全体主義について

アーレントが述べる悪の陳腐さとは何か

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トランプ大統領の登場をはじめとする世界中で起こるポピュリズム政治(日本だと小池百合子など)

無責任体質を明らかにした官僚機構

嫌韓・嫌中を筆頭とする排外主義

 

何か世の中がおかしくなっている気がする。。。。

そんな感覚を抱いている人は少なくないのではないでしょうか。

ただそれが目に見えないだけに何が問題なのか見えにくかったりします。

 

 

しかし、この時代の流れというのは今に始まったことではありません。

単に象徴的な出来事が起こっているだけですでに50年以上も前からこのおかしさは存在していました。

それを的確に予言していた人物がいます。

 

ハンナ・アーレントです。

 

ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』『イェルサレムのアインヒマン』といった労作を次々に出し、社会が壊れていく様を事細かに予言した人物です。

 

そういったアーレントブームが起きていることもあり今日は彼女がした予言の何が今の日本において当てはまっているのかを書いていこうと思います。

あらかじめ結論を述べますと彼女の思想の中でも有名な「悪の陳腐さ」です。

 

■アーレントが述べる「悪の陳腐さ」とは

さて今述べた「悪の陳腐さ」が今日の日本で当てはまっていると私が感じた理由があります。

その理由を書く前に「悪の陳腐さ」とは何かをまずは書かせてください。

 

「陳腐」とは辞書的な意味理解で問題ありません。

「ありふれていること」を意味します。

 

つまり、アーレントの述べる「悪の陳腐さ」とは「悪」というものがあまりに日常的にありふれてしまっているということを意味します。

 

実はこの発想、アーレント以前のいかなる人もが考慮もさえしなかったことでした。

『責任と判断』の一節で彼女は下記のように述べます。

ほとんどすべての哲学者は、悪とは単なる欠如であり、否定であり、規則からの例外であると考えてきたのです。プラトンにさかのぼる推論の最も危険で、最も顕著な誤謬は、「誰も意志して悪を為す人はいない」という命題が、暗黙のうちにその結論として「すべての人は善を為すことを望む」を含んでいると考えることです。しかし悲しいことに、善を為すとも悪を為すとも決めることのできない人間が、最大の悪を為すのです。

『責任と判断』ハンナ・アーレント(2016)ちくま学芸文庫 p328

ここでは何が書かれているかというとまず、アーレント以前の思想家はそのいかなる種類のものであれ共有していた前提があるということです。

その前提とは「すべての人は善を為すことを望む」です。

 

しかし、彼女自身もが持っていたこの前提はナチスのホロコーストを目撃することで崩壊します。

先の前提が成り立つならばホロコーストは起きませんからね。

 

 

どういうことかというとユダヤ人を大量虐殺する人類史上最大の悲劇とも言っていい現象をドイツではエリート階級までもが熱狂的に支持していたのです。言語道断で「悪」としか言えないものを社会階層の上下にかかわらず支持していたのです。

 

 

この体験を通してアーレントは何かこれまでには目に見えないがブレーキをかけていたものがぶっ壊れていると考えました。

というのも、ホロコーストを支持していた彼ら・彼女らは根っからの悪人ではないからです。

普段は家族思いの父親だったり、患者をいたわる医者だったり、真面目に働く青年だったりとごく普通の人たちばかりだったのです。

 

 

そんな普通の人がなぜ巨悪に加担してしまうのであろうか。この現象の理解にアーレントは頭を悩ませます。

考えを深めていくなかである一つの結論にたどり着きます。

 

それは、善を為すとも悪を為すとも決められない人間こそが最大の悪を為し得るということです。

これが有名な悪の陳腐さ(凡庸さ)というものです。

 

彼女は『イェルサレムのアインヒマンー悪の陳腐さについての報告』の中で大量殺戮の実行者であるアインヒマンについて次のように書いています。

犯された悪は極めて怪物的なものでしたが、その実行者は怪物のようでも、悪魔のようでもありませんでした。それでも過去の行為と、裁判及びそれ以前の警察での取調べの際に示した挙動から感じ取ることのできる特徴は、極めて否定的なものでした。

『イェルサレムのアインヒマンー悪の陳腐さについての報告』ハンナ・アーレント(2017)みすず書房

この悪の陳腐さという考えは今日を生きる我々においてもなお受け入れ難いかもしれません。

未だに悪人というのがどこかにいて悪さをしているというものはまだまだ根強いように思います。

 

もちろんそうした人がゼロとは思いません。

しかしながら、この世界を何か悪い方向に導いている力というのはほんのちょっとだけの人間によるものとは思えません。

それだけではそこまで大きく動くことはありえないのです。

  • 嫌韓・嫌中をはじめとするヘイトスピーチ
  • 嘘をつきまくる権力者に対する熱狂的な支持
  • 戦時中の日本の行為をすべて肯定的な解釈へと切り替え

などなど

 

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■あなたも悪魔になりうる

このアーレントの語る悪の陳腐さは残念ながら今日の日本でもたくさん見られます。

一例だけご紹介させてください。

 

その一例は今あげましたが、嫌韓・嫌中イデオロギーに熱狂する日本人です。

彼らを通して悪の陳腐さの恐ろしさを身近に理解することができると私は考えています。

 

 

それがわかるバロメーターのひとつに、嫌韓・嫌中で商売をしているケントギルバート氏の本の売れ行きを観察することが良いかもしれません。下記の本はかなり売れたようでアマゾンでのレビューもかなり高いです。

 

彼の本は何冊か読んだことがあるのですが、その著書の趣旨は日本人に受けそうなことが書かれています。

一言でいえば、彼の作品はすべてにおいて「中国や韓国を貶め日本を持ち上げる」という点で一貫しています。

他にもこの手の作家はいます。

櫻井よしこ、竹田恒泰、石平、百田尚樹などが有名です。

 

 

日本を持ち上げてくれる本というと結構批判するのはハードルがあります。

なぜなら日本を持ち上げてくれると悪い気はしませんからね。

褒めてくれる相手を批判するなど不適切とさえ思う人がいるでしょう。正しいと考えた方が楽に感じますしね。

 

 

しかし、外国を貶め日本を無批判に持ち上げる行為とは歴史検証とは言いません。そして健全ではありません。

例えば、彼を始め先にあげたその周辺の「保守論壇」と言われる人は次のような主張を繰り返します。

 

「日本はアジアの解放を手伝った英雄として尊敬されている」

「当時の中国や韓国は統治能力がなく日本がいなければならなかった」

「日本は学校を建ててあげるなど諸外国ではやらないようなことをたくさんやりとても一般的な植民地政策とは言えなかった。」

「慰安婦問題は相手はプロなんだから賠償など不要。韓国など相手にするな」

 

 

確かに、日本が他のヨーロッパ諸国に比べて残虐性の点でマシだったかもしれません。

確かに、日本が戦時中統治の後押しをしたかもしれません。

確かに、慰安婦はプロでお金をもらっていたかもしれません。

 

しかし、彼らの書く日本の戦中史は日本の蛮行をもはや何もなかったかのように方向付けようとしたり、日本に対する戦中の行為を批判する中韓を「反日国家」と叫んで仮想敵国としたりと異様です。

 

 

失敗を反省し、前向きになることは間違えではないのですが、反省をせずに前を向くことは不適切です。

戦後、山本七平、丸山眞男らが労作を通して全否定したことをまたやっているのです。

 

 

よくこの手の保守論壇は中国や韓国が「自国の都合のいいように歴史を主張している」というのですが、「それはお前らもだろ」と突っ込まざるをえないほど彼らの歴史認識はご都合主義的です。

 

さて、この問題の根深さは彼らだけではありません。

その一面的な歴史解釈を取捨選択せず、絶対化し支持する人たちの力なくして彼らもこの活動を続けられませんからね。

 

その支持者とは今日的に言えば「ネトウヨ」なのですが、彼らは中国や韓国をとにかく敵視するだけでなく、日本の過ちを指摘する日本人にさえ「朝鮮半島に帰れ」「在日のスパイ」「反日」などと薄汚い言葉を吐きすてるわけです。

 

こういった言論はすでに広範に見られるためあなた自身見たことがあるでしょう。

 

 

さて、ここで悪の陳腐さに話を戻します。

今述べたこの薄汚い言葉を吐き捨て自国に都合のいい歴史観だけを支持する人たちというのは「根っからの差別主義者」や「暴力を生業とするかのような傾奇者」ではありません。

彼らの差別的発言以外の日常を見ていけばごくごく普通の人ばかりなのです。

 

ただ、この「善悪の判断をつけようと思考しない人」は極めて危うい人たちなのです。

こういった判断がつかない人が過激な発言や行動をエスカレートさせていったのがそれこそ戦時中の日本なのですから。

 

長くなりましたので何を言いたいのかをまとめます。

悪の陳腐さはナチスのホロコーストの実行犯であるアインヒマン裁判で終わったものではありません。

それどころかあれを機に世界中のいたるところで当たり前に見られるようになったということです。

始まりでしかなかったということですね。

 

そして、その例に日本ももれません。

日本だけは特殊でバカなことをしないなんてことはないんです。

 

昨今愛国心というものがどうも勘違いされています。

自分の国家を無批判に賛美し、それに都合の悪いものを敵とみなすことが愛国心の証とされているようです。

しかしながら、批判なきところからは何も良いものは生まれません。

 

集団催眠状態に入ればそれはカルトなのです。

愛国心。完全な愛以外の愛ならば持ってはならない。国家は、完全な愛の対象となることができない。だが国ならば、永遠の伝統を担い続ける場所として、愛の対象となることができる。どんな国でもそうなることができる。

『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ(1995)ちくま学芸文庫

 

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■アーレントがこだわった「思考」とは何か

アーレントは悪の凡庸さから逃れるためにどうすべきと考えたか。

それは、「思考」によって唯一逃れられると述べました。

ただ、アーレントのいう「思考」は一般的なイメージとは少し異なります。

 

もちろんアーレントのいう「思考」には独居による己との対話も含まれます。

しかしながら、アーレントの考える「思考」の定義には他者との対話まで含まれます。

 

要するに多様な言論に触れなさいということです。

 

特定の視点からのみ歴史を解釈したり自らの国を捉えたりすることは悪の凡庸さへと導くことは昨今の嫌韓・嫌中イデオロギーを見ればわかるはずです。

 

日本をただ持ち上げていれば良いというのは全くもって健全ではありません。

 

時に自分たちにとって都合の悪いことや耳の痛いことにまで目を向けていかなければ思考停止は完成するのです。

最後に日本人を批判した著名な方々の本をリストアップして終わりといたします。ご覧いただきましてありがとうございました。

 

下記はアーレントの代表作です。

 

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