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コミュニティ

自己責任論が蔓延する社会の問題点について

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  • 大学に行きたいけど行くお金がない?バイトして行けばいいじゃん。
  • 会社をクビになりそう?自分の稼ぐ力がないからだよね。
  • 年収が400万からあがらない?自己責任でしょう。
  • 昔は貧乏だったが東大に努力で上がり今会社を経営している。できないやつは結局自分が悪いのだ。

 

今や多くのエリート階層から飛び出してくる「自己責任論」ですが、この問題点が提起されるどころか日に日に発言力は増しています。

特に会社経営者や個人投資家、弁護士等々の経済的にも社会的にも力を持っている層には「自己責任論」というのは非常にお気に入りのロジックのようで、理不尽なことを言っているといったような感覚すらないように私には見えます。これは実に論理的に明快で正しさに満ち溢れていると言わんばかりに。

 

 

さて、この「自己責任論」が蔓延する社会には数年後数十年後の社会崩壊を予期させるものがあると述べた書籍があります。

本日はそちらを紹介しながら「自己責任論」の問題点をあげます。

 

「自己責任論」が深いレベルで意味していること

まず、わたくしの基本的な考えの立場を述べておきます。

 

この何気なくかつ悪気なく展開される『自己責任論』ですが、これに対して「そういうことをいう人が世の中にはいるものだ」という捉え方をするのは正しくないと考えています。

 

もちろん、個々人の人としての「冷たさ」は問題点ではあるものの個人に目を向けていて本質的な問題点に近づけるかというとそうはいきません。

 

 

そうではなく、「社会全体としてこうなっている」から『自己責任論』が正当化されやすくまたそれが恥ずかしげもなく一部の人から披露されるのだと考えてみることが重要です。

『資本主義はどう終わるのか』という本はまさにこの角度から『自己責任論』を見ています。

 

著者であるシュトレークは『自己責任論』が流行するメカニズムとして社会秩序の崩壊をあげています。

秩序崩壊時代の社会生活は必然的に個人主義的である。集団的制度が市場の力に侵食され、アクシデントがいつ起こってもおかしくないにもかかわらず、それを防ぐための集団的組織は失われている。誰もが自分を守ることに汲々とするようになり、社会生活の基本原則は「自助努力」になる。

『資本主義はどう終わるのか』ヴォルフガング・シュトレーク(2017)河出書房出版 p58

これはどういうことか。

 

端的に言えば、『自己責任論』というものは社会秩序の崩壊と歩を合わせるように勢力を増しているのだということです。

急にある人間が言い始めたというわけではないということです。(当たり前っちゃ当たり前ですが)

 

 

言い換えるならば、『自己責任論』とはただただ現状を追認し、現状の秩序が崩壊する様子を呆然と目の当たりにしているだけなのです。

 

 

 

この考えには「諦め」や「怠惰」があるといってもよく、ただただ現状起きている社会秩序の崩壊に対して「そうなるしかないよね」と言ってるだけなのです。

 

これを「頭がいい人の意見」「世の中が見通せている人の意見」として取り上げることがどれほど愚かであるかは言うまでもありません。

 

 

ちなみに、これがしっくりこない人は「人間」というものに対する捉え方を変えてみたほうがいいかもしれません。

ジョージ・ミードは『精神・自我・社会』という著書で人間の精神や自我は社会によって形成されているということを述べましたがまさにこの視点で物事を観察することが重要なのです。

 

 

エリートの劣化が問題点

ここでさらに話を進めます。

 

この『自己責任論』というロジックを振りかざす社会的エリートに大いに問題があるということです。

 

彼ら・彼女らはこれまでのエリートが担ってきた役割を放棄し、自らが無能であることを棚上げにして現状をポジティブに解釈しろとDVさながらの論法を展開しているのです。

 

 

実際、今日本では「終身雇用維持できまへーん。給与も上げられまへーん。でも少ない給料でたくさん働いてほしいでーす。それで足りない分は副業で稼いでくださーい」といったような声が民間から飛び出せば「年金はらえまへーん。国民健康保険も維持できまへーん。生活保護減らしまーす。税金はたくさんとりまーす」といったようなことが官から飛び出してきます。

 

 

地獄でしょう笑

 

こういった状況を野放しにしておきながら「大衆はのろまで、ばかで、生産性も低く・・・」とのたまわる今のエリートは相当程度劣化していると言わざるを得ません。

お前らが無能だから云々といいたくなります。

 

 

ところで、少し話がそれますが、オルテガの『大衆の反逆』という本がありますがこの本について少し触れさせてください。

この本は、大衆という「社会階級や秩序の崩壊とともに誕生した何にも縛られない孤立した個人たちの集まり」をやり玉にあげて批判的にとらえた本です。

 

 

大衆は「甘やかされた餓鬼ども」(spoilled children)であるというオルテガのするどい批判は、周囲の馬鹿さ加減に辟易としていたエリートや保守層と呼ばれる人にとって歓迎されるものでした。

 

確かにオルテガの言い分には一理も二里もあります。だからこそ説得力があるわけで、それ自体を否定する気はありません。

 

 

しかしながら、大衆をバカにして大衆の問題点ばかりをやり玉に挙げるというのは問題の本質を見落としはしないかということを指摘せずにはいられません。

 

 

 

エリートが自らのだらしなさ、無能さ、危機になったら自分のことしか考えない無責任さを棚上げしていることは黙認していていいのかと。

 

大衆がバカでのろまでも社会が回るようにするのがエリートのあるべき姿であり、そもそもそういった人を「エリート」と呼んできたはずではないのでしょうか。

 

 

「これからは海外に移住だ」「日本はもうだめになるから海外で稼ごう」などと叫び、周囲を切り捨てるだけの発言しかできない人間を「社会的成功者」「エリート」と祭り上げる現状についてどうも私には承服しかねます。

 

「心理学」もどきに騙されてはいけない

結局今現在勝利したのは「心理学」なのかもしれません。

 

なぜならば、「自らがうまくいかないのは自らの気持ちの問題」であるし、「自らがうまくいくのは自らの気持ちのおかげである」と考える人が非常に多いからです。

 

すべての問題は気持ちの問題であると。

 

もちろん、この「心理学」というのはちゃんと心理学を学ぶものからしたら「心理学と呼ぶに値しないもの」でしょう。

何か統計的に調査をして裏付けたものでもなければ、実験をしたものでもありません。

 

 

しかしながら、これはわたくしの持論でもありますが、アドラー心理学みたいなのが流行るのをみていると『自己責任論』の学問化がすすめられているように思います。

なんちゃって心理学を学ぶことでこの厳しい社会を生き抜くことができると教える本は最近多いという指摘に共感いただける人も多いでしょう。

 

もしあなたが、『自己責任論』の問題点を隠蔽し、それをむしろ「チャンスだ」「個人の時代の到来だ」と現実社会の解釈を捻じ曲げる心理学もどきに誘惑されているならばそれはいますぐに学ぶことをやめていただきたいと思います。

 

あなたに余力があるならば、バカでのろまかもしれない大衆を救うためにその能力を動員してほしいと思います。

読書会を大阪とスカイプで開催しています。

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