「今の政治家にはろくな人間がいない」
「政治に期待しても無駄。自分が頑張るしかない」
「政治が僕たちの生活を変えてくれることなんてない」
今、日本にはこういった政治不信というものが非常に高まっています。
与党もだらしないけど野党もだらしないといったような形のパターンもあれば、政治というもの自体が我々の生活を変える力がないのではないかといったようなパターンでの政治不信というものもあります。
そのことが現れているのが投票率です。総務省のデータを引っ張ってきてみると下記のようなデータが得られました。
H21年(2009年)の民主党への政権交代のタイミングで一瞬上がりましたが、そのあと大幅に下がり、10年や20年といったスパンで見た場合に極めて投票率が下がっていることが読み取れます。改めてみると特に20代の投票率の低さがすごいですね。
『国政選挙の年代別投票率の推移について』
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/
「投票率」が低い理由についてご存知でしょうか。
これについて本日は記事を書かせていただきました。
投票率はある指数と相関があると述べている研究がいくつもあるのです。
投票率低下の理由
選挙前になると有名な芸能人などが「選挙に行きましょう」と呼びかけることが最近はよく見られるようになりました。
しかし、そんなPRもどこ吹く風で先ほど見たように多くの人が投票に行かず投票率低下には歯止めがかかりません。
ここ数回は戦後最低という言葉を幾度となく聞くようになり、今が戦後一番投票率が低い時代だというのは間違いありません。
さて、この投票率低下の理由はなんなのでしょうか。
その答えは格差が容認される新自由主義的な改革の結果です。
どういうことかというと、「世帯所得と投票率」には相関があるということであり、大部分の人を貧困にしてしまう新自由主義的世界では必然的に投票率が少なくなるということです。
投票率の低さは特に先進国における重大な問題だがカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のランドル・アキー准教授は投票率と世帯所得には明確な相関があり、より裕福な人は貧しい人々よりも投票に行く可能性が高いと述べた。
実は、この投票率の低下という現象は日本に固有のものではありません。
ヴォルフガング・シュトレークが指摘していることに、ヨーロッパでも2000年以降に戦後最低の投票率を記録した国ばかりであるわけだが、これは格差の進行とともに全世界的に見られる現象だというのです。
また、アルミンシェーファーの研究では投票率の低下が顕著なのがいわゆる社会的な貧困層なのだということが示唆されています。
しばしば投票率の低下に対して、「現状に満足しているから」という指摘がありますが、これが誤りなのはここからもお分かりいただけるでしょう。所得層が低いところで投票率が低いという反例が山のようにありますからね。
投票率を上げるには
こういった中において投票率を上げるにはどうするのがいいのでしょうか。
これは結論から申し上げれば、新自由主義によって失われた民主主義を取り戻すというアプローチしかありません。
「今は民主主義の世の中なのに何をいっているのだ」という認識の方も多いと思いますが、私の考えは一口に民主主義といってもレベル1からレベル100まで幅があると考えています。そして、それが限りなくレベル1へと新自由主義によって近づけられたというのがここの主張のポイントになります。
新自由主義というのは何かご存知ない方のために補足すると、すごくざっくりというと「マーケットに全てを委ねよう」という発想のイデオロギーのことです。
理念的に言えば、政府は極力社会に関与せずに、個々人の好きなようにやらせることが社会として最も望ましいと考えるものです。
言葉だけ聞くと悪い気はしませんね。
しかし、この新自由主義というイデオロギーはそういった理想で自らの本性を隠蔽するものの実は民主主義を破壊するものなのです。
その理由は世界的にもう明らかなことなので改めて詳細を説明することは避けますが、1980年以降アメリカやイギリスに端をなして政府の関与を著しく減らし、マーケットに任せた結果、起きたのは極端な格差社会だからです。
戦後間も無くは労働組合に関する法律や再分配に関する法律もあってか世界的に労働分配率は今より非常に高いものでした。
しかし、レーガノミクスやサッチャーの改革はこういった所得の分配を広く進めるものを破壊していきました。
その結果政治がマーケットコントロールを放棄した結果起きたのは、中間層の没落です。
一部の人が富を独占する一方で、多くの人が貧困層に入ってしまったわけです。
「市場」における優位者ほど言い方は千差万別あれど、「市場は元からある」という趣旨のポジショントークを展開します。
しかし、「市場」を神と同列で扱うことなど不可能で、ルールは人間によって作られます。
その人間が良心的であればいいのですが、自分や自分の所属する団体たちに都合のいいものにしようと考える人間ばかりになったら何が起きるでしょうか。それが今の社会で起きていることです。
少しそれたので話を戻します。
今の新自由主義で大格差が作られると民主主義が破壊されるというのは先ほども引用した下記記事の最後からわかります。
https://oneboxnews.com/articles/voting-and-income-2019-2
ここで書かれていることに世帯所得と投票率に相関があると述べた上で、「ただし、所得が増えれば増えるほど投票率が上がるわけではない」と述べられているのです。著者の紹介する研究によれば、最貧困層にお金を配れば投票率は顕著に伸びたとあるのです。
つまるところ、人間は著しく貧困になると意識的か無意識的かはともかく政治に対する諦めを抱いてしまうので、最貧困層の所得を上げることこそが投票率を上げるということになるのです。
付け加えていうと、これは普遍的に言えるかは怪しいにせよ、投票率を減らしてしまう政治家は社会の下位層を増やしたということなのです。
投票率が下がり続けるのは社会の絶望的状態
しかしこう考えると突如現れた聖人君子が政治権力に救う悪人どもを蹴散らすような展開でもない限り社会の正常化は期待できません。
なぜなら、投票率が高くなりやすい経済的に余裕のある人たちが自分たちにとって都合のいいルールを作ると、貧困層がさらに増えるかもしくは貧困層の現状がさらに悪化するというスパイラルができてしまうからです。
今度の選挙でまた「戦後最低」を記録する可能性は高いでしょう。
そして、また社会の上層にとって住みやすい国へと変えられていく。。。。
もうどうしようもないわけですが、これをご覧いただいている方にせめて強調して起きたいのは投票率を下げ続ける状態はその時々の政治の失敗を表すものなのだということです。
「没落」という言葉が似合う国家となりましたね。