「古典を読んだ方がいいよ」
「社会人たるもの古典読書で研鑽をせねばならぬ」
「読書って古典読んだらいいっていうけど、古典ってどんなやつ?」
読書をするようになり、そういう人がいるところに行くとよく言われる一言です。
ひょっとすると「古典古典ってじじくせえな」と思う方もいるかもしれません。
しかしながら、少なからず「長く残っている」ということはそこに対してある一定の「価値」があるとみるのは妥当だと私は思います。
しかし、一口に「古典」と言っても色々なものがあります。
そこで、どんな古典を読んだらいいのだろうかと思う方にぜひ読んでいただきたいリストをご紹介したいと思います。
Contents
古典読書で絶対に押さえておきたいランキング100
どういう本を読むべきなのだろうかと考えたときに手に取ってもらいたいリストがあります。
それは知る人ぞ知るものではあるのですが、『Googleが選ぶ20世紀の名著100選』というものです。
http://www.acrographia.net/notes/google%20best%20100%20books.pdf
「そんなの知ってるよ」という方はここで離脱していただいて構いませんが、古典読書界隈ではそこそこ有名なリストです。
こちらはどういうリストかと言いますと、Googleのアルゴリズムが自社の論文検索サイトにおいて引用されている回数の多い古典を上から順にランキング表記したものになります。
*20世紀に作成された著作に限定されている点に注意が必要ですが
さて、このリストを使って本を選ぶことがどの点で優れているのでしょうか。
同サイトでは次のように述べられています。
被引用数でランキングを作ることの最大の長所は、著作の影響力についての客観的な評 価ができる点である。この点は、このランキングが誇ってよい強みである。出版社や書店 でも、「20世紀の名著」と称して本のリストを作ることがあるが、これらのリストは、お そらく数人の読書家や知識人が集まって決めたものであり、どうしても取りこぼしや選考 委員の専門分野への贔屓が除外できないだろう。
同サイトより
端的に言えば、リスト選定の過程で特定の私情や誰かの権威に傾倒するといったことが起こらず、純粋に広く参照されている点を上から並べられている点が優れているというのです。
つまり、多くの論文からはじき出された比較的偏りの少ない古典リストなのです。
ちなみにベスト10の作品は下記になっています。
1位:トーマス・クーン『科学革命の構造』
2位:ジョン・ロールズ『正義論』
3位:ダグラス・ノース『制度・制度変化・経済効果』
4位:ロバート・パトナム『哲学する民主主義』
5位:ロバート・アクセルロッド『付き合い方の科学』
6位:マンサー・オルソン『集合行為論』
7位:エリ・ヴィゴツキー『Mind in Society』
8位:ロバート・パトナム『孤独なボウリング』
9位:ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン『レトリックと人生』
10位:アーヴィング・ゴッフマン『行為と演技』
これを見て「知ってる知ってるう」「アマゾンでポチったわ」と興奮する人はどのくらいいるでしょうか。
おそらくあまりいないかもしれません。
それに、「古典」というともっとニーチェとかカントとかそういうのがくんじゃねえのと思われた方も多いことでしょう。
もちろん「哲学」に関する著書もこのランキングには登場します。(ハイデガーなど)
しかし、このランキングの特徴でもあるのですが、純粋な哲学ジャンル以外も登場するのです。
さて、このgoogleのアルゴリズムがおすすめしてくれている古典を一つでも多く読みましょうというのが私の問いかけになります。
しかし、ここで多くの人が抱くであろう疑問について言及させてください。
それは、これらの古典が「読めばいい本」なのは間違いない中で、どうしたらこれに我々のようなパンピーが興味を持てるのかという点です。
このリストの中で平易かつ身近なトピックを扱っている書籍(個人的なオススメ)
そこで、と言っては何ですが、このリストの中で我々の身近な興味から手に取り読んでみたくなるような内容のものを私なりに3冊選ばせていただきました。
この3冊を足がかりにその他ランキングに記載のものを読書活動に取り入れていただくことを推奨いたします。
ランキング8位:ロバート・パトナム『孤独なボウリングー米国コミュニティの崩壊と再生ー』
こちらの著作は、ボウリングについて書かれた本ではありません。
ボウリングクラブをその象徴としつつ「コミュニティの崩壊」を描いた著作になります。
昨今は「これからはフリーエージェント社会の到来だ」「自分で稼ぐ力をつけよ」「日本企業は解雇規制を緩和せよ」などのテンプレ化された言葉が飛び交うようになりました。
これを「抑圧からの解放」という文脈で捉える人が増え、あらゆるコミュニティを「煩わしい」と感じる中で極めて「暑苦しい」本に見えるかもしれません。
しかしながら、そういった考えに啓発されている方こそ、パトナムによる共同体の崩壊について記されたこの古典を手に取っていただきたいのです。
コミュニティの衰弱は何をもたらすのか非常に興味深い研究が示されています。
個人的には、一見無関係に見える「経済的生産性」すらもがコミュニティを軽視すると落ちるという指摘は私に取って眉唾でした。
ランキング11位:ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『青色本』
いかにもタイトルからして興味が湧かない本かもしれません。
こちらは「言語哲学」というジャンルの書籍で、ヴィトゲンシュタインという人物が「言葉とは何か」について記した古典になります。
我々がこれを使うことなくしては社会生活を営むことすらできないものなわけですが、その性質に対する我々の思い違いを解き放つ一冊です。
しばしば我々はそれぞれの言葉に対して「ある独立した意味を持っている」と考えがちです。
だから、全ては辞書で検索したり、googleで検索すればわかると考えてしまうのです。
しかしながら、ヴィトゲンシュタインによれば言葉にはあらかじめ不動の意味など存在しません。
ヴィトゲンシュタインの考える言葉というのは「ゲームのようなもの」なのです。
この言葉が意図するのは、そこに参加する面々により常に言葉は意味が変動するということです。
これはトランプのジョーカーをイメージしてもらえばいいかもしれません。
ジョーカーは大富豪をするときには「欲しいカード」になりますが、七並べやババ抜きでは「最も不要なカード」になります。
これを決めているのは何かと言えば「ジョーカー」自体ではありません。
ゲームのルールです。このルールを決めているのは誰かといえばそこに関わる人たちです。
ここに書いたのはもちろん一例で、その他にも同著では言葉についての興味深い指摘が多数あります。
「言葉」についての素朴な疑問を広く探求できるものです。
ランキング28位:マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』
最後は、マイケル・ポランニーの暗黙知の次元です。
「暗黙知」って何やという話をする書籍です。
「暗黙知」というといまいちピンとこないかと思いますが、この古典は「我々が言葉にする以外のことでどれほど多くのことを判断しているか」ということを書いている書籍です。
これは例を挙げると、ニッチローがイチローのフォームを完璧なまでに真似をすることができてもメジャーリーガーになれないことに近いものがあります。
ニッチローはおそらくイチローの打撃フォームをマニュアル化することに成功しています。しかしながら、イチローが無意識に行なっている反応や判断といったものは再現することはできていません。だから(当たり前ですが、)打てません。
この他人が容易には再現し得ないものについて「暗黙知」という表現を通してポラニーは探求するのです。
我々自身の思考や選択、判断がどのようにしてできているのか一段と深く知りたい方にはオススメの古典です。
教養をつけるために古典は読むな
最後に一点だけ留意事項を述べたいと思います。
それは、「教養をつけるために古典を読むな」ということです。
昨今この「教養」というのはあまりいい文脈で使われていません。
せいぜい起業して金儲けをしたり、知的マウンティングを行いたりというゲスなものが根底に隠されていることが少なくありません。
しかしながら、私個人としては古典の読書は「純粋にそれ自体を楽しむもの」であるべきだと考えています。
知的好奇心を満たすために使われるべきなのであって、ペラッペラのエゴを満たすために読書はすべきでないのです。
いつ役に立つかわからないけど、あるときふと役に立つ「かもしれない」というものが理想的ではないでしょうか。