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ベストセラー批判

成功者が読書をするから読書をする人に言いたいこと

更新日:

世界のビジネスエリートは読書をどんなに忙しくてもやっている。

読書時間と社会的成功には相関性がある。

成功者になりたいのに読書をしないのは二流だ。

 

 

「成功者は読書をしている」

読書をする人も読書をしない人もこの言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

読書をしない人でさえ何となく「本を読んだ方がいい気がする」というある種強迫観念に襲われるのは「成功者が読書をしている」という言葉をどこかしらで聞いたことがあるからではないでしょうか。

 

ただ、少し落ち着いてください。

「成功者は読書をしている」と聞いて、ドキッとしてしまう人はここで焦らないことをお勧めします。

 

 

あらかじめ言いますと、おそらくこの手の「成功者は読書をしているんだぜというイデオロギーのもと読書をしている人」はロクな本を紹介してきません。今日はそのメカニズムについて書かせていただければと思います。

 

 

■「成功者は読書をしている」という考えの危険性

あらためてですが、今や読書という領域において「成功者は読書をしている」ほど多くの読書層を覆っている考えはありません。

そして、本自体が「成功者は読書をしている」という強迫観念を持った人向けに作られるという現象も起きているというのが私の考えです。

 

さて、なぜこの「成功者は読書をしている」という世界観から読書を始めることは危険なのかについて書かせていただきます。

平たく言えば、この考えを持つと「読書自体を楽しむ」ということができなくなるからです。

 

今は「目的を持って読書をしなさい」と「成功者」が言うもんですからそれが常識になりつつありますが、「成功するために」とか「目的をもって」本を読み始めると読書活動が空っぽになります。

 

おそらくこの話をすると「成功するために読書をする人」からは「では何のために読書をするのか?」と問い詰められるでしょう。

それに関しての私の反論はこうです。

 

「その質問自体がすでに成功するために読書をする人であることの証明だ」

 

「何のために」という問いは暗に「目的」の設定を行動にあたってどうしても必要としているということを意味しており、「目的」なくしてはいかなる活動も「無意味である」と宣言しているに等しいとも私には見えます。

 

言葉遊びはこれくらいにして、「目的」を持つことがなにやら良いとされる風潮は危険です。

純粋に目の前の活動を楽しむという当たり前のことを忘れ人生を空っぽにしてしまう可能性があるのです。

 

ハンナ・アーレントが『過去と未来の間』において近代批判を行うにあたり下記のように述べています。

近代世界においてますます深まりつつある無意味性を、おそらく何よりもはっきりと予示するのは意味と目的とのこうした同一視であろう。意味は行為の目的ではありえない。意味は、行為そのものが終わった後に人間の行いから必ず生まれてくるものである。

『過去と未来の間』ハンナ・アーレント(1994) みすず書房 p104

意味と目的を同一視してはいけません。

意味とは自らの行いの後から生まれてくるのです。

 

そのように彼女は述べています。

オルテガ・イ・ガセットというスペインの哲学者も下記のように述べています。

ところが、われわれは、そうした申し分なく充溢した自己満足の時代は、内面的に死んだ時代であることに気づくのである。真の生の充実は、満足や達成や到着に有るのではない。セルバンデスは、かの昔に「宿屋よりも道中の方が良い」と言っている。自己の願望、自己の理想を満足させた時代というものは、もはやそれ以上は何も望まないものであり、その願望の泉は枯れ果ててしまっている。要するに、かの素晴らしき頂点というものは、実は終末に他ならないのである。

『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット(1995)ちくま学芸文庫 p42

*セルバンデスというのは聖書の次に売れたとも言われる『ドンキホーテ』という著作の主人公です。

 

到着よりもそこに至るまでの「過程」を一つずつ楽しむことが偉大であり、到着ばかりに目を取られる認識のカテゴリーはあまりに悲惨な考え方だとオルテガは述べているのです。

 

 

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■まずやめるべきは「成功するために読書をすること」

さて、本題に戻ります。

結論としては「成功者になるために読書をする」なんてやめましょうということです。

その理由ですが、ここまでの議論を踏まえればご察しの通りかと思いますが改めて書きますと、「目的」のために読書を続けていくことはその読書自体は単なる「成功」のための手段となり、その活動自体の無意味性が著しく増大するからです。

 

 

なおそもそも論の話を少ししたいのですが、あなたの言う「成功者」は成功するために読書をしてきたのでしょうか。

もしかするとそういう人もいるかもしれません。だからその手のビジネス書や自己啓発書がわんさか出てくるのだと思われます。

 

 

ただ、私の思うに周囲をあっと驚かせるような「成功者」と言われる人は「純粋に読書を楽しんでいる」と思うのです。

あなたが「教養がある」と思う人が「男が30代ですべき40のこと」とか「一流の男はなぜ〇〇をするのか」といった類の本を読んでいるでしょうか。

 

むしろそういった目次を見れば答えがすぐ書いているような本ではない本を読んでいるのではないでしょうか。

そして、結果としてそこからビジネスにつながるヒントだったりを得ているのではないかということです。

例えば『論語』という本がありますが、「成功するために読む人」が結構います。

 

ただ冷静になって欲しいのですが、孔子はそもそもそのような考え自体を『論語』で戒めていないでしょうか。

金さえ儲ければ成功者という独善的な人間が「君子」ではないでしょう笑

 

繰り返しになりますが、成功するために読書をするのをやめましょう。

読書はそれ自体として楽しむ方が純粋に人生にとってもプラスだし、あなたの言うところの「成功」のヒントも見えてくると思います。(めっちゃ適当なこと言ってるように思われるでしょうけど)

 

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■読まない方がいい本

「成功者は読書をしている」というドグマから自らを解放してくださいというのがこの記事の趣旨でした。

 

さて最後に読まない方がいい本について書いて終わりにします。

あらかじめなぜこれを書くのかという「目的」を少し明らかにします。

 

 

それは、前述紹介しましたオルテガがどこかで言ったことなのですが、「過去は何をすべきかは教えてくれないが、何をすべきでないかは教えてくれる」という言葉は極めてまっとうな指摘だと私は思うからです。

 

あなた自身も確かに未来は予測できないが、次に何をしてはいけないかは過去が教えてくれると思ったことは少なくないのではないでしょうか。

 

その言葉に従って読むべきでない本当はどういう本かを考えましょうということです。

(*偉そうに他の記事で読むべき本を書いてますが、それはここまで書いてきた近代的な考え方を批判しているためです。矛盾しているではないかという指摘はご許しください)

 

 

さて読むべきでない本とは何かについて私の見解を書きますと、タイトルと目次だけで本の内容がほとんどわかるものですね。

なぜなら、これは「成功者は読書をしている」というドグマに汚染されている人をターゲットにしている本だからです。

 

 

いかに早くいかに合理的に読むかを考えて設計されている本なので、おそらく「読みやすい」と思います。

ただ、そのような本とおさらばすべきだというのが私の主張です。

 

本も空っぽですが、あなたも空っぽになってしまいます。

 

例えば、タイトルで「男が20代でやるべき〇〇のこと」という本があったとしましょう。

おそらく目次にすべて答えが書いているのではないでしょうか。二次会に行かないとかスーツはいいものを着るとか。

 

 

本文を読まなくてもだいたい中身が獲得できてしまう。特に考えなくても読めた気になってしまう。

あなたを随分となめくさっている本だと思いませんか。

 

 

この手の本はわざと書いている人も多いのでその人たち自体をアホだとは思いませんが、それにのめり込む読者は極めて危険です。

とにかくそのくだらない本を捨てましょう。

 

本日の記事は以上となります。

 

成功するために

金持ちになるために

 

本は読むべきではないということです。

 



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