フォローする

8月8日より著書を書店にて発売中

世の中一般について

世の中がどうもおかしいんだけど何で

更新日:

どうも世の中がおかしい

 

そう感じながら生きることというのは容易ではありません。

ただ、一度思ってしまうと抜け出せなくなってしまうものです。

 

 

四六時中「世の中がおかしい」と思って生きざるをえなくなるものです。

 

かくいう私がそうで、もう街を歩いているだけで息が苦しくなるほどに「世の中がおかしい」という感覚の連続を生きています。

 

そんな中、いろいろな本を読んでいくと、同じように世の中がおかしいと思いながら生きていたという人が昔にはたくさんいるということを知りました。

 

そして、興味深いことにその人たちというのは大筋で同じことを言っているわけです。

今日は私なりに世の中がおかしい方向に行き始めた理由を書いてみました。

 

■目次

階級社会の崩壊
大衆社会化
我々の唯一の行動原理となったもの

■階級社会の崩壊

世の中がおかしい状況になった理由の一つに多くの思想家があげるものがあります。

それが「階級社会」の崩壊なのです。

 

「階級」というとおそらく「ない方がいいもの」という認識をお持ちの方が多いでしょう。

ですからこれがない方が世の中がいい方向にいくはずだと考えがちです。実はかくいう私も長らくそういう解釈を持っていました。

 

ただ、この「階級」という概念をもう少し広い意味で捉えるとその必要性がわかったのです。

広くとらえた意味での階級とは「なんらかの共通の利害で結ばれていること」くらいがちょうどいい表現かもしれません。

 

この定義自体は、ハンナ・アレントの『全体主義の起源3』にわかりやすい箇所があったため引用します。

大衆は共通の利害で結ばれていないし、特定の達成可能な有限の目標を設定する個別的な階級意識を全く持たない。「大衆」という表現は、人数が多すぎるか公的問題に無関心すぎるかのために、人々がともに経験しともに管理する世界に対する共通の利害を基盤とする組織、すなわち政党、利益団体・・・・労働組合・・・などに自らを構成することをしない人々の集団であればどんな集団にも当てはまるし、またそのような集団についてのみ当てはまる。

『全体主義の起源3』ハンナ・アレント(1974)みすず書房 p10

 

郊外などにお住いの方だと、今なお組合組織というのはなんらかの形で残っていることがあるため実感として薄いかもしれません。

 

しかしながら、過去と比較した時にアレントが述べたような「共通の利害で構成されている組織」というのは世の中一般として明らかに衰退しています。

 

この特定の利害で結びついた中間組織の崩落こそが世の中がおかしい方向に言っているというのが多くの思想家の指摘なのです。

 

 

アレントだけの特異な指摘ではありません。

近代社会の勃興とともにいち早くこのことに気づいたセーレン・キルケゴールという哲学者も著書『現代の批判』で以下のように述べています。

しかし、一塊となっている個々人にイデーというものがなく、また個人個人が別々に本質的に内面に向かってもいない場合、その時、野蛮が生まれるのである。

『現代の批判』セーレン・キルケゴール(1981)岩波文庫 p13

イデーは「利害」と訳すにはやや暴力的ではありますが、共通の理想くらいに解釈してもそこまで趣旨は変わらないと考えています。

 

キルケゴールが言っていることは一つです。

特定の理想や利害がない人間が生み出されるとともに社会は野蛮になるということです。

 

目次にもどる

■大衆社会化

この「階級社会の崩壊」とともに現れたのが「大衆」という人たちです。

この「大衆」という言葉はそれを述べる人々によって解釈の異なる語彙なのですが、キルケゴールのコンテクストを尊重すると、「特定の利害に基づいた組織に一切所属しない孤立した個人」のことを指します。

 

ですから、物理的に同じ場所に多くの人が集まっていたとしても利害で結びついていない場合には「孤立した個人の集まり」と考え、これらを大衆と呼称するわけですね。

 

その公衆という抽象物は、同じ時代の、ある状況あるいは組織の中に統一されることが決してないし、また決して統一されえない、にもかかわらず一つの全体だと主張される、非現実的な諸個人から成り立っているのである。

『現代の批判』セーレン・キルケゴール(1981)岩波文庫 p74

 

で、ここからが世の中がおかしい状況になっていく本質となります。

この「大衆」なる孤立した個人の集合は「社会に対する特定の利害」を持っていないため「何をしでかすかわからない」という側面を持っています。

これをオルテガという哲学者が非常にわかりやすい例をあげて、我々に示してくれています。

 

飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである。この例は、今日の大衆が、彼らを育んでくれる文明に対してとる、一層広範で複雑な態度の象徴的な例といえよう。

『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット(1995)ちくま学芸文庫 p82

飢饉に際しては、パンを求めて行き惑うはずが勢い余ってパン屋を破壊してしまうということをオルテガは述べています。

ここで彼は何を言おうとしているのかは非常に興味深いポイントです。

 

これは、我々が大切にすべきであるはずのものを自らでもって破壊してしまう大衆という生命体の愚かさを指摘しているのは間違いないでしょう。

 

よく最近小池百合子が「しがらみのない政治」ということを述べています。

あれを聞いて感化される人が多いようですが、どうなんでしょう。

 

「しがらみがない人」というのは何をしでかすかわからないという風にはあの人は考えられないみたいですね。

じつは利害対立の存在こそ、性急な決断を下したいという誘惑に対して、健全な歯止めを提供する。

『フランス革命の省察』エドマンド・バーク(2015)PHP研究所 *kindle番のためページ割愛

 

「スピード感のある政治」「既得権益の打破」「岩盤規制の破壊」

 

最近の政治家というのは言ってることが突き詰めれば上のようなことばかり言っているわけですが、これは「中間組織の破壊」と「大衆社会化の推進」を宣言しているんです。

 

だから「一院制」「道州制」「TPP」など伝統的な国柄を破壊しようという政策ばかりが共通して出てくるわけです。

ただ、そのような「効率」を求めることが実は秩序破壊に加担していると私は強く感じます。

 

オルテガが述べたような飢饉に際して、「パン屋を破壊してしまう」ような人を量産してどうするのでしょうね。

 

目次にもどる

■我々の唯一の行動原理となったもの

今は、衆院選挙が近いということもあり政治を例にあげましたが、日常に当て込んで見ても、自分にとって「守りたいもの」や「守るべきもの」がない人がとてつもないことをやらかすというのはよくあることです。

 

ここまでをまとめると、階級社会の崩壊と大衆社会化の急速な進行とともに、「自らがよって守るべきものがない人」で溢れていることを述べてきました。そしてこのことが世の中をおかしい方向に向けていると。

 

ただ、ここでおそらくわく疑問があると思うのです。

自らの利害がなくなるのであれば「全く行動しない」か「動物的本能に忠実になるだけ」ではないかと。

 

 

ここに関しては難しいところです。

事実、キルケゴールやニーチェと言われる天才たちも大衆人が上記のようになると予測していた節があるからです。

しかしながら、実際にはこれに留まらない行動原理で動く部分があるとハンナ・アレントは述べたんですね。

 

その行動原理とは「何かしらの論理」だと彼女は述べます。

つまり、あらゆる行動原理が破壊されたとしても人間は社会で生きていく上で、秩序めいた何らかの行動原理を求めるということです。

・・・少なくともヤーコブ・・・ニーチェ以後は、デマゴーグと軍事的独裁・・・について・・・準備ができていたはずである。これらの予言は今やすべて現実となった。しかしたいていの予言がそうであるように、それらは預言者が予期しなかった仕方で実現したのである。彼らがほとんど予見していなかったこと、もしくはその本来の結果について正しく見通せなかったことは、徹底した自己喪失という全く意外なこの現象であり、自分自身の死や他人の個人的破滅に対して大衆が示したこのシニカルな、あるいは退屈仕切った無関心さであり、そしてさらに、抽象的観念にたいする彼らの意外な嗜好であり、何よりも軽蔑する常識と日常性から逃れるためだけに自分の人生を馬鹿げた概念の教える方にはめようとまでする彼らのこの情熱的な傾倒であった。

『全体主義の起源3』ハンナ・アレント(1974)みすず書房 p21

 

「みんなが同じ認識を持っている」ということ自体が孤立した個人にとって「安心感」ともなれば「幸福感」ともなるということですね。

 

ただ、これが大きな罠であるわけです。

具体化していく過程でその共通認識が「デマ」だったり、「嘘」だったり、荒唐無稽なものだったりするわけですね。

要するに誤った論理を作り出し人々を意図的に間違った方へ先導する人がいるということです。

内容がいかに荒唐無稽であろうと、その主張が原則的にかつ一貫して現在及び過去の拘束から切り離されて論証され、その正しさを証明しうるのは不確定の未来のみだとされるようになると、当然にそのプロパガンダは極めて強大な力を発揮する。

『全体主義の起源3』ハンナ・アレント(1974)みすず書房 p71

中身がないものであってもよるべき思想のない人には力を持ってしまう、そう指摘するアーレントは最も時代の危機に向き合った誠実な人物かもしれません。

 

まとめます。

ここまで見てきていただいてご理解いただけたと思いますが、世の中がおかしい理由に対する賢人たちの共通理解は一つです。

伝統的に育まれてきた行動原理(常識)の破壊です。

つまり、過去に対する軽薄さが自らの行動原理を破壊するという自殺行為を生み出し、自らを苦しめているということですね。

 

「21世紀は常識に縛られていては生き抜けない」みたいなビジネス書が流行ってるみたいですが、常識を壊してどうするんだっていう話です。

 

我々の常識を逸脱したところにイノベーションは起きないですし、自らの伝統的な行動原理こそ特異で、イノベーションを起こしうるのではないでしょうか。

 

 

以上、簡単ではありましたが、私の考える世の中がおかしい理由でした。

なかなか難しい問題ですが、自分がおかしいのではないかと思い詰めないことをアレントは助言していましたので、これを読んでいただいた方も自分を苦しめることなきようお願いします。

 

 

 

目次にもどる

読書会を大阪とスカイプで開催しています。

-世の中一般について

Copyright© 悲痛社 , 2023 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.