金構造基本統計」の不適切な調査問題で、厚生労働省は1日夜、担当室長がルール違反の「郵送調査」について、総務省による基幹統計の一斉点検で意図的に報告していなかったと発表した。局長級の大西康之・政策統括官も昨年12月下旬にはこのルール違反を知っていたという。根本匠厚労相はこの日朝、一斉点検での「報告漏れ」を理由に大西氏を1日付で大臣官房付に異動させる「更迭人事」を発表した。

『統計不正、局長級を更迭 厚労省「隠蔽否定できない」』朝日新聞デジタル 2019年2月1日

https://www.asahi.com/articles/ASM2166RFM21ULFA02H.html

確かに前代未聞とも言える統計データ偽装をを起こした不祥事に対して、それを認識していながら隠蔽していた政策統括官の責任は非常に重いです。しかしながら、果たしてこの幹部更迭をするだけで問題は解決するのでしょうか?

今後統計偽装が起きないといえるのでしょうか。

 

 

少なくともこのブログで書いてきたように主要統計自体は少なくとも2004年以前から行われていたと言われています。

そんな中、この人物を追放するだけで解決するでしょうか。

 

 

責任はもっと広範囲にありますし、「そもそもなぜ起きたのか」がわからない中で一人の役人を更迭しただけで済ませようとするのは非常にまずいです。

 

課題が分からなければ、再発防止を適切に行う施策にたどり着けませんからまた起きる可能性があります。

厚労省はすでに腐敗を極めており、野党からデータ偽装を指摘されて修正して出してきたデータも偽装するような集団です。

 

一人の上長を吹っ飛ばすだけではまた必ず同じようなことが起きてしまいます。

今やるべきは「解決策」を出すのではなく「問題が何か」を徹底的に究明することです。

 

またしても非協力的な安倍首相

さて、「なぜ起きたのか」という一番大事な真相究明を妨害する人物がいます。

それは安倍首相です。本来であれば真相究明に最も積極的であるべき人物が妨害行為をしているのです。

 

 

東京新聞が一昨日報じたところによりますと野党側からの「第三者委員会設置」という至極当たり前な提案を拒否したのです。

参院は一日午前の本会議で、安倍晋三首相の施政方針演説など政府四演説に対する代表質問を続行した。首相は、厚生労働省による毎月勤労統計の不正調査に関し、特別監察委員会について「事務局機能を含め、より独立性を強めた形で、さらに厳正に検証作業を進めていく」と強調。野党側が求めた第三者委員会の設置は拒否した。再集計に伴い二〇一八年の実質賃金がマイナスになる可能性については「担当省庁で検討している」と述べるにとどめた。

『統計不正巡る調査 首相、第三者委拒否』 東京新聞 2019年2月1日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201902/CK2019020102000286.html

安倍首相は「より独立性を強めた形で」と述べていますが、すでに述べましたようにデータを偽装していると指摘されて出してきたデータでまた偽装しているような厚生労働省が自浄的にまともな調査をするわけがありません。

厚労省の不祥事を厚労省にさせるというのは強盗の逮捕を強盗団に依頼するようなものです。

 

そんな無茶苦茶なことをする部下に対して甘々の安倍首相の対応は非常におかしいと言わざるを得ません。

 

 

もちろん、安倍首相が統計偽装を指示しただとか忖度させたとかそういう曖昧なことをいうつもりはありません。

賃金の件はともかくこれは2004年ごろからあったとされていますからね。(民主党政権なども含みます)

 

ただ、自分にやましいことがないことを前提にするとどう考えてもこの対応は変なのです。

むしろ力学的に言えば安倍首相はいわば部下から「騙されていた」訳ですから、怒り心頭で風穴を開けにいくはずです。

 

 

しかしながら、繰り返しになりますが当の怒るべき本人が第三者委員会の設置を拒否するというのは違和感だらけです。

多方面から「共犯者」ではないかと言われても仕方ありません。

 

これがどのくらいおかしいかについて例をあげましょう。

 

 

あなたが会社のマネジメントのポジションにいることを考えてください。

あなたの部下が架空の出張申請をしてきたが、気づかずにハンコを押してしまったとします。

のちにその部下が虚偽の出張申請をしていると判明しました

 

さてその時あなたはどうしますか?

 

普通怒りませんか?

そして、経理やら何やらを動員して真相を突き止めようとしませんか?

その虚偽申請をしてきた人物になぜ起きたかの調査をさせるなんてありえないと思いませんか?

そして、上司としてそれを見抜けなかった責任を感じませんか?

 

 

ですが、驚くなかれ。

安倍首相は上のような当然誰もが浮かぶような疑問を抱くこともなく、調査による徹底解明に消極的なのです。

そして、虚偽申請をした部下に自分の虚偽申請の調査をさせればいいじゃないかと言っているのです。

 

どれくらい頭がおかしいことかはもうこれ以上はいうまでもないでしょう。

 

役人の不祥事に政治家が責任を取らなくなったきっかけ

この統計偽装における安倍首相の意味不明な対応に既視感をお持ちの方もいるのではないでしょうか。

それは森友問題で起きた財務省の決済文書改ざん時の対応です。

 

あの時も第三者委員会による検証はなされませんでした。

 森友学園をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題について、政府が第三者による調査をしようとしない姿勢を鮮明にしている。内閣府公文書管理法に基づく調査権を持っているのに行使せず、他の省では例のある「第三者委員会」も設けない。なぜ改ざんが組織内でまかり通ったのかなど、客観的な目による真相究明を放棄したまま、同省は「コンプライアンス」(社会規範の順守)の推進に取り組むというのだが……。

『設置されぬ第三者委 財務省改ざん調査、真相究明どこに』 朝日新聞デジタル 2018年7月30日

https://www.asahi.com/articles/ASL7W3JLBL7WULZU002.html

当時も野党側が求めているにも関わらず、第三者による財務省の調査(国政調査権含む)を必死に妨害したのが安倍政権でした。

そして、結局設置は今もされていません。

 

 

今回は単に「公文書」ではなく、「統計」が偽装されただけでそのほかの構図が全て同じです。

 

森友の時は結局公文書の改ざんがありながら佐川元理財局長の退職金を一部減額しただけでした。

しかもあまり報じられていませんが、太田当時の理財局長はむしろ出世するという異常な人事がありました。

政治家はもちろん責任を取っていません。

 

 

残念ながら今回の統計偽装も森友問題と同じ結末を迎えることになるでしょう。日本は完全に三流国家です。

 

「官僚が勝手にやった」の繰り返しだったのが森友問題でしたが、今回の統計偽装も通常国会で追求されれば同じような答弁に終始してのらりくらりと逃げ切ろうとするでしょうね。

 

日本の憲法にある内閣は行政権の行使にあたって国会(立法府)に対して責任を負うという63条の条文は死んだのかもしれません。

 

最後に端的に記事についてまとめます。

この記事の主旨は別に安倍や麻生がやめろと言いたいのではありません。

本来役人の不祥事に一番怒るべき政治家たちがなぜか怒らないのはどう考えてもおかしいという違和感の表明です。

 

この違和感につじつまの合う話というのは森友の件でも結局出ませんでした。

今回もおそらく出ないでしょう。ということはそのままにしては絶対いけないのです。

 

もしそれを解明しようとしないのなら犯罪行為やり放題の三流国家でいいということなんでしょうね。

けれども、エルズバーグが「内部的自己欺瞞」の過程と呼んだものが存在するのは疑う余地はないが、そこでは通常の自己欺瞞の過程が逆転しているかのようだ。欺瞞が自己欺瞞で終わっていないようなのである。欺瞞者たちは自己欺瞞から始めているのだ。おそらくその高い地位と驚くべき自己過信のために、彼らは戦場ならぬ広報活動の場での圧倒的成功を信じて疑わず、人々を操作する無限の可能性についての心理学的前提の完全さを確信していたので、人々の心をとらえる戦いに対する漠然とした信頼とそこでの勝利を予期していたのである。

『暴力について』ハンナ・アーレント(2000) みすず書房 kindle 582

 

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