「仕事に行きたくない」
世の中にはそのように考える人が少なくないようです。
私がそのことに気づいたのは、グーグルの検索エンジンで「仕事に行きたくない」という趣旨の入力を調べていた時のことです。
下記をご覧ください。2011年頃から以降一貫して増えているのです。
なぜこの頃から爆発的に「会社に行きたくない」という趣旨の検索が増えたのでしょうか?
要因について、私の妄想の域を出ませんがスマートフォンの普及という仮説をあげたいと思います。
妄想の域は出ませんが、おそらくスマートフォンが爆発的に普及し始めたのが2011年頃から、人々にとってインターネット(グーグル含め)が極めて身近なものとなりそこに何気なく打ち込まれる心情を集計できるようになったということが考えられます。
「携帯電話・スマートフォン“個人利用”実態調査2014」より(日経BPコンサルティング)
実際、上にあるように年をおうごとに爆発的に普及率が高まっています。
2017年現在だとさらに普及率は高いでしょう。
多くの人の率直な気持ちを今までにないくらいに把握できるようになったというのはあまり語られないグーグルの大きな貢献かもしれません。
それはさておき、つまるところ、グーグルは「仕事に行きたくない」と考える大量の人々を表面化してくれたのです。
しかしながら、人生において最も長い時間を費やすと言ってもいい仕事が後ろ向きなものでしかないというのは悲劇ですよね。
前置きはこれくらいにしましょう。
いよいよ本題です。
これほどまでに仕事に対して多くの人が後ろ向きになる要因はどこにあるのでしょうか。
一般的には2つの見方が有力かもしれません。
一つ目が、「今の若者はガッツがない」といった個人の精神に起点をおいたもの。
二つ目が、「政府がだめだからだ」といった政治に転嫁するもの。
これらはおそらく一部は正しいでしょう。
ただ、それだけではないと私は考えています。
今日は、仕事に行きたくない人が続出してしまう第三の理由について述べられればと思います。
■目次
▶仕事に行きたくないと感じる第三の理由
▶「生産性」という言葉のミスリード
▶良い会社に共通する点
■仕事に行きたくないと感じる第三の理由
早速ですが、仕事に行きたくない人が増える第三の要因をここでは書きます。
まず結論から述べます。
仕事に行きたくない人が増える要因は、企業(株式会社)が内在的に持っている合理主義的イデオロギーの強度に求めることができます。
順を追って見ていきましょう。
現代において主流的でもある株式会社にとって最も大事なことは何でしょうか。
それはいうまでもなく「より安いコスト(賃金)でより多くの付加価値を生み出せること」(利益を出すこと)です。
「従業員が楽しく働ける」「従業員は楽して高い給料がもらえる」「家で寝ていようが給与を支払う」といったトピックは次点に来ようとも絶対に最上位に来ることはありません。
なぜなら、それが一番上に来た場合、事業が潰れ結果的に他の項目は満たせなくなるからです。
「何を当たり前のことを」といわれそうですね。
ただ、この会社という箱が持つ基本原理が多くの人を「仕事に行きたくない」という気持ちへと駆り立て得ることを我々は再認識する必要があります。
つまり、功利主義的イデオロギーは強化されるほど、働く人々への「いたわり」「気遣い」をブルジョアは見失う可能性が高まるのです。
カール・マルクスはこの資本主義に内在するイデオロギーの恐ろしさを見抜いていた数少ない一人でした。
彼は、恐ろしさの一端を「賃金決定」のフェーズにおいて確認できると述べています。
賃金を決定する際の、これだけは外せない最低限の基準は、労働期間中の労働者の生活が維持できることと、労働者が家族を扶養でき、労働者という種族が死に絶えないこととに念頭が置かれる。通常の賃金は、アダム・スミスによれば、ただの人間として生きていくこと、つまり、家畜並みの生存に見合う最低線に抑えられている。
『経済学・哲学草稿』カール・マルクス(2010)光文社古典新訳文庫
ここでマルクスは何を言っているのか。
彼によると、賃金とは「儲け」を生み出す手段である「労働力」が死滅しないところをラインに決定されると述べています。
功利主義が内面にもつイデオロギーが徹底されるほどこの境界はより厳しいところに引かれます。
おそらくこういう話をすると、一定以上の人が「当時と今とでは時代が違う」「さすがに言い過ぎではないか」と批判するかもしれません。
確かにおっしゃる通り、一概にすべての人に適応できるものばかりではないでしょう。
マクロ的に見れば産業革命当時の労働環境より現在はかなり改善されているのは間違いありません。
ただ、死に物狂いで働いても微々たる賃金しか得られない人がかなり増えて生きています。
しかも社会背景的にもグローバル化の進展とともに市場競争が激化し、マルクスの述べたことは遠ざかるどころか、よりリアリティを増しているようにも見えます。(競争激化による功利主義哲学の強化)
そうなれば、利潤を出すこと以外のことはますます後回しになり劣悪だろうと何だろうと御構い無しの世界に近づきます。
荒んだ世界がそこにはあります。
仕事に行きたくないというほどに苦しむあなたの状況は「気合が足りない」だけでは片付かないというのが私の立場です。
■「生産性」という言葉のミスリード
事の本質に近づいてく前に少しだけ寄り道をさせてください。
あなたを幸せいっぱいにするかのように見えて、実は欺いている「生産性」という言葉について少しだけ。
最近、「生産性」という言葉が話題です。
「日本企業は生産性を高めなければならない」という議論は本当に盛んで、経営コンサルタントあがりのオピニオンリーダーが好んで多用しています。(代表的なのが大前健一氏、伊賀泰代氏、竹中平蔵氏など)
何かあれば「生産性!」という時代なのです。
ただ、この「生産性」というのは多くの人々にとってはミスリードである可能性を指摘したいと思います。
つまるところ、極端な話、あなたが仮に生産性を上げたとしてもあまり状況は変わらないということなのです。
「生産性」をあげれば万事解決するかのような印象を受けている方もおられるかもしれませんが少し冷静になりましょう。
いわゆる経営コンサルが「生産性」という言葉を使うときそれは往々にして(企業視点での)功利主義的イデオロギーを前提としています。
それは極論「個人の生産性向上」は「個人の幸福度への寄与」に何ら連動しないのです。
もちろん一部還元されるケースもあるでしょうが、それは稀です。
むしろ労働力の価値が下がることの方が一般的です。
これは具体例を考えればわかります。
例えば、あなたがパン屋で製造工程に入ったとしましょう。
今まで1時間で100個パンが作れていたところ150個作れるようになりました。
さて生産性は上がりましたが、あなたはお金もがっぽり儲かって幸せになったでしょうか。
そうなる可能性は少ないでしょう。
時給は数十円程度上がるでしょうが、おそらくそれ以上何もないでしょう。
しかも、見方によっては自身の交換価値を喜んで安売りしたとも言えるのです。
こういった逆転現象は、賃金というものの性質が一般的に理解されているものとは異なるが故におきます。
マルクスによれば、賃金とは、「商品が販売された結果生じるもうけの分け前」ではなく、あくまで「既存の商品の一部」として組み込まれているものであり、これを理解した時「生産性」の欺瞞に我々は気づきます。
それゆえ賃金は、労働者によって生産される諸商品に対する労働者の分け前では無い。賃金は、資本家が一定量の生産的労働を買うのに用いる既存の諸商品の一部なのである。
したがって、労働は、その所持者である賃労働者が資本家に売る一個の商品である。どうして彼はそれを売るのか?生きるためである。
『賃労働と資本』カールマルクス(2014)光文社古典新訳文庫
■良い会社に共通する点
さて仕事に行きたくないというあなたがこれからどうすべきかについて今までの内容を踏まえて最後に少しだけ考えましょう。
ここまでかくとわかるかもしれませんが、私の考える良い会社の条件というのは、「功利主義哲学」の徹底に歯止めがかかっている会社だと思っています。
今や「日本は早く成果報酬に移行しないとグローバルの競争に取り残される」という議論は盛んで、終身雇用や年功序列といった制度は諸悪の根元のように扱われています。
ただ、本当に「成果主義」「実力主義」を貫徹することがいいことなのでしょうか。
それは「イメージ」という可能性はないでしょうか。
例をあげましょう。
一般的に日本は「イノベーションが起きない国」などとビジネスリーダーたちに誤った誘導をかけられています。
しかし、一つの事実として意外にも日本は特許申請でアメリカより上です。(特許の質はともかく)
他にも長期勤続を前提にするためノウハウの継承などが相対的にうまくなされます。
全員が個人事業主のような組織の場合、全員がライバルですからほとんどノウハウは蓄積されません。
(某保険会社などを想像してください。)
日本の伝統的な雇用形態に問題はあるかもしれませんが、必ずしもアメリカ型の経営をやっていたりベンチャー企業だから良いというものでもありません。
成果主義を導入して荒んだ環境になった会社は山のようにあります。
この辺りはロナルドドーアという親日家が「構造改革」「自由化」に突っ走る日本にあてた『幻滅』という本を読んでいただけると幸いです。
それはともかく、もし現状が冷静に見てみておかしいのであれば、その構造から抜け出すということも考えても良いかもしれません。